ご挨拶
昭和24年6月1日,山梨大学工学部はここ甲府市北部古府中の地に呱々の声を上げました.まだ,随所に戦争の傷跡を残していた校舎を見て,戦前の学園風景を知る人々は,まさに「国破れて山河あり,城春にして草木深し」の感を禁じえなかったそうです.爾来50年,多くの人々の支援と教職員の努力,そして何より2万3,000人に及ぶ卒業生の活躍による高い社会的評価に支えられて工学部は拡大発展してきました.
工学部には,勿論その前史があります.1924年,いち早く国立山梨高等工業学校として創立され,当時未だアジアの一発展途上国に過ぎなかったこの国の工業化・近代化の為にエンジニアとして卒業生たちは獅子奮迅の活躍をしてきました.あれから間も無く80年を数えようとしています.
この80年間,このキャンパスに一貫して流れてきたエトス(情念)は,「一生懸命」という倫理でありました.近代化は,農業社会から工業社会への移行を意味していましたが,その農業社会の倫理を支えていたものは「一所懸命」でした.先祖伝来の狭い一所の農地に命を懸け,それを一族の生存のために営々として守ること,それこそが「一所」懸命でありました.特にここ山梨県は大河や平野が無く,それゆえ畑作中心の零細な農業でした.唯一の利点といえば,秋にやってくる洪水の被害が比較的少なく農地の流失があまり無かったことでした.それゆえ自作農が一般的で,それなりの創意工夫による農業生産性の向上努力が人一倍図られました.近代化と共に工業に進出した者達は先祖伝来の「一所懸命」を「一生懸命」に置き換えてモノ作りに励み,大量生産を基本とするこの国の工業化に寄与していったのです.
その日本の工業がいま大きな曲がり角に差しかかっています.環境や資源エネルギー問題は,工業化社会の先行きに暗雲を呈しています.加えて豊かさの広がりは若者達に「一生懸命」のエトスを忘れさせてもいます.
しかし,人が豊かさを求める限り科学技術は発展し続けなくてはなりません.もとより自然を蚕食する略奪型の技術であってはなりませんが,そのための科学は未だ緒についたばかりです.人が生涯を懸けて究めるには十分過ぎる巨大なテーマがそこには無数に横たわっています.
己の人生を真摯に見つめ,地域と地球の未来を真剣に考える人々にとって科学技術は豊かな明日を約束するはずです.その崇高な行動に参加しようとするならば,山梨大学工学部はその入り口たりうるはずだと,私は確信しています.
工学部長 伊 藤 洋(dean-eng@atjim.yamanashi.ac.jp)