芭蕉db

其角宛書簡

(貞亨2年4月5日 芭蕉42歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


草枕月をかさねて*、露命恙もなく*、今ほど帰庵に趣(赴?)き*、尾陽熱田に足を休る間*、ある人*我に告て、円覚寺大顛和尚*、ことし睦月のはじめ、月まだほのぐらきほどに、梅のにほいに和して遷化したまふよし、こまやかにきこえ侍る。旅といひ、無常といひ、かなしさいふかぎりなくて、折節のたよりにまかせ、先一翰投机右而巳*
  梅恋て卯花拝ムなみだかな           はせを
   四月五日
 其角雅生

 野ざらし紀行』の旅の途次熱田から江戸の其角に向け発した書簡。其角参禅の師でもあった鎌倉円覚寺の大顛和尚<だいてんおしょう>の死を、芭蕉を慕って熱田に来た「蛭が小島の桑門」が教えてくれたのに驚き悲しんで、早速其角にこのニュースを伝えるために書いたもの。この蛭が小島の桑門」が誰であるかは詳らかにしない。