岐阜の俳人谷木因が江戸に来ているのに対して送った、現存する芭蕉最古の真筆書簡。この前日句会が催されたらしく、その時の木因の作句へのアドバイスや、これから誰かの家(山口素堂と推察される)でまた句会を催すについての同道の誘いが述べられている。芭蕉と木因は、北村季吟門下の兄弟弟子に当たり親交は厚かった。
昨日終日御草臥可レ被レ成候:<さくじつしゅうじつお んくたびれなされそうろう>と読む。昨日は、一日中連句興行でさぞやお疲れのことでしょう、の意。
され共玉句殊之外出来候而、於いて二拙者に一大慶に奉りレ存候。:<されどもぎょっくことのほかしゅったいそうろうて、せっしゃにおいてたいけいにぞんじたてまつりそうろう>と読む。あなたの句は大変上出来で、私は大いに喜んでおります、の意。
就レ其香箸之五文字之儀いかにも御尤被レ存候間:< それにつきこうばしのごもじのぎいかにもごもっともにぞんぜられそうろうかん>と読む。「香箸」は、香を焚くときに香を挟む箸のこと。これが上五に来ているのはうまくないので、枯れ枝と改めてはどうかと添削しているのである。
急成席故矢ごろヲはやくはなち:芭蕉自身としても、<きゅうなるせきゆえ>、あまり熟慮もなく作ってしまって、よい出来ではないというのである。
亭主:山口素堂と思われる。天気が非常によければ素堂はどこかに遊びに行って留守だろうが、幸いよい天気ではないので在宅していることだろう、という。
持病指発り:持病<さしおこり>というのだが、芭蕉には痔疾と胆石があった。これは生涯芭蕉を悩ます病であった。もし天気が悪くなったら、自分は疲れているので出かけるわけには行かないので芭蕉庵に来てくれ。ただし、昼前近くまで寝ているからその後来てくれ、というのである。
はせを:この年代では桃青であって「はせを=芭蕉」の署名はまだ使用していない。後世において値段を吊り上げる目的か、価値を上げようとてか、誰かが改ざんしたのである。