新聞・雑誌関係
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16/05/09
藤谷清六「アガペーの女」上演パンフレット
有泉大著「すご捕れる“コツ”〜猟歴40年の技」(里美健企画)オビ
(2016/04/19)
枯野を一人行く芭蕉(小学図書館ニュース第1048号)
(2015年9月18日)
「
ハラスメント
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2014
年
11
月
15
日)
「
さすがに甲州女
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2014
年
09
月
06
日)
「
鰯の頭も信心から
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2014
年
06
月
28
日)
「
職は世につれ
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2014
年
04
月
12
日)
「
夢は秘密に
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2014
年
02
月
01
日)
「
すすまぬ震災復興
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2013
年
11
月
09
日)
「
わが心石にあらざれば
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2013
年
09
月
07
日)
「
世界遺産と富士
」
(読売新聞「
やまなし伏流水
」
2013
年
07
月
06
日)
「
本屋を殺す電子本
」(
読売新聞「
やまなし伏流水
」
2013
年
04
月
27
日)
「
贈る言葉
」 (
2012
年度山梨県立大学学位授与式 学長訓示原稿)
「
逆転の発想
」(
読売新聞「
やまなし伏流水
」
2013
年
03
月
02
日)
「過信と溺死」
(
読売新聞「やまなし随想」
2012
年
12
月
09
日)
「
手仕事の山梨
」
(
読売新聞「やまなし随想」
2012
年
09
月
29
日)
「
ハラスメント防止
」
(
読売新聞「やまなし随想」
2012
年
07
月
28
日)
「
失って知る望郷の念
」
(
読売新聞「やまなし随想」
2012
年
06
月
02
日)
「
河内というところ〜富士川の葦辺から〜
」(「京都漱石の会」会報第
9
号
P13-14
)
「
新入学生を迎えるにあたって
」
(
2012
年度山梨県立大学入学式学長訓示原稿)
「
一音のおよぶところ
」(『
Souffle
』第2号
2012.04.01
刊原稿)
「
贈る言葉
」 (
2011
年度山梨県立大学学位授与式 学長訓示原稿)
「
悪用される祖母の愛
」
(
読売新聞「週末寸言」
2012
年
02
月
18
日)
「
予知というウソ
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
12
月
10
日)
「
これは大事件だ
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
11
月
22
日)
「
大津波の後で
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
08
月
20
日)
「
読書と知的環境
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
07
月
02
日)
「
ホトトギス
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
05
月
14
日)
「
新入学生を迎えるにあたって
」
(
2011
年度山梨県立大学入学式学長訓示原稿)
「
不適切教材
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
03
月
19
日)
「
贈る言葉
」 (
2010
年度山梨県立大学学位授与式 学長訓示原稿)
「
1
円集金
」
(
読売新聞「週末寸言」
2011
年
01
月
22
日)
「
巻頭言
」(「
YONZYA
(山梨県立大学付属図書館機関誌)」
2010
年
12
月)
「
学び直しこそ
」
読売新聞「週末寸言」
2010
年
11
月
20
日)
「
和を以て尊し
」
読売新聞「週末寸言」
2010
年
10
月
02
日)
「
読書端末の衝撃
」
(
読売新聞「週末寸言」
2010
年
08
月
07
日)
「
刻舟求剣
」
(
読売新聞「週末寸言」
2010
年
06
月
19
日)
「
呼び名は世につれ
」
(
読売新聞「週末寸言」
2010
年
05
月
01
日)
「
テキスト中心の漱石・コンテキスト中心の子規
」(京都漱石の會機関紙『虞美人草』第
5
号
2010.04.01
)
「
油、
その最後の一滴
」
(山梨新報「直言」 最終回
2010
年
03
月
26
日)
「
贈る言葉
」 (
2009
年度山梨県立大学学位授与式 学長訓示原稿)
「
お熱計らせて
」(
読売新聞「週末寸言」
2010
年
03
月
06
日)
「
『貯蓄』か『喜捨』か
」
(山梨新報「直言」
2010
年
02
月
26
日)
「
教育文化最貧国日本
」
(山梨新報「直言」
2010
年
01
月
29
日)
「
初春ニ題
」(
読売新聞「週末寸言」
2010
年
01
月
09
日)
「
天才の発見
」(山梨新報「直言」
2009
年
12
月
25
日)
「
学習と教育の一丁目一番地
」(独立行政法人日本学生支援機構発行『大学と学生』
2009
年
12
月号巻頭言)
「
ETC
が地球を救う
」
(山梨新報「直言」
2009
年
11
月
20
日)
「
表彰と敬遠
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
10
月
24
日)
「
時代を切り取る言葉の力
」
(山梨新報「直言」
2009
年
10
月
16
日)
「
盛者必衰
政治編
」(山梨新報「直言」
2009
年
09
月
11
日)
「
白兎と脱兎
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
