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芭蕉DB
野ざらし紀行
(伊賀上野)
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長月の初、古郷に歸りて、北堂の萱草
*も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に
替りて、はらからの鬢*白く、眉皺寄て、只命有てとのみ云て言葉はなきに、このかみ*の守袋をほどきて、母の白髪
おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝が
まゆもやゝ老たりと、しばらくなきて、
(てにとらば きえんなみだぞあつき あきのしも)
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表紙 年表
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芭蕉は伊賀上野に延宝4年以来9年ぶりの帰省をした。前後6回にわたる江戸からの帰省のこれが3度目に当る。ただし、前年の6月20日に死んだ母の法事もかねた帰郷だっただけに悲しみも新たなものがあったと思われる。芭蕉41歳、すでに老いて「秋の霜」のように鬢や眉の白さが際立ったか。『笈の小文』では「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮れ」
、「父母のしきりに恋し雉の声」と詠んでいる。
芭蕉生家
北堂の萱草:<ほくどうのかんぞう>と読む。古代中国では母は北の離れに住み、そこを「北堂」と呼んだ。
「萱草<かんぞう>」は、ユリ科ヘメロカリス属(ワスレグサ属)の多年草の総称。ノカンゾウ・ヤブカンゾウ・ニッコウキスゲ・ユウスゲなど。葉は刀身状。夏、黄や橙色のユリに似た大きい花を数個開き、一日でしぼむ。多くの園芸品種や近縁種もある。けんぞう(『大字林』参照)。この一文は、『詩経』に「いづくんぞ萱草を得て、ここにこれを背に植ゑん」とあるによる。
同胞の鬢:<はらからのびん>と読む。ここでは、兄を含む家族兄妹姉妹を指す。彼らが一様に年を取っていた。
兄:<このかみ>と読む。兄の松尾半左衛門。芭蕉はこの兄と姉に次いで、6人兄妹の第三子であった。