山日企業ガイドブック巻頭言

「就職・地域・自己実現」

 山梨大学教授  伊 藤  洋 


 A・H・マズローは、人の欲望にはヒエラルヒーがあるとして、それを五段階にまとめました。その第一段階は、ただただ生存したい、何はともあれ生きていたいという原初的欲求です。餓死寸前の人が食べ物を夢中になって口に入れる姿など、昨今ソマリア難民キャンプのTV報道などで目にしますが、ああいう悲しい情景はこの第一段階の欲求と言ってよいでしょう。第二段階は、第一段階が実現された後に出現し、安全の欲求、己れの生命を維持し続けたいとする欲望です。この段階では、口に入れる食物が腐っていないか、健康を害したりしないかを判断するゆとりがあり、第一段階からすればより高度な欲望です。

 第三段階になると、コミュニティや企業・団体など社会的組織に参加したいとする欲求に変わります。人が社会的動物であるというのはこの段階を指して言うのでしょう。第四段階になりますと、欲望は随分高度になり、他人から尊敬され、それをとおして自分に対して自信を持ちたいとする自我の欲求が芽生えてきます。そしてこういう全ての段階を上り詰めたところで、人は自己を実現し、アイデンティティを確立するのですが、それが最終の第五段階だとマズローは言うのです。

 この話は単に個人の欲望の階層化というに止まらず、一人の人間の成長の過程・ライフスタイルでもあるように思われます。皆さんにとって就職し、社会人になるということは、マズローの段階説でいえばちょうど第三段階の社会的欲求に応えたいとする欲望を実現することに当ります。そのことは、当然第四段階の、あるいは第五段階の欲求実現のための一ステップに他なりません。それだけに就職の人生に及ぼす意味は決して軽々しいものではありません。

 他方、マズローの段階説は、地域の発展の段階にも相当するようです。山梨県を見ますと、戦後の一時期、人々が第一または第二段階に欲求を限定せざるを得なかった時分には、疎開者を含めて人口も多く、それなりの活気を呈していました。しかし、六〇年代から七〇年代にかけて起こった高度経済成長のうねりに対応できず、山梨県は過疎をかこつ時期が続きました。しかし、八〇年代を通じて生起した工業の内陸化の波は、この地域を有数の先端産業地帯に変貌させ、ようやく「第三段階」を完成させることに成功しました。もとより、それには地域の持つ人的・質的・歴史的さまざまな特性が与って大きかったことは言うまでもありません。ともあれ、「第三段階」を充実させることに成功した山梨県は、その後「豊かさ日本一」と言われたり、各種のスポーツイベントでの高校生や大学生の活躍に見られるように、今や地域実現の「第四段階」に突入しています。余り知られていないことですが、通産省の調査ではニューメディアなどの情報化進展度も山梨は、東京、大阪、神奈川についで全国第四位という極めて高いレベルにあります。

 もとより、山梨は盆地であり、古くから盆地特有の個性的人材を多く輩出してきました。それが特に民業に向いましたから、彼らは明治期、我が国の産業近代化に大いに貢献しました。そのことは、今でも「甲州財閥」の名と共によく知られているところです。しかし、それが文字どおり人材を中央に向けて輩出することであってみれば、周辺としての地域は活力を失ってもいったのでした。

 こういう周辺と中心との関係は、一極集中を促し、東京は早くから「第三段階」を迎え、そこにヒト、モノ、カネを集中させたのですが、あのように密度の高い人口や土地価格ではコミュニティの形成は不可能で、より高い品質の生活をそこで実現することは余程のことが無い限り不可能になってきました。かてて加えて、失われた自然環境は、「第二段階」の自己の生命の安全をすら脅かしかねないという意味でマズローの階梯を、首都圏は逆に退行し始めていると言うべきかも知れません。

 かつて、都市の経済発展は、自然環境を根こそぎ排除することによって実現できると考えられていたのですが、今や、それより高い段階に到達するためには豊かな自然環境が必須の用件に数えられるようになりました。そしてマズローのヒエラルヒーで「第三段階」を越えた山梨県には、文字どおり豊かな自然とコミュニティが形成されています。

 人が生きていくその最終的到達点がマズローのいう「自己実現」にあるとするなら、山梨県は最も可能性を内包した地域の一つでありましょう。就職という人生の岐路に、自身の人生のパースペクティヴをこういう視点から考えてみることをお勧め致します。


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