09
月
05
日)
「
盛者必衰 産業編
」(山梨新報「直言」
2009
年
08
月
07
日)
「
お茶壷道中
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
07
月
18
日)
「
地場産業を再評価する
」(山梨新報「直言」
2009
年
07
月
03
日)
「
知と混沌
と
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
05
月
30
日)
「
『朝敵山梨』の高等教育
」(山梨新報「直言」
2009
年
05
月
29
日)
「
迷えば深きよものむら雲
」(山梨新報「直言」
2009
年
04
月
24
日)
「
おのおの京をめざしつつ
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
04
月
11
日)
「
新入生を迎えるにあたって
」(
2009
年度山梨県立大学入学式 学長訓示原稿)
「
さあ、『種』をまこう
」(山梨新報「直言」
2009
年
03
月
20
日)
「
挨拶のすすめ
」(
読売新聞「週末寸言」
2009
年
02
月
14
日)
「
ゆっくり ねろし
」(山梨新報「直言」
2009
年
02
月
13
日)
「
古京はすでに荒れて
」(山梨新報「直言」
2009
年
01
月
09
日)
「
雨傘貸します
」(
読売新聞「週末寸言」
2008
年
12
月
20
日)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
81
号』(
2008
年
12
月))
「
続・長屋のリニア談義
」(山梨新報「直言」
2008
年
11
月
28
日)
「
桐一葉
」(
読売新聞「週末寸言」
2008
年
11
月
01
日)
「
くさいニオイは源から絶て
」(山梨新報「直言」
2008
年
10
月
31
日)
「
「山梨で生きる」ビジョンを
」(山梨新報「直言」
2008
年
09
月
19
日)
文中の図
「
みんなちがって
」(
読売新聞「週末寸言」
2008
年
09
月
13
日)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
80
号』(
2008
年
08
月))
「
理想からリストカットまで
」(山梨新報「直言」
2008
年
08
月
08
日)
「
あの夏の思い出
」(
読売新聞「週末寸言」
2008
年
07
月
26
日)
「
いわしの弔い
」(山梨新報「直言」
2008
年
06
月
06
日)
「
富士山と月見草
」(
読売新聞「週末寸言」
2008
年
06
月
07
日)
「
必要なのは『脚』だ
」(山梨新報「直言」
2008
年
06
月
06
日)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
79
号』(
2008
年
05
月 ))
「
デジタル時代の「記憶」を保存するために
」(山梨新報「直言」
2008
年05
月02
日
)
「
退職する友へ
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2008
年
04
月
19
日)
「
元祖「水力」から元素「水素」へ
」(山梨新報「直言」
2008
年04
月04
日
)
「
爪で拾って箕でこぼす
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2008
年
02
月
23
日)
「
脱石油・脱原子力、そして水素へ
」(山梨新報「直言」
2008
年02
月22
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
78
号』(
2008
年
03
月 ))
「
温暖化阻止は行動で
」(山梨新報「直言」
2008
年01
月18
日
)
「
病根も宿す同族企業
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年12
月22
日
)
「
藤谷清六作「翔べない二人」公演パンフレット
」(
2007
年
12
月
08/09
日山梨県立文学館講堂にて公演)
「
『綱引き』から『微分方程式』へ
」(山梨新報「直言」
2007
年12
月07
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
77
号』(
2007
年
12
月 ))
「
『過剰の蕩尽』としての文化
」(山梨新報「直言」
2007
年11
月02
日
)
「
名刺のむなしさ
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年10
月20
日
)
「
県内土建業の明日のために
」(山梨新報「直言」
2007
年09
月28
日
)
「
ひとうちで七匹
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年09
月01
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
76
号』(
2007
年
09
月 ))
「
獣の命に応える『ジビエ流
通』
」(山梨新報「直言」
2007
年08
月24
日
)
「
「13
万番目以下」に光を
」(山梨新報「直言」
2007
年07
月20
日
)
「
選挙と落書き
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年07
月07
日
)
「
信貴山縁起に学ぶ富の交流
」(山梨新報「直言」
2007
年06
月15
日
)
「
関東ツーリズム大学設立発起人会メッセージ
」
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
75
号』(
2007
年
06
月 ))
「
亥年の仇討ち
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年05
月12
日
)
「
『褒められる』ほどの毒の話
」(山梨新報「直言」
2007
年05
月11
日
)
「
不在地主化する県土
」(山梨新報「直言」
2007
年04
月06
日
)
「
NPO
による地域情報化の在り方・進め方(第3
回)
」(『Mercato』
Vol
.
