(『中小企業山梨』1985.3 59年第4号)

先端技術に対する県内企業の取り組み方

山梨大学教授

伊藤 洋

 

はじめに
ある中小企業のはなし
ある技術の一生
中小企業の自立のために
おわりに

本稿は,1985年1月29日,甲府市内で行われた山梨県中小企業団体中央会主催,昭和59年度異業種中小企業組織化推進事業,工業シンポジウム【‘85先端技術と県内企業】に際して筆者が行った基調講演のテープをもとに,編集部で筆耕し,筆者が一部雑誌用に手直ししたものである.


1.はじめに――我が国中小企業の概括的実態――

 ちょっと古い統計ですが1979年現在,我が国で企業と名の付くものは 140万2,060 社もあります.それらの階級別内訳は,資本金 500万円未満のものが94万4,550 社, 500万円から 5,000万円のものが42万 5,659社と多数であり,ついで 5,000万円から10億円のものが 2万 9,638社,資本金10億円以上の企業はたったの 2,213社とその占有率は僅少です.資本金の規模 5,000万円以下のいわゆる中小企業が数の上では98%と圧倒的に占有していることが分かります.

 そして従業員1人当たりの付加価値額である付加価値生産性を調べてみますと,大企業が 649万2,000 円であるのに対し,中小企業は 301万円と半分以下しかありません.しかも1960年からの推移を見ても,高度成長の終わった1975年を境に両者の差は再び開き始めています.これはその時期を契機として技術革新のテンポが早まって来たのに,@これに乗り遅れて旧態依然として労働集約型の生産方式のままに留まっていたり,またはA生産性の低迷を大企業に押し付けられたり,あるいはB技術革新に成功した中小企業の中から大企業グループへ移行するものがあったりして,この差は開き続けるているのではないでしょうか.これらの諸原因の中で,@やAは以下で考えてみるとして,Bについてはここで簡単に触れておきましょう.

 中小企業(ここでは資本金が5000万円未満の企業を指しておきます)の中から,新事業創出の機会を捕らえて上位に移行,つまり転換に成功したものと,心ならずも10年を 1日として中小企業に甘んじている企業とがあります.本当は個々について詳細なデータがあると良いのですが,残念ながらありません.そこで1960年を 100とした資本金階級別の会社数の年次推移を調査してみると,全体の67%を占めている 500万円未満の零細な資本の企業数は横ばいであるのに対して,案の定それ以上の階級の会社数は着実に増えています.そしてその増え方は資本金の規模の小さいもの程多くなっています.企業規模の拡大は,経済の高度成長時代には少なくとも定常的であり,一部の例外を除けば常に企業は拡大基調にありました.だから,「親爺,親爺といばるな親爺,・・・親爺,息子のなれの果て」という昔の学生歌の文句ではありませんが,大企業は中小企業の「なれの果て」だったのです.つまり中小企業といえども,明日の大企業であり,少なくとも今はその予備軍であるのです.それゆえ零細規模のものから中小規模へ,中小規模のものから中堅規模のものへ,そして中堅のものが大規模なものへと移行していくのであって,資本金 500万円以下の零細企業は,占有率こそ大きいが数そのものは一定にとどまっているのでしょう.だから大企業は中小企業のファイナルステージであると原則的にはいえるのだと思われます.秋,北国の河を上る鮭の遡行によく似ています.

 それに間違いはないのですが,現実には万年零細企業か,倒産して零細企業ですらなくなってしまうものが,圧倒的数に上っているのもまた事実です.だから 500万円未満の零細企業の数だけが一定にとどまっているのです.その原因は上述の@やAに由来しているのだと思います.そしてまたこれらの原因を支えている実情は,統計表からでは全く分からない個々のものでしょう.そこでこれらの企業群に比較的共通性の高いと思われる実態として,乏しい私の経験から選んでお話し致しましょう.
 


