山梨新報「私の提言」依頼原稿(1991年3月2日)

『新しい皮袋には新しい酒を』

知事選が終わり統一地方選を前に

山梨大学教授 伊 藤  洋


 一つの時代が,もし成功の時代であったのなら,その時代はその成功の要因によって消滅する.その時,一つの時代が幕を閉じる.

 山梨県が長かった徳川政権の軛からようやく脱した明治維新は,この地にとって新たな差別の始まりであった.それは維新の政治的エネルギーが徳川政権から遠いところで発生したのに対し,本県は幕府直轄地として徳川政権そのものの版図の中にあったからに他ならない.遡って,徳川時代の甲州は,先の政治権力武田家の中心であったがゆえに徳川政権からすれば占領地であり,ここに政治の恩沢は与えられるべくもなかった.こうして山梨県民は,近代も,現代も一貫して政治的中心から除外され己だけを頼みに生きていかなければならなかった.こういう歴史の非情性は,この地に旧制高校が作られなかったとか,中央官界に県民子弟の活躍する場が無かった,とかいうようなところに確実に表れていた.そういう逆境下で,甲州人は,自力精進の場としての実業界で生きることをのみ余儀なくされた.これが明治期における甲州財閥発生の歴史的いわれであろう.

 こういう歴史からようやく解放され,山梨県がその政治的存在を主張できるようになったのは七〇年代に入ってからであり,県選出国会議員の中から頻繁に国務大臣が出現するようになってからのことである.その先陣を切ったのが元副総理金丸信氏であった.県民の金丸氏に賭ける期待は,「中央」における彼の政治的ヘゲモニーを県土の発展に結び付けることであり,「貧乏県」山梨からの脱出であった.それゆえ県民の氏に対する與望は「中央」との太い「パイプ」役であり,事実このパイプを通して「中央」からの「利権」が着実に輸送されてくるようになった.こういう「中央」からの「パイプ」の出口に「県民党県政」というシステムが接続され,これが政治的違いよりも経済や開発を優先する地域システムとして有機的に機能した.その象徴としてリニアモーターカー実験線の誘致がある.このようなシステムは開発独裁型政治システムにしばしば見られるパターンである.このパイプによって八〇年代の山梨は有史以来最大の発展を続けることができた.

 こうして県民の期待した「富める山梨」が実現されようとしたまさにこの時に,新知事天野建氏はこのシステムに異を唱え,県民もこれを支持して彼を当選させた.しかも,新知事の父親は「富める山梨」,「中央直結」を標榜した元知事天野久氏であり,金丸氏はその「パイプ」役であったのだから,歴史の進み行きを懐旧の念と共に複雑な思いで眺める人は決して少なくあるまい.とまれ,こうして時代は新しい時を迎えることになった.

 一つの時代が,成功の時代であったとして,その時代はまさにその成功の要因によって消滅し,つぎの時代へと道を開く.しかし,新しい時代は,先の時代の遺産の上に構築されるものでもある.いま私たちには過去十二年間の望月県政が残した経済的・社会的・文化的遺産がある.これによって山梨県民が得た自信は少なくない.新知事は,無益に政治的な「派閥」に組することなく,ここに示された民意を行政政策に反映させてもらいたい.民意は,とりあえず確立された「富める山梨」を「草の根」の豊かさ,日常生活の中で実感できる真の豊かさに転化して欲しいと望んでいるのであって,もとより政党・会派・団体の利益などには断じて関心を持ってはいない.

 山梨が,国家的政治の枠組みの外に置かれていた時代には,人々は中央集権的権力に憧れた.しかし,「中央とのパイプ」役金丸氏の推す候補者が破れ,これに連動して甲府市長が不出馬を決意するなど,既存の政治的組織のシステム疲労は予想以上に激しい.こういう歴史は,少なくとも本県の過去には存しない.それゆえ,新しい皮袋に新しい酒を盛るように,今こそ新しい政治・行政が論じられなければならない.もし新しい皮袋に古い酒を盛るようなことがあれば,酒はたちまち腐敗して悪臭を放つことであろう.

 前知事の「県民党県政」を批判する中で,政策論議の不在とか,議会軽視とかいう主張が一部の県議からなされた.私は寡聞にしてその実態を知らないが,もしこの批判が的を射ているのなら,それこそ全議員は襟を正さなければならない.それは,地方議員の政策立案能力が低く,よって議会から時代を画する提案がなされず,ただ行政機関と慣れあうことをのみよしとしてきた怠慢を,これが雄弁に物語っているからに他ならない.

 ときあたかも統一地方選挙が盛りを迎える.ここに立候補する人々が,新しい時代を担う確たる決意を持っているのなら,どのような山梨新時代を画そうとするのか思い切った提案をして欲しい.県民は,それをじっくり聞いて,地域において生活するものの確かな生を実現するべく審判する.その時に初めて真の「富める山梨」が約束されるのである.