芭蕉db
  陰士山田氏の亭にとめられて

水鶏啼くと人のいへばや佐屋泊り

(笈日記)

(くいななくと ひとのいえばや さやどまり)

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 元禄7年5月25日夜、芭蕉51歳。最後の帰省の折、佐屋の陰士山田氏の屋敷で露川素覧と三吟半歌仙を巻いた折の作品。佐屋は愛知県海部郡佐屋町。旧東海道では、名古屋の熱田宮から海上七里を船で桑名に渡るのが普通であったが、もう一つ佐屋まで行って、木曽川の川舟に乗って桑名へ行くというルートもあった。芭蕉最後の旅では、このルートが選択された。
 なお、『曾良宛書簡』にこの句を読んだ芭蕉最後の旅の報告記事がある。

水鶏啼くと人のいへばや佐屋泊り

 水鶏が啼くのでその声を聴いていったらどうですかとすすめたのは佐屋の山田庄右衛門であろう。一句は、その庄右衛門への挨拶吟である。初案は、「水鶏鳴くといへばや佐屋の波枕」であった。改案後も意味に相違は無い。


愛知県海部郡佐屋町水鶏塚の句碑(牛久市森田武さん撮影)