『野ざらし紀行』の旅の途次熱田から江戸の其角に向け発した書簡。其角参禅の師でもあった鎌倉円覚寺の大顛和尚<だいてんおしょう>の死を、芭蕉を慕って熱田に来た「蛭が小島の桑門」が教えてくれたのに驚き悲しんで、早速其角にこのニュースを伝えるために書いたもの。この「蛭が小島の桑門」が誰であるかは詳らかにしない。
露命恙もなく:『野ざらし紀行』の旅は、文学的にも物理的にも芭蕉にとって決死の旅であったが、数々の成果を上げる充実した旅になった。
尾陽熱田に足を休る間:芭蕉は、貞亨2年3月中旬に熱田の桐葉亭に止宿し、鳴海に暫く滞在の後、4月10日鳴海を出発して中山道・甲州街道を経由して江戸に向かう。