71
,
2007
)
「
西の木と書く栗の話
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年03
月10
日
)
「
中心市街地の中の貧困
」(山梨新報「直言」
2007
年03
月02
日
)
「
前車の轍を踏むな
」(山梨新報「直言」
2007
年01
月26
日
)
「
団塊世代に愛をこめて
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2007
年01
月13
日
)
「
未だ発見されない日本の『子供』
」(山梨新報「直言」
2006
年12
月15
日
)
「
巻頭インタビュー
」(『行政&ADP』
2006
年
10
月号)
「
NPO
による地域情報化の在り方・進め方(第2
回)
」(『Mercato』
Vol
.
70
,
2006
)
「
『
催眠商法』にだまされてはならない
」(山梨新報「直言」
2006
年11
月10
日
)
「
コンビ
ニぞ
めき
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年10
月21
日
)
「
『白く大きな手』を持つ人よ、出よ
」(山梨新報「直言」
2006
年10
月06
日
)
「
豆と豆殻の対話
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年09
月02
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
71
号』(
2006
年
09
月))
「
この上まだ百年河清をまつのか
」(山梨新報「直言」
2006
年09
月01
日
)
「
他山の石に学ぼう
」(山梨新報「直言」
2006
年07
月28
日
)
「
NPO
による地域情報化の在り方・進め方(第1
回)
」(『Mercato』
Vol
.
69
,
2006
)
「
狐狸は心の中に棲む
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年07
月01
日
)
「
山梨の農業に明日は無い?
」(山梨新報「直言」
2006
年06
月23
日
)
「
『不易』と『流行』を超克する人生の旅路
」
(
月刊『浪漫飛行』創刊号
2006
年
6
月
5
日)
「
地域に『下流社会』を作らないために
」(山梨新報「直言」
2006
年05
月19
日
)
「
情は他人のためならず
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年05
月13
日
)
「
芭蕉と甲斐
の地域文化
」(山梨総合研究所ニュースレター
5
月号)
「
行政の「無謬性」を問う
」(山梨新報「直言」
2006
年04
月14
日
)
「
アメリカからの手紙
」(山梨新報「直言」
2006
年03
月10
日
)
「
好之者不如樂之者
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年02
月25
日
)
「
禁欲主義から拝金主義へ
」(山梨新報「直言」
2006
年02
月03
日
)
「
デジタル化と企業買収
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2006
年01
月14
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
71
号』(
2005
年
12
月 日))
「
集権化する政党政治
」(山梨新報「直言」
2005
年12
月23
日
)
「
選挙の勝ち方教えます
」(山梨新報「直言」
2005
年11
月18
日
)
「
油断大敵
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2005
年11
月05
日
)
「
ふるさとが大変だ
」(山梨新報「直言」
2005
年10
月14
日
)
「
電子政府への道
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2005
年09
月17
日
)
「
おもしろうてやがて悲しき
」(山梨新報「直言」
2005
年09
月09
日
)
「
行きはよいよい、帰りは?
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2005
年08
月06
日
)
「
富士を見ぬ日ぞ
」(
2005
年
8
月)
「
どこまで沈み続けるのか?
