芭蕉db

荷兮宛書簡

(元禄3年1月2日 芭蕉47歳)

書簡集年表Who'sWho/basho


越人へ冬申達候。相届可申候*。年始無恙哉*。歳旦三つ物御家例可為と存候*。おましの浦に波枕して*、めづらしきとしをむかへ候。
      歳暮

   何に此師走の市に行くからす

    都の方をながめて

   菰を着て誰人ゐます花の春

撰集抄*の昔をおもひ出候まヽ、如此申候*
加州より状越候*。集あみ候よし申来候*。尤当度あらましに聞届*、予があらあらしき歌仙*なども一巻残置候。発句□、越人・野水など仰合被遣可申候*。ゼヾの孫右衛門*方から便度々御座候。拙者わりなき事出来候間*、又伊賀へ立帰候。気遣なる事にては無御座候。四国の山ぶみ・つくしの舩路、いまだこゝろさだめず候*。 以上
   正月二日                          はせを
荷兮様

 膳所で書いた名古屋の門人荷兮に充てた書簡である。加賀の門人達の出版した『卯辰集』への支援などのこと、また九州や四国への旅のこころづもりなども記されている。この旅は結局実現しなかった。