2.ある中小企業のはなし

 私のよく知っている中小企業A社の例をお話しましょう.それはある大手の精密機器を製造する企業の下請けを長いあいだ続けてきた,主として機械的加工を得意とする会社です.従業員数は常時変化していますが,1984年12月を現在として 200人で,典型的な労働集約型企業です.まじめで仕事の仕上がりも良いし,納期もよく守られ,少々の無理もこなして,今日は切削をやれといわれればそれをやり,明日は研磨をやれと言われたら全体制をそれに傾けて注文に応じてきました.だから親企業の評価も高く,高度成長の期間中親企業の成長に同期して躍進を続けてきました.もちろんここでも実に日本的な親と子の関係が色濃くありました.必要な機械設備は親企業が面倒をみてくれますし,その使い方の指導も労働者を親企業に呼んで実地に訓練をしてくれます.その上その間の給与はこれも親企業が支給してくれます.親企業に納入される製品の価格は,親企業の方が何もかも熟知していますから,あほう儲けもしないかわりに損もない,という結構振り?でありました.誠に幸せは何時までも続かず,やがてこの親子の良い関係も厳しいものに変容してきました.石油危機の到来の為でありました.

 ある時,親会社は関連下請け企業の経営者を全員本社に招集しました.何事かと思って馳せ参じてみると,悲痛な面もちの同社専務が,今までの同社によせた協力に謝したあとで,「これまでのように下請けに仕事を出すことは出来なくなった.これからは自分達でよろしく新事業を創出して自らの才覚でたくましく生きていって欲しい.」というような意味の挨拶をされたそうです.私が件の中小企業の経営者と面識を持ったのはこの時からです.

 「まったく,『別れろ切れろは芸者の時に言うことよ.』というセリフを思いだしましたよ.」とA社の社長はしみじみと私に述懐しておりました.

 この時から,「親のない子のような」歩みがこれら下請け企業者達には強いられます.歩の悪い仕事でも食い繋ぐためには致し方ありません.慣れない営業活動を必死になってやりましたが,もともと特定の企業の傘下で仕事のやり方を覚えてきたのですから,他流試合には弱さを露呈します.苦しい戦いをしながらそれでもようやく新しい顧客を獲得できるようになったあるとき,元の親企業から,こんな仕事をしてみないかという誘いかけがありました.それは,企業転換に成功しはじめた元親企業の新規事業の第一段として商品化しようとした液晶パネルの生産でありました.そんな製品は手掛けたことはありませんが,生産に関わる技能の伝授,とりわけ現場労働者の導入訓練は親企業のテストラインを使ってやってくれること,生産機器は長期に貸与してくれるということであり,しかも元親企業の言うことではあるし,苦労して他人から仕事を求めることも必要無くなることを思うとうれしさのあまり二つ返事で引き受けることになりました.こうしてせっかく独立出来るかと思われた矢先に,元の親が出てきて両者の関係は昔のそれと全く同じ良い?ものに還ることとなりました.

 このA社の決定そのものはその時点では決して誤りであるとは言えません.液晶は将来の表示装置として重要な位置を占めるでありましょう.特に微細化,大型化,カラー化,それに高速化の 4つのテーマをもって仕事を修得し,かつ応用技術の研究開発を進めるのであれば,独自の商品として市場に参加出来るでしょうと,私はこの経営者の決定を正しいこととして評価しました.しかしこれは誤りであることが早晩判明しました.それはこの商品がその頃から急激に生産量を増加させ,そのために稼ぎに追い付かないほどの繁忙に見舞われたことでした.数少ない技術者は上の 4つの地道な研究・開発など何処吹く風とばかりに,増産増産に開け暮れるようになってしまいました.この間,親企業は合理化工場を台湾に作り, これが軌道に乗り始めると,発注量をいっきに半分に落としてきました.そしてこの過酷な処置は一も二もなくこの企業の増産努力と技術革新努力の不足から来たものだと分析されてしまいました.

 しかし親企業の業容の改善があり,代わりに今度は親企業のやっているLSIの後工程をやってみないかという提案がありました.そこでA社では液晶工場を閉鎖してそちらに転換したいがどうかと私に相談にきました.かくて 3年にして業態の変更がまたまた話題になってきたのです.このような事態は我が国の中小企業の多くがやっている不断の事柄に属します.中小企業だけではありません.同じようなことは,私の三日坊主の勉強にもよくあることですから,もとよりA社のやり方をここで非難するなど,とんでもない身の程知らずのことであります.
 


3.ある技術の一生

 ここでちょっと脱線しますが,ある技術の一生涯についてお話しましょう.

 昔話(メルヒェン) というものがあります.他方これとよく似たものに,伝説と呼ばれるものもあります.後者は大概私達の身の回りに現存する,山とか,湖とか,川などの発生の謂れを言い伝えたものです.つまり伝説は,存在するものの根拠を科学によらずに理解するための方便であると言ってもよいでしょう.しかし昔話はこれとは意義が違います.昔話は単なるお話に過ぎず,話の目的を本来持っていません.また,人から人へ語り継がれるにつれて細部は激しく変化しながら,それでいて人々の心の深層にあるものと共感する部分は不動のものとして語り伝えられてきました.つまり昔話には記号論的意味が多く含まれているのです.