」(山梨新報「直言」
2005
年8月05
日
)
「
2007
年のムラ再生
」(山梨新報「直言」
2005
年7月01
日
)
「
若者よ、勉強しよう
」(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2005
年06
月18
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
69
号』(
2005
年
06
月
15
日))
「
藤谷清六著「マダム輝子の淡雪亭」に寄せて
」(単行本あとがき
2005
年
5
月
23
日)
「
情報公開の経済学
」(山梨新報「直言」
2005
年5
月27
日
)
「
まだ、学区制ですか?
」(山梨新報「直言」
2005
年4
月29
日
)
「
因幡の白兎考
」
(
読売新聞山梨版「週末寸言」
2005
年04
月23
日
)
「
地方再生のために基本にかえれ
」」(山梨新報「直言」
2005
年3
月25
日
)
「
仰げば尊
し
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2005
年03
月13
日
)
「
『曲学阿世の徒』のいない春
」」(山梨新報「直言」
2005
年2
月18
日
)
「
まだいた朴訥の仁
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2005
年02
月06
日
)
「
夢のような「初夢」」(山梨新報「直言
」
2005
年1月14
日
)
「
「サンデー毎日
」
の楽しみを超えて
」(かいじしんぶん
2005
年
1
月
1
日)
「
君君たり 臣臣たり
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年12
月19
日
)
「
安易な「委員会」多用は民主主義の否定だ
」(山梨新報「直言」
2004
年12
月03
日
)
「
法人化後の国立大学の現状と課題(第4回)
」(「
文部科学教育通信
」
112
号,
2004
年
11
月
22
日)
「
法人化後の国立大学の現状と課題(第3回)
」(「
文部科学教育通信
」
111
号,
2004
年
11
月
08
日)
「
本物はにせもの?
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年10
月31
日
)
「
ヒトの性としてのごみ問題
」(山梨新報「直言」
2004
年10
月29
日
)
「
法人化後の国立大学の現状と課題(第2回)
」(「
文部科学教育通信
」
110
号,
2004
年
10
月
25
日)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺
67
号』(
2004
年
10
月
15
日))
「
法人化後の国立大学の現状と課題(第1回)
」(「
文部科学教育通信
」
109
号,
2004
年
10
月
11
日)
「
国立大学法人山梨大学事始め
」
(『山梨工業会誌
2004
年第
1
号』)
「
変化への予兆を聴く
」
(山梨新報「直言」
2004
年09
月24
日
)
「
執心なかれとなり
」(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年09
月19
日
)
「
なぜ「無党派層」は増えつづけるのか
」
(山梨新報「直言」
2004
年08
月20
日
)
「
あの夏の日の記憶
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年08
月01
日
)
「
低投票率は悪の源泉
」(山梨新報「直言」
2004
年07
月16
日
)
「
ある夏の夜
」
(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年07
月04
日
)
「
エネルギー革命を山梨から
」(山梨新報「直言」
2004
年06
月18
日
)
「
アカデミズムとムラ社会
」(「山梨大学ホームページ」
2004
年
6
月
1
日)
「
晴れのち曇り
」(
読売新聞山梨版「日曜寸言」
2004
年05
月23
日
)
「
男女共同参画を言う前に
」(山梨新報「直言」
2004
年05
月14
日
)
「
富士川の黄金
」(
読売新聞山梨版「
日曜寸言
」
2004
年04
月17
日
)
「
四枚カード問題と県議会
」(山梨新報「直言」
2004
年04
月16
日
)
「
縦横
」(『甲斐ヶ嶺』
59
号.
2003
年
7
月号)
「
「士農工商」への歴史的反撃
」(山梨新報「直言」
2004
年03
月19
日
)
「
恋と自然法則
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2004
年02
月28
日
)
「
幼児化した高校生に過酷な未来
」
(山梨新報「直言」
2004
年02
月13
日
)
「
祖父と寝小便と村八分
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2004
年01
月17
日
)
「
藤谷清六著「天才たちの午後」に寄せて
」(単行本あとがき
2004
年
1
月
13
日)
「
コタツで詠う富士の詩
」(山梨新報「直言」
2004
年01
月09
日
)
「
リクルーティングが大事
」(山梨新報「直言」
2003
年11
月28
日
)
「
年の瀬の古法眼
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年11
月22
日
)
「
ブランドを確立するためには
」(山梨新報「直言」
2003
年10
月24
日
)
「
「はてなの
茶碗」余話
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年10
月11
日
)
「
山梨大学法人化の準備状況
」(山梨日日新聞「旬言」
2003
年
10
月
05
日)
「
海洋酵母ワインの話
」(「山梨大学ホームページ」
2003906230
日)
「
住基ネットの本格稼動にあたって
」(山梨新報「直言」
2003
年09
月12
日
)
「
コイとベンチャー
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年08
月30
日
)
「
少子化社会と男女共生社会
」(山梨新報「直言」
2003
年08
月22
日
)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
59
号.
