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芭蕉db
笠の記
(貞亨3年秋 43歳)
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草の扉に待ちわびて*、秋風のさびしき折々、妙観が刀を借り*
、竹取の巧みを得て*、竹をさき、竹をまげて、みづから笠作りの翁と名乗る。巧み拙ければ、日を尽して成らず、こころ安からざれば、日をふるにものうし。朝に紙をもて張り、夕べにほしてまた張る。渋といふ物にて色を染め、いささか漆をほどこして堅からん事を要す。二十日過ぐるほどにこそ、ややいできにけり。笠の端の斜めに裏に巻き入り、外に吹き返して、ひとへに荷葉*の半ば開くるに似たり。規矩の正しきより*、なかなかをかしき姿なり。かの西行の侘笠か*、坡翁雪天の笠か*。いでや宮城野の露*見にゆかん、呉天の雪に杖を曳かん*。霰に急ぎ時雨を待ちて、そぞろにめでて、殊に興ず。興中にはかに感ずることあり。ふたたび宋祇の時雨にぬれて、みずから筆を取りて、笠のうちに書き付けはべりけらし。
(よにふるも さらにそうぎの やどりかな)
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世にふるも更に宋祇のやどりかな
芭蕉が尊敬してやまない宋祇の句、「
世にふるも更に時雨のやどりかな」から「時雨」を「宋祇」と置き換えただけ。「時雨」という定型の見事な換骨奪胎を成し遂げている。まさに俳諧の極意でありながら俗に落ちてないところが芭蕉のすごさと言ってもいいかもしれない。
さらに、宋祇自身は、二条院讃岐の歌「
世にふるは苦しきものを槙の屋に易くも過ぐる初時雨」(新古今和歌集)から連想している。
ところで、「世にふる」の原形は、小野小町「
花の色は移りにけりないたづらに我が身よにふるながめせしまに」にある。ここに「花の色」は美人小町自身であり、年老いて色香を失っていくことを指している。一方、これを受けて、「ながめせしまに」は花を眺めないことにかけて、小町自身の性的不在を暗示している。小町の男性遍歴がどれほどのもであったかを筆者は知らないが、少なくはなかったことが見て取れる。ともあれ、ここで「世にふる」のは失われていく肉体の衰えである。
そして、二条院讃岐や宋祇になるとこういう性的意味を失って、ただ単に年月を経て世間から忘れられていく世捨て人の感慨に転じている。
『真蹟自画賛』には、「世にふるは更に宋祇のやどりかな」とある。
なお、この年16句が現存している。
東京台東区長慶寺の芭蕉時雨塚
芭蕉の死後、杉風、其角、嵐雪等によって、「世にふるも更に宋祇のやどりかな」の芭蕉自筆の短冊を長慶寺境内に埋めて築いたという芭蕉時雨塚です。しかし、関東大震災で殆ど滅失し、その一部が現存している。(文と写真牛久市森田武さん)
草の扉に待ちわびて:<くさのとぼそにまちわびて>と読む。草庵に住んで人恋しくの意。
妙観が刀を借り:<妙観>は仏師名工で大坂にある勝尾寺の観音像の作者として有名。
竹取の巧みを得て:『竹取物語』に出てくる竹取の翁のこと。
荷葉:<かよう>と読む。蓮の葉のこと。
規矩の正しきより:めりはりの利いた上手が作った笠より風情があると自讃している。
かの西行の侘笠か:西行の絵には必ず傘をかぶったり持ったりしている旅姿が描かれている。
坡翁雪天の笠か:<はおうせってんのかさか>と読む。坡翁は蘇東坡で、彼の絵も笠をかぶった馬上姿がこのんで画題となった。
宮城野の露:仙台の木の下薬師堂の「みさぶらひ」の露のこと。奥の細道参照
呉天の雪に杖を曳かん:<ごてんのゆきにつえをひかむ>と読む。「笠は重し呉天の雪」からとった。呉の国の雪の中に旅をしよう、の意。