 人に一生があるように,技術にも生涯があります.技術はどこで,誰が発見するのでしょうか.ところで,新しい何物かを生みだすという行為は,現存しないものを現実の世界に持ち来すことです.それではそのものはそれまでの間何処に在ったのかと言いますと,それは異界に,つまり私達のではなく,異なる世界に厳然と存在していたものです.だから,異界にあるものは,異界と交流できる者だけがこれと接触する機会を持つに過ぎません.

 異界と接触した話は,昔話の中に沢山あります.こぶとり爺さんは山の天狗と,桃太郎は鬼ヶ島の鬼と関わって宝物を獲得しました.鶴女房の主人公嘉六は傷ついた鶴を助けることによって,「目もあてられないような立派な」美人と,彼女によってもたらされた,6,000 両という莫大な富を得ました.信貴山縁起絵巻の村の長者は,信貴山の命蓮という価値観も構造も違った世界の住人と関わってこそ,世俗の富を手中に納めることが出来たのです.このように,この世と異界との接触は,あちらにとって無価値であるものをこちらに持ち来すことによってこちらに富を生み,またその逆にこちらにとって無価値であるものをあちらに移出することによって,あちらでの富を生ずる場合において,交流の実を挙げることが可能となるのです.この交流を実行する者こそ科学者であり,研究者であり,技術者です.そしてこの交流によってこの世には未だ無かった技術的シードがもたらされるのです.

 さて,こうして異界との交流者によってある一つの技術がもたらされるところから,歴史が出発します.この新生児技術のかわいい寝顔,輝く目つきや秀でた額,末頼もしい才能の片鱗を見た人々,わけても親類・縁者の間で誇大に評価が高まって,これに大いに期待が持たれ,【先端技術】ともてはやされます.この段階では,先端技術は周囲の期待感を一身に受け,これを栄養源としてすくすくと成長してまいります.特に我が国の人々はこの先端技術が外国で生まれると,ちょうどキリスト降誕の折り東方の博士達が,かいば桶に眠る救世主を拝顔しに出掛けたように,調査団を編成して見学に行き,その帰朝報告が多分に潤色されることもあって,華々しく宣伝される傾向があります.しかし,この先端技術がよちよち歩く頃になりますと,当初大いに褒められたような才能も,本当に使いものになるものかどうか,疑わしいような面を見せることがあります.また成長もはかばかしくないこともあったりして,期待感は萎えていきます.これからがこの先端技術の本当の成長期になりますが,世間や場合によっては家族の目も厳しく,つらい冬の時期ということができます.そのようなつらい時期こそ性能を磨くべきチャンスであり,この時期の修練こそ後々の実力に大いに役立つのです.

 こうして,やがて実力無双の立派な青年,【成長技術】となって市場に送り出されていきます.そして歓呼と羨望の声に迎えられ,破竹の勢いで進んでいきますが,通常この時期はサンク・コスト(埋没原価)の少ないのが特徴ですから,あちこちから新規参入者が現れて,激しい競争の中で,これはいよいよ磨かれます.このような成長技術の時代は,およそ時間的には先端技術時代と同じ程度であるのが普通です.ただ,こうして人口に膾炙するようになる頃には,そろそろ勢いも峠を越え,オールタナティブという名の勢力を脅かす代替技術が現れてきます.この頃を【成熟技術】と呼んで,この技術に依拠していた一同は大いにあわてふためくことになります.ここまでに,およそ50〜60年の歳月が流れていきます.

 このような老齢になりますと,もはや引退出来るかというとそうはいきません.この技術を大いに活用していた人々のうちで,勢力のある一族と,力不足の者達とがあって,後者はこれを支えるに資金的不足をきたし,やがて脱落していきます.資金的余裕のある二三の団体だけが残って,時に圧力団体などを結成しながら,件の技術を商品として世に送り続けるのです.しかし,これも順調にいくわけではなく,時に闇カルテルなどをも結びながら維持に務めなければならなくなります.この頃には,【構造不況業種】という名前を付けられながら,政府の援助を受けつつ生存を保つことになるでしょう.

