芭蕉db

四山の瓢

(貞亨3年秋 43歳)


瓢の銘                 山素堂

一瓢は黛山よりも重く* 自ら笑って箕山と称す*

首陽の餓に慣ふことなかれ* 這の中に飯顆山あり*

顔公*の垣穂に生へるかたみにもあらず、恵子*が伝ふ種にしもあらで、我に一つの瓢あり。これをたくみにつけて、花入るる器にせむとすれば、大にしてのりにあたらず*。小竹筒*に作りて、酒を盛らむとすれば、かたち見る所なし。ある人のいはく、「草庵のいみじき糧入るべきものなり」と。まことに蓬の心あるかな*。やがて用ゐて、隠士素翁に乞うて、これが名を得さしむ。その言葉は右に記す。その句みな山をもって送らるるがゆゑに、四山と呼ぶ。中にも飯顆山は老杜の住める地にして、李白がたはぶれの句あり。素翁、李白に代りて、わが貧を清くせむとす。且つ、むなしき時は、ちりの器となれ*。得る時は一壷も千金をいだきて*、黛山もかろしとせむことしかり。

もの一つ瓢はかろきわが世かな  芭蕉桃青書

(ものひとつ ひさごはかろき わがよかな)

 


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 親友山口素堂に芭蕉庵の米びつである瓢に命名を頼んだところ、素堂は四つの山を入れた漢詩を寄せてきた。これらの山に因んで「四山の瓢」と名付けた。冒頭の詩文は言うまでもなく素堂の作。
 このひさごは、天和3年第二次芭蕉庵が完成したときにお祝いに門人山店が贈ったものとされている。

もの一つ瓢はかろきわが世かな

芭蕉庵にあるものといえば瓢一つだけの素寒貧。それも中身の米はいつも空っぽ。何とも気楽なわが人生であることか。芭蕉の「清貧のすすめ」。なお、『あつめ句』では、

もの一つ我が世は軽き瓢哉