最近,「ナノテクノロジー」という言葉が頻繁に登場します。「ナノ(nano)」は10-9,すなわち10億分の1を意味する単位系記号です。10億分の1メートルレベルで物質を眺めてみると、普段私たちが認識している世界とは似ても似つかぬ現象が現れてきます。そういう現象を利用して,新しいテクノロジーを創造しようとするのが「ナノテクノロジー」です.そして,山梨大学は,この「ナノテクノロジー」の発祥の地でありました.
「ナノテクノロジー」という概念と言葉の提唱者は,第四代山梨大学工学部長で,現山梨大学名誉教授谷口紀男先生です.先生は,1974年の「生産技術国際会議」で,世界の専門家に向かってこの言葉を提唱されました。このとき先生は,精密加工技術精度は西暦2000年には1ナノメートル程度になると予測し、そのための総合生産技術が必要になると提案されました。図参照
その後,1980年代になって,英国のパット・マッキューン クランフィールド大学教授がCIRP(国際生産者会議)で,谷口の提案としてナノテクノロジーの将来像について講演したことから,一気に国際用語となり,2000年にはアメリカのクリントン大統領が,ナノテクノロジーを国家戦略に位置づけるまでになりました.以来,ナノテクノロジーは世界の先端技術競争のし烈な主戦場となって現在に至っています.谷口先生の先見性には本当に驚かされます.
谷口先生は,1912年のお生まれ.1936年,東京大学工学部造兵学科卒業後,民間企業を経て,1940年,山梨大学工学部の前身山梨工業専門学校に教授として着任.以後26年の長きにわたって山梨大学教授として工学部機械工学科,精密工学科(現機械システム工学科)に勤務され,1961年には工学部長に就任.以後2期3年にわたって,高度経済成長期の工学部の基礎を作られました.山梨大学をご退官後,理化学研究所主任研究員,東京理科大学教授などを歴任されました.また,精密工学会会長,大河内記念会理事,大越記念会長,学術振興会研究委員などをも歴任,我が国の「精密工学の父」と仰がれています.1999年11月15日ご逝去.享年88歳.
ところで,セラミックスや,水晶などの無機結晶材料などは,一般に極めて硬いが衝撃に対してはいたって脆いという性質があります.こういう材料を硬脆性(こうぜいせい)材料などといいますが,この言葉の造語も谷口先生です.こういう硬脆性材料は,マクロの寸法で示す性質としては非常に硬いのに,衝撃には極めて弱く,よって簡単に破壊するのですが,こういうものの中にはミクロな寸法になると全く別の挙動を示し,脆性はきれいに消滅してしまうという不思議な性質を示すものがあります.こういうミクロ世界とマクロ世界での物理的性質や加工性能の極端な相違を発見したのが谷口紀男先生だったのです.
山梨大学工学部にはこれとは別に高橋昂先生(第十二代工学部長,山梨大学名誉教授,元豊橋技術科学大学副学長)の電子顕微鏡に関する研究がありました.高橋先生は,物質波の発見者ノーベル物理学賞受賞者ド・ブロイの弟子であり,我が国の電子顕微鏡の育ての親で,初代の顕微鏡学会会長をつとめられました.その極微世界の研究が相互に刺激しあって,谷口先生の研究成果につながったのです.谷口先生が開発された技術は,超音波加工,放電加工,電子ビーム加工,イオンビーム加工など,超精密加工技術であり,それらは現代のLSIなど半導体製造などに必須の技術です.
いま世界から注目されている飯島澄男さん(現産業総合研究所主任研究員)のカーボンナノチューブの大発見は,山梨大学の谷口紀男・高橋昂両先達の基盤の上に咲いた大輪の花なのです.