深川芭蕉庵から、山形鶴岡の門人公羽宛に出した呂丸客死の第一報書簡。呂丸は、死去したらしい。らしいというのは、膳所に帰った洒堂から届いた書簡では、呂丸追善句会の内容が書かれていて、死去の第一報が未着なのである。この段階で、芭蕉は呂丸と同郷の門人である公羽に呂丸の死を知らせている。実に手際がよいが、こういうところにビジネスにも経験を有する芭蕉の才覚が垣間見えるのかもしれない。なお、このとき公羽は江戸在勤であった。
昨夜膳所より書状参候:膳所からの書状の発信者は洒堂である(『公羽宛書簡2』参照)。そこに呂丸の追善句があって呂丸の死を知ったと言うのである。
定而段々申越と相見え候へ共、道にて滞候而、いまだ先書不レ下と相聞候:<さだめてだんだんもうしこしとあいみえそうらえども、みちにてとどこおりそうろうて、いまだせんしょくだらずとあいきこえそうろう>と読む。きっと徐々に情報が寄せられることと思いますが、道中渋滞もあって、先の書状が未だ来ておりません、の意。洒堂が出した呂丸死去の第一報が不着で、第2報である追善供養のパケットが先に到着しているのである。
兎角必定仕たる事と奉レ存候:<とかくひつじょうつかまつりたることとぞんじたてまつりそうろう>と読む。はっきりと呂丸の死について情報はありませんが、状況からみて、その死は間違い無いことと推察されます、の意。
左様に御意得被レ成、若御屋敷之内、類縁之御方なども御座候はゞ、御しらせ被レ成被レ下候:<さようにおこころえなされ、もしおやしきのうち、るいえんのおんかたなどもござそうらはば、おしらせなされくだされそうろう>と読む。呂丸は死んだものと見て間違いありませんから、そう考えて、鶴岡藩の江戸藩邸内に呂丸の親類のものが居たらば、その旨お知らせ下さい、の意。