 しかし,それでもこれを維持し続けることは難しく,やがて【伝統技術】という名の技術となって,ひっそりと老後をおくる身となります.この頃ともなると,かつてこれが異界にあったとは思えないほど垢抜けした姿となって,技術的財というよりも,芸術的色彩を帯びて,市場よりエアコンのよく効いた博物館や美術館において人々の鑑賞に耐えるものになっていることでしょう.こうして激しかった生存競争から解放されて,この技術は初めて涅槃の境地に達することができます.以上が或る技術の一生の物語のあらましです.京都の西陣染め,南部の鉄器,伊万里の陶器,ゾリンゲンの刃物,エディソン以来の白熱電灯,SL機関車D51などなど,枚挙にいとまない元先端技術を,いま私達は身の周りに見ることができます.
 


4.中小企業の自立のために

 さて新技術の発生は,異界との交流によって得られると述べました.異界は私達の世界との間に厳然たる障壁があるゆえに他界なのです.異界に行くのには,針の原,火の山,真っ赤な血の海など,そこに至ることを厳然と拒む障壁が用意されているのが普通です.それゆえそこに渡るには鋼鉄製の足裏を持っている人,どんな高温にも耐える羽を身に付けた人,はたまた血の海もものかわこれを平気で泳げる泳法を身につけている技術者がいなければなりません.その上に最も大切なのは,渡りたいという熱烈な願望と,渡ることの正当性,かてて加えて冷静沈着・周到な企画が挙げられます.こうした諸条件に恵まれて初めて異界との交流が可能となるのです.まして親企業が船を用意し,操舵の技術を伝授し,難破したらば救助もしてくれるというような体制に自らの身をおいて,それでも異界と交流しようなどというのは出来るわけもない話なのです.そしてまた,これも中小企業の技術革新の話だけではありません.この話は何処か成長して巣立つ息子とそれを引きとめ自分の手元にとどめようとする母親との葛藤にも似ていると思います.

 昔話に戻りますが,浦島太郎は40才にして,お嫁さんも貰えない程のマザコン男だったようです.連日の大風で漁が無く食い物にも困った浦島は,束の間の晴天を利用して海に出ます.魚を求めて糸を垂れていると大きな獲物が懸かります.勇んで上げてみると大きな亀が懸かっていました.そこでこの亀を,再び針に懸かるなと戒めて海に放してやりました.また釣りを続けていると同じことがあり,浦島はうんざりしてきました.それでも我慢して釣りをしていますと件の亀が現れて,竜宮城へ行かないかと誘います.「それでは後にお母が一人残るから,そんなことは出来ないよ」と言うと,「お母には不自由なくしてあげるよ」と亀が言います.そこで浦島は亀の背中に乗って竜宮城に行きました.竜宮城へ行ってみると,「乙姫さまやきれいな娘もたくさんいるし,着物を着換えさせてくれるしする」ので,浦島にとっては天国です.そこで楽しく 3年の月日を過ごした後,亀に乗って故郷に帰ってきました.しかしそこには知る人はなく,失意のうちに土産にもらった三ッ重ねの玉手箱を開けると,白い煙がぱっと上がって,たちまち浦島太郎は純白の鶴に変身し,松原で一部始終を見ていた乙姫様の化身である亀と一緒に舞をまったというのが,香川県仲多度郡で採話された浦島伝説です.

 ここには,いくつかの記号論的意味があるようです.その第1は浦島太郎と母親の関係です.母親は時折息子に向かって,「浦島よ,浦島よ,わたしが丈夫なうちに嫁もらってくれ」というようなことを言っています.しかし息子の浦島は,「わしはまだ稼ぎがないから,もらっても食べさすことができん.お母があるあいだは,日に日に漁をして,このままで暮らすわい」などと言っています.そのうちに母親は80才に息子は40才にもなってしまったようです.なぜこんな歳になるまで結婚しなかったのでしょうか.それは二人ともその気にならなかったということです.その気にならないでも居られたということは,その状態が二人にとって,随分と居心地の良いものであったからにほかなりません.まことに母性は童児の成長にとっては必須でありながら,青年男子の自立にとっては時として障害になることがあるのです.

