芭蕉DB

野ざらし紀行

(訃報)


 伊豆の國蛭が小嶋の(僧)桑門*、これも去年の秋より行脚し (て)けるに我が名を聞て草の枕の道づれにもと、尾張の國まで跡をしたひ来りければ、

いざ ともに穂麦喰はん草枕

(いざともに ほむぎくらわん くさまくら)

 此僧予に告げていはく、圓覺寺の大顛和尚*今 年陸(睦)月 の初、迁化し玉ふよし*。まことや夢の心地せらるゝに、先道より其角が許へ申遣しける*

梅 こひて卯花拝むなみだ哉

(うめこいて うのはなおがむ なみだかな)


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表紙 年表


 

いざともに穂麦喰はん草枕

「野ざらし紀行」帰路、尾張の熱田。 この僧の情熱に応えて、旅を共にする提案受諾の吟。


愛知県春日井郡西枇杷島町西六軒町正念寺の句碑(牛久市森田武さん撮影)

梅こひて卯花拝むなみだ哉

 大顛和尚の訃報に触れての鎮魂歌。和尚は梅をこよなく愛しておられた。遷化されたのはその梅の季節という。今は卯の花の真っ盛りなので梅に代わって卯の花を拝みながら涙している。

 沼津市大顛和尚ゆかりの浄因寺の句碑 円覚寺を本山とする浄因寺は、江戸時代の大火で、庫裏と羅漢堂及び山門を残して本堂以下の堂宇や過去帳までも焼失してしまったそうです。現在も庭園のあちこちに残る当時の伽藍の礎石等からも、当時の壮大な寺院規模が想像されます。(写真と文:牛久市森田武さん )