膳所の高橋喜兵衛(怒誰)宛の書簡である。内容からして、芭蕉が義仲寺境内の木曽塚無名庵から国分山の幻住庵に転居した直後の手紙である。
書簡後半部に路通が江戸から再度西上すること、その路通が起したトラブルについて述べている。
御手紙忝拝見、江戸之状共御届忝奉レ存候:<おてがみかたじけなくはいけん。えどのじょうともおとどけかたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。怒誰からの書状への謝辞と,怒誰が受け取った芭蕉宛の江戸からの書状の届いたことへの謝意を述べている。この江戸からの書状が誰からのものか文面からは不明だが、怒誰の兄菅沼定常(曲水)が江戸勤務となっているので曲水からのものかもしれない。
並干瓢一包被レ懸二芳慮一忝存候:<ならびにかんぴょうひとつつみほうりょにかけられかたじけなくぞんじそうろう>と読む。怒誰が手紙を添えて干瓢を贈ったのである。
御案内申上度と朝夕申出し心頭に不レ止候へども:転居したことをお伝えしなくてはと朝な夕なに思っていながら、・・未だやっていない。その理由は風邪を引いたというのである。
仍て彼是御案内延引、背二本意一奉レ存候:<よってかれこれごあんないえんいん、ほんいにそむきぞんじたてまつりそうろう>と読む。
路通出レ申候而、珍重ともいまだ落付不レ申候:<ろつうもうしいでそうろうて、ちんちょうともいまだおちつきもうさずそうろう>と読む。路通が西上するという話で、うれしいとも何とも複雑な気持ちです、の意。芭蕉の怒りは未だおさまっていないが、それでいて懐かしさもある。
隠桂:<いんけい>と読むのであろうが、不祥。反故事件に路通と共犯的に関係した人物らしい。二人は罪の擦り合いをしているらしい。