 第2に,竜宮城は何処にあったのでしょうか.深い深い海の底でしょうか.そうではありません.それは母親の子宮の中にあったのです.40才になった中年の男の退行していく場所としては数多くあり得ます.小じんまりとしたマイホーム,カラオケ酒場のマダムの胸,脱サラ農業など,退行するに格好な場所であります.しかしそれはまた別の話,浦島太郎にとっては彼の母親の子宮であったようです.だから乙姫様も亀も母親の化身だったと言ってよいように思えます.

 長々と他愛もない浦島物語などについて述べたのは,外でもありません.私には上の中小企業A社と親企業との関係にも,この浦島伝説的な匂いが感じられるからです.私が日本的だと言いますのは,そのような甘えと退行とそれを受け入れる体質を指して言うのです.このような関係に身を置く限り,中小企業と大企業の自立した相互関係は望むべくもありません.本来甘えたり甘やかしたりではなく,相互に独立した健全な関係をどう構築していくかが最も腐心されなければならない問題だったのです.そのための主要な条件は,中小企業下請け関係に親とか子とかいう意味を排除して考えることが主要なテーマです.そこから自立した大人の関係を意図しないかぎり,中小企業A社の未来はなお,他動型でしかあり得ないのではないでしょうか.
 


5.おわりに――県内企業の明日のために――

 中小企業といえども,明日の大企業であることを知っておくべきであると言いました.しかしそこへ到達することは,異界と交流する勇気と意志と情熱とその必然性,それに何より自立した精神が無ければならないとも述べました.こう言ったからといって,私はすべからく中小企業よりも大企業の方が偉いんだと言うつもりもなければ,皆中小企業は大企業を目指してやらなければならないと言うつもりもありません.それは企業にいる人達の価値観の問題なのですから.ただ,この価値観だけはよく企業内で構成員全員が知悉しかつ確認しておく必要がありそうです.

 アメリカの社会心理学者E・H・エリクソンによって提唱された心理学用語にアイデンティティー(identity)と云うのがあります.近年CIブームというのがあって,これがコーポレイト・アイデンティティー(corporate identity)の略で妙に流行しましたから,ご存じの方も多いことでしょう.エリクソンの言うアイデンティティーというのは大変複雑な概念ですが,強いて日本語に翻訳するのであれば「自己同一化」とでも云えば,まあ当たらなくとも近い感じが致します.つまり,歴史的な過去から現在へそして未来へと続く時間の流れと,社会的・空間的広がりの中にあって,自分は或物であって別物ではないと云うことを,自らも他者からも同定されていくことが,アイデンティティーを確立することだというのです.つまり自分と他者との違いを知り,かつ客観的に自己の能力を・・ときには能力の不足していることを含めて・・的確に知ること,そこから未来のより良い自己実現の方途を探ること,それがよりよく生きることに繋がるのだと云うわけです.

 この概念は,民俗学的観念の研究に有効でしたが,そればかりではなく個人や組織,分けても企業などにとってもよく適用できる考え方です.そこで最近コーポレイト・アイデンティティーの問題がクローズアップされてきました.すなわち高度成長から安定成長へと,企業の存立をあやぶませる程の変化が到来してきた事態にあって,いま一度我が社は何物なのか,何をするために存在すべきなのか,将来は何物になろうとしているのか,・・・,企業構成員全員で確認しておこうというのです.上に私は価値観の問題だと言いましたのは,このアイデンティティーをしっかりと確認することこそが急務だと言いたかったのです.

 そのために,まず第1に,時間の座標軸の上で検討します.すなわち,@自己の企業は過去において一体何物であったか,A現在は何物なのか,とりわけ今存続するに値する内容を持っているか,B未来においては,自己をどう確立しようとしたいのか,Cそのためには当面何をなすべきか,Dそれに必要なのは金か人間か技術要素か,それともそれらの全てか,Eそれならそれを目指して今日・明日やるべきことは何か,・・・・・真剣に議論・検討されなければなりません.

 第2に,空間座標軸での議論・検討が必要になります.それは社会から自己がどのように認知されているかを知ることと,社会的分担を負う責任感を確立することです.つまり,@自己の企業はどの程度の空間的広がりの中で知られているか,Aいかなるものとして認められているのか,Bそれは自己の評価と一致しているのか.Cそれによってどういう種類の他者と交流・協業・提携しあえるか,そのためには,D空間的広がりはこれで十分か,E不十分だとしたらどうして拡張するか,F社会にとってどの程度必要な存在か,無くてはならないものか,それとも無くてもよい程度のものか,・・・・・などを検討する必要があります.こうして未来に連なり,かつ広く社会的存在として自己を確立することが,企業の大小を問わずに必要な事だと思います.

