川原涼み
粟津の義仲寺から江戸勤番中の曲水に宛てた書簡である。正秀や珍夕の上達を伝えることで曲水へプレッシャーをかけて、俳諧精進を忘れないように暗黙のサインを送っているのが興味深い。
この書簡から、曲水は其角や路通とも親交があったことが伺える。
正秀・珍夕両吟一番出来にて候:<まさひで・ちんせきりょうぎんはいちばんできにてそうろう>と読む。「両吟」は『ひさご』巻末にある正秀と珍夕の二人歌仙を指す。二人の歌仙が上出来である。彼らは精進しているので貴殿もがんばれ、という意味を言外に込めている。
比えの山にぼくりはかせ候:<ひえのやま・・・>と読む。比へは、比叡山のこと。「木履を履かせる」とは上達が著しいことを言う表現。
越人、庵にしばしとヾめ置候:越人が、木曽塚の無名庵に来て居候をやっていたのであろう。
うづら鳴なる坪の内:芭蕉の句:桐の木に鶉鳴くなる塀の内について、上五「桐の木」を本当は「木ざはしや」としたかったが、珍夕に使われてしまったというのである。
此辺やぶれかゝり候へ共:<このあたりやぶれかかりそうらえども>と読む。「この辺」は膳所を指す。ここの人々は、ようやく古風俳諧から抜け出そうとはしているものの、の意。
一筋の道に出る事かたく、古キ句に言葉のみあれて:新しく正しい俳諧の道に出ることが難しく、古風俳諧調にただ(酒くらいとか豆腐くらいなどのように)低俗な語ばかりを持ってきて、の意。「あれて」は、卑俗で、の意。
ある智識のゝ玉ふ。なま禅・なま仏、是魔界:生半可な悟りは魔界に通じるとある高僧が言っています、の意。ここは次ぎの句の詞書。
隠通:<いんつう>。不明。文脈からして或る生臭坊主でも指すか?生半可な俳諧理解の者たちをその守り袋にでも押し込めてしまうか、の意。
其角が状にて路通が披露仕候間、左様に御意得被レ成可レ被レ下候:<きかくがじょうにてろつうがひろうつかまつりそうろあいだ、さようにおこころえなされくださるべくそうろう>と読む。其角からの手紙によれば、路通が出版するとのことなので、そのように心得てほしい、というのである。路通の編纂による『勧進牒』を指すのであろう。