2003
年
7
月号)
「
藤谷清六著「翔べない二人」に寄せて
」(単行本あとがき
2003
年
7
月
29
日)
「
山梨大学の大学院がめざすもの
」(山梨日日新聞「旬言」
2003
年
7
月
27
日)
「
重機いらずの「談合壊滅作戦」
」(山梨新報「直言」
2003
年07
月25
日
)
「
白い猫と黒い猫
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年07
月19
日
)
「
プラグマティズムということ
」(山梨新報「直言」
2003
年07
月04
日
)
「
「ナノテクノロジー」発祥の地=山梨大学
」(「山梨大学ホームページ」
2003
年
06
月
10
日)
「
表と裏
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年06
月07
日
)
「
長屋のリニア談義
」(山梨新報「直言」
2003
年
05
月
23
日)
「
大学の第三の機能」
(「山梨大学ホームページ」
2003
年
05
月
22
日)
「新たな知の創造を
めざして」
(山梨科学アカデミー第
16
号「巻頭言」
2003
年
05
月)
「
消えゆくものづくり精神
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年01
月11
日
)
「
戦いすんで日が暮れて
」(山梨新報「直言」
2003
年4
月18
日
)
「
一騎打ち
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年03
月01
日
)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
59
号.
2003
年
3
月号)
「名前は世につれ」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2003
年01
月11
日
)
「新生山梨大学がめざすもの」
(かいじしんぶん「新春論壇」
2003
年
01
月
01
日)
「貧乏な無形財産家」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年11
月09
日
)
「
猛暑と太陽とIT
と
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年09
月21
日
)
「
合併は自治を実現するための主体の構築
」(
KOFU
C.C.I2002
年
9
月号,通巻
563
号)
「盆飾り」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年8
月10
日
)
「近頃の若い者を鍛えるには」(
日本物理学会物理教育委員会編『大学の物理教育』
2002-2
,
2002
年
7
月)
「君子危うきに」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年6
月29
日
)
「
山梨大学工学部における修学指導について
」(文部科学省『大学と学生』2002年6月号)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
59
号.
2002
年
7
月号)
「
劇場国家日本
」(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年4
月27
日
)
「
枯死した相生の松
」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年3
月16
日
)
「無個性な成人式」
(
読売新聞山梨版「土曜寸言」
2002
年1
月26
日
)
「交遊抄」
(日本経済新聞
2002
年1
月16
日
)
「
過疎対策はまずIT
から」
(読売新聞山梨版「土曜寸言」
2001
年12
月8
日
)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
57
号.
2001
年
11
月号)
「
山梨大学工学部の早期退学勧告制度
」
(朝日新聞「私の視点」
2001
年
11
月
14
日朝刊掲載原稿)
「
コンピュータ―それは、あなたを映す鏡です
」
(
(
財
)
地方自治情報センター
『地方自治コンピュータ』
2001
年
9
月号巻頭言)
「あたらしい大学像を求めて」
(『山梨工業会誌
2001
年第
2
号』)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
55
号.
2001
年
7
月号)
「産業界との新たな関係をめざして」
(『山梨工業会誌
2001
年第
1
号』)
『「好事魔多し」ということ』
(山梨大学学生新聞
2001.4
)
「縦横」
(『甲斐ヶ嶺』
53
号,
2001
年
3
月号)
「巻頭言」
(『山梨大学地域共同開発研究センターニュー』
2000
年
11
月)
「
情報通信技術を活用した地域づくり
」
(『
季刊『
Repis
』巻頭言
』)
「I T
時代の地方自治」
(『自治の風』
2000
年
6
月号
)
「世界にひろげる情報交流の場」
(『山梨日日新聞』
2000
年
7
月
9
日)
『君の人生の夢はなんですか?』
(山梨大学学生新聞
2000.4
)
「企業におけるコンピュータセキュリティ対策について』
(『産業情報山梨』
2000
年
3
月号)
「巻頭言」
(
『
山梨大学工学部研究報告
』
Vol
.