 こうして自己を確立することは別の見方をすれば,技術的専門・特化を意味します.デュルケームは,「分業は自発的である場合にのみ,また自発的であるかぎりにおいてのみ連帯を生む.」と言います.現代は情報化の時代です.情報化社会の1つの側面はこれがネットワーク社会だということです.ネットワークの結節点に位置を確保し,かつそのなかでキャスティング・ボウトを掌中に納めることは専門・特化という自己確立に成功した者だけが許されるのです.

 ところで,桃太郎が鬼ヶ島から富を獲得するについては,その功績を桃太郎一人に帰するわけにはいきません.それは彼と同行した猿・雉子・犬の,それぞれに専門の異なる技術者の謂わば異業種分業の成果だからです.これら1人と3匹の専門家は自己の専門性においては,他にかけがえがありません.それゆえ相互に他の不足する部分を相補的に連係する組み合わせを自発的に作って鬼ヶ島攻略の難事業を達成出来たのです.桃太郎1人だけではこれは不可能だったことでしょう.ここで彼らの連係とパワーを促進したきびだんごの提供者お爺さんとお婆さんの存在は重要でした.だから現在,お爺さん・お婆さんの役割を果たす交流の促進者として中小企業団体中央会や業界組合,公共団体の商工行政担当者の役割もまた重大です.その役割はいかにユニークなネットワークを創造するかに係っているのです.企業はすべからくアイデンティティを確立した上で,このネットワークの結節点に位置して状況を決定できる自力と自負とをものしなければなりません.それだけが先端技術時代の企業の生きる途だと私は常日頃考えています.

 そろそろ私に与えられた時間が終わろうとしています.話をまとめておきましょう.先端技術は異界にああるものです.だから異界と交流する心構えや体力,交流しようとする情念が無ければならないと言いました.ましてや,どこかの大企業の傘下で「三年寝太郎」をきめこんで,無為な時を過ごすことなど許される訳もありません.

 それでは先端技術は何処にあるのでしょうか.それは貴方のすぐそこにあるのです.先端技術などというと,TVや新聞・雑誌でよくみるように,バイオテクノロジー,ファインセラミクス,ニューメディア,INS,コンピュータ等々を指すものと思ってしまいます.たしかにこれらも先端技術です.しかし,もし貴方が工作機械屋さんであるとして,先端技術だからといって,バイオケミカルをやる専門家に転向するとしたらどういうことになるのでしょう.それこそ時間の軸の上で分裂してしまうに違いありません.先端技術は貴方自身に付着しているのです.

 それでは先端技術への入り口――異界への通用口――は何処にあるのでしょう.それは,貴方の会社で過去に難しくて出来っこないとして,顧客の注文を即座に断っていたもののリストを作り,それらを改めて検討・洗い直してみるところにあるのです.一人で解決出来ないときは,人から知恵を出してもらうのです.これ以外に先端技術・異界へ通ずる途は無いものと肝に銘じて下さい.

 その時必要なら,CAD,データベース,大学や公設研究機関,種々の情報ネットワークをも動員されれば良いでしょう.とりわけface to faceのコミュニケーションネットワークを普段から構築しておき,こんな時こそこれをフルに活用することが大切です.もしそんなネットワークを貴方がお持ちでなかったら,いますぐに作ることです.ネットワークは小さく始めるとよいでしょう.何にもまして,「始めること」こそ肝要です.ご健闘を祈ります.

 最後に,校内事故による障害者,元群馬県教員星野富弘の画集から,私の大好きな1つの詩を紹介してこの拙い稿を閉じたいと思います.最後までお読み頂いたことを心から感謝します.また講演の機会を与えられた,社団法人山梨県機械電子工業会会長横山英輔氏にお礼申し上げます.

 (文中,昔話の引用は関敬吾編『日本の昔ばなし』全3巻〈岩波文庫〉1967年,統    計データは『数字でみる日本の 100年』〈国勢社〉1982年を参照致しました.)

―――――――――たんぽぽ――――――――――――

いつだったか

きみたちが空をとんでいくのを見たよ

風に吹かれて

ただ一つのものを持って

旅をする姿がうれしくてならなかったよ

人間だってどうしても必要なものはただ一つ

私も余分なものを捨てれば

空がとべるような気がしたよ

―――――星野富弘『風の旅』より――――

 


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