50
)
「山梨工業会のみな様へ」
PDF
(
『
山梨工業会誌
』
99
年第1巻)
「山梨大学工学部をめざすあなたへ」
(
『
‘
99
工学部高校生対象説明会パンフレット
』
)
「ご挨拶」
(
『
‘
99
年版工学部パンフレット
』
巻頭言)
「新入生諸君へ」
(
『
山梨大学学生新聞
』
1999.4
)
「とっても明るい「暗い」話」
(山梨大学学園誌
『
DEFI
』
No.8,1999.3
)
「ご挨拶」
(『
YINS
』第二巻巻頭言)
『産業情報山梨』巻頭言集
(
1998.5.
〜
1999.3
)
「シームレス通信は社会を変える」
(『甲斐ヶ嶺』第
38
号
1998.03.05
)
「
『総合情報処理センター研究報告』の創刊に寄せて
」(『
YINS
創刊号』)
「情報の一世紀」
(『
山日新聞<元旦特集「私の20
世紀論」>
』
1998.01.01
)
「中央コリドー高速通信実験プロジェクト」
(『
朝日新聞<地域通信>
』
1997.10.29
)
「誌上討論会「1998
年県内の経済を予測する」
」
(
『産業情報山梨』
1997
年
10
月号
)
「シーム
レスネットワーク時代の県内産業」
(
『産業情報山梨』
1997
年
10
月号
)
「シームレスネットワークの実現に向けて」
(『自営無線ネットワーク第
24
号』
1997
年
9
月
30
日)
「マルチメディアに関する「定義」の試み」
(『山梨科学アカデミー機関紙
1996.10
』)
「よりよいコミュニケーションを求めて」
(『山梨大学附属図書館だより』
1996.10
)
「世界に開かれた大学をめざして―山梨大学情報処理センター」
PDF
(『山梨工業会誌』
1996.9
)
「「道具」ではなくなったコンピューター」
(『情報パーク山梨
8
月号』
1996.08
)
「情報化社会の中の建設業」
((社)山梨県建設業協会『CCC1996年
6
月号』
1996.6.10
)
「異界につなぐマルチメディア」
(
雑誌『MELLOW第
21
号』
1995.08.25)
「マルチメディアの時代的意味」
(『甲斐ケ嶺第28号』
1995.12.20
)
「就職・地域・自己実現」
(『‘93山日企業ガイドブック』巻頭言
1993.02.23
)
「政治とカネ」
(『山梨日々新聞』
1993.4.15
)
「地域文化としての巨額脱税事件」
(『甲斐ケ嶺第14号』
1993.06.01
)
「永遠の普遍性」
(『ミツトヨレポート』
182
号
1992.2
「国中と郡内―その間を隔てるもの―」
(『甲斐ケ嶺第6号』
1992.01.15
)
『地球と自然と人間と・・第11
回・第12回』
(『山梨日日新聞』1991
.7.12/13
)
「新しい皮袋には新しい酒を」
(山梨新報「私の提言」
1991.3.2
)
「大世紀末に想うこと」
(『CIRCULAR』
Vol.42,No.1,1991
<新年号巻頭言>)
「急がば回れ」
(財団法人ニューメディア開発協会『めでぃあ』
1990.10.10
)
「人材難時代の労働力補完」
(『中小企業山梨』
1989-2
,
23
巻)
「
ココナツの樹の下で
」 (同人誌『森』(
1989
年))
「技術革新時代を生きる」
(『甲府市の工業』
1988
年
3
月)
「時代のキーワードを探る」
(『山梨日日新聞』
1987.6.12
)
「一冊の本」
(『山梨大学学生新聞』
1985.4.10
)
「
先端技術に対する県内企業の取り組み方
」(『中小企業山梨』
1985.3
59
年第
4
号)
「「
持つ」テレビから「ある」べきテレビへ」
(『テレビジョン放送開始
30
周年記念論文』
1983.12.13
)
「山梨県中小企業の技術革新への提言」
(『中小企業山梨』
1983.10
)
「国鉄ローカル線は再生可能」
(『朝日新聞<論壇>』
1980.11.28
)
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