(『中小企業山梨』1983.10.31)
本稿は,(財)山梨県中小企業団体中央会機関紙季刊『中小企業山梨』誌‘83年巻第2号の求めに応じて執筆したもの.
「未来の衝撃」の著者アルビン・トフラーは、その著書「第三の波」の中で、人類はまず始めに原始農業社会を作り出し、やがてワットの蒸気機関に触発されて工業社会を創造するに至ったが、現在この高度に発達した工業社会は大きな変革の渦のなかで混乱している、と説いている。彼はこれら農業社会、工業社会をそれぞれ「第一、第二の波」と名付け、そして今私達の社会に衝撃を与えているものとして、これを「第三の波」と命名した。トフラーはこの「第三の波」の具体的な内容にも大胆な推論を試みているが、その詳細の当否は別にしても、少くとも今日の技術社会を集約的に認識・分析した論として極めて有益なものだと言うことができる。そこでいささか立ち入り過ぎることになるかも知れないが、私見も混えて初めに、現代の技術社会を概観してみたい。
いたって複雑に見える現代の工業社会も、それをつき動かし、操作しているものは、つぎの六つの「特徴」に集約される。その第一は「極大化」であり、資本、人員、生産設備などは、素材、エネルギー、大衆消費材などの産業分野で著しい。二番目は「分業化」が挙げられる。生産工程などにおける作業の流れは分割された専門的職種を生み出し、各職種間での孤立化が目立つ。第三には「規格化」がある。工業製品が社会の隅々に浸透していくにつれて、各種の工業規格が制定され、製造設備、治工具、部品などの幅広い利用が可能となる。そのメリットの反面、全く別種の新技術が提案されたとき、激しい混乱を生起するなどのデメリットが無視できない。TVR、光ディスクなど現在その例は至るところに存在する。第四には「同時化」を指摘することができる。世界大でのコミュニケーションの発達につれて、技術情報は極めて短時間に各国、各地域に伝達される。その結果似たり寄ったりの開発テーマによって競争が激化し、タイミングのはずれた商品は陳腐化する。五番目には「集中化」を挙げる。特定の地域に工場や市場が集中し、効率の高い状況を作り上げている。反面、人口の過度の集中や環境の悪化などのマイナス要因も集中している。最後に「中央集権化」をも加えることができる。我国では主に東京を中心として本社機構をもつ企業が多く、技術情報はここに集中し、そこから二次情報として周辺地域に分配されてきた。そのために、先端技術にいち早く接することは地方にあっては難しい、とされてきた。
以上見てきた六つの特徴は、七〇年代中期までは、工業社会を支えるプラスの要素とみなされてきたものである。このことは、その時期までは、大量消費に支えられた大量生産が工業社会の唯一の在り方であったことによる。しかし、二度にわたる石油危機は、大量消費は市場の有限性に、大量生産は資源、エネルギーの有限性によって阻まれるべきものであることを如実に教える結果となった。今日から見れば、このような事態は必然的なことであり、それゆえ六〇年代末にもてはやされた「未来学」は、石油危機の予測すらできなかったとして無力視されるに及んだ。この結果我国では、巨大化の一途をたどった資源、エネルギー、基幹材料(鉄、アルミなど)を中心に生産が著しく鈍化することになった。
「大量生産」・「大量消費」は言葉の正確な意味では存在し得ないものである。そうであってみれば、右に掲げた六つの特徴は我国ではもう非力化せざるを得ないと言うことができよう。そして今、八〇年代は「大量生産」に代わるパラダイムとして「多種少量」が合い言葉になっている。
一九七〇年代までに高度に発達した工業社会は、前述の「集中化」の中にあって、とりわけ新産業都市の指定地域を中心に集中していた。そのため、本県では右の六つの特徴のどれ一つとして満たすものがなく、いわば工業後進県として温存?される結果となった。しかし、右に述べたように我国の工業社会の質的転換は、臨海工業から内陸部工業への著しい変化を招き、とりわけ資本集約型から技術・知識集約型工業へと推移してきた。加えて企業誘致が積極的になされ、石油危機の後遺症からいち早く立ち直った技術集約型企業だけが県の誘致に応じたことなどのために、本県は一足飛びに先端工業の発展するところとなりつつある。このため、一九七九年現在で、府県別実質純粋生産額では四七都道府県中四五位の低きにありながら、製造業における固定資産投資額の一九七五年から、八〇年までの伸び率は二一六%の高きにあって、この値は断然全国一となっている。製品出荷額でも同様に八九%の伸びを示して、これも全国第七位にある。これらの数値を反映して、県民所得は一九七七年および八〇年にあっては全国でそれぞれ第三八位から第二八位へと急上昇し、一九七四年より七九年までの伸び率でみると六五%となり、これも全国で第一位にランクされている。とりわけ、IC、産業用ロボット、電子計算機とその周辺機器、医用電子機器、光通信関係などの先端技術産業に限定してみると、山梨県は東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬、長野、愛知、大阪および兵庫などと共に著しい伸びを示し、これらの産業分野の伸長が、右の数値に大きく寄与しているのである。
さて以上みてきたように、本県工業の質的な著しい転換は、それ自体がトフラーの言う「第三の波」の工業に分類され、それゆえに未来型工業と言うことができるのであるが、反面これは本県の中小企業に多大なインパクトを与えずにはおかないものでもある。そこで以下ではこれからの未来産業の特徴について考えてみよう。「大量生産・大量消費」をパラダイムとする「第二の波」の工業のアンチテーゼとしての「第三の波」の工業は、必然的に「多種少量または中量」をパラダイムとして設定するものである。(よく「多種少量」という言葉が使われているが、このことについては注意を要するので後に若干の説明を加える。)そしてこの型の工業の特徴は、資本集約型であるよりも、すぐれて「技術集約型」であることが挙げられる。そのため昨今ベンチャー ビジネスの成功例が新聞紙上等を賑わすのである。
こう述べてきたからといって、「多種少量または中量」を志向する工業形態が先端技術を有する工業をのみ指すものではない。既存の商品分野のほとんど全てにおいても、このことは適用される。自動車や家電など六〇年代で見れば全く「少種大量」であったものが、機種の数は目まぐるしく増加し、しかも機種間のそれぞれが持っている特徴や関係も多種多様であり、かつ必ずしも低価格機種が高級機種の亜流であるといったものだけでなく、機種それぞれが異種の性格を帯びたものとして多様に実現されているのが実態である。このように言葉の正確な意味で「多種化」が広く起こっているのは、消費者が過去におけるように、物を単に「所有」することにのみ主眼を置くのではなく、物を通して「自己実現」を計ろうとする傾向が顕著であることによる。現在パーソナル コンピュータや8ミリVTRなどの売れ行きが好調であるが、これらの商品はそれ自体が多様な使われ方をするもので、本質的にソフトな商品であることが特徴なのである。さて、「多種少量または中量」をパラダイムとして選んだ工業の特徴は「大量生産・大量消費」を目差した工業の六つの特徴、すなわち「極大化」、「分業化」、「規格化」、「同時化」、「集中化」および「中央集権化のことごとくを逆転させたものと極論できるように思われる。したがって、右の六つの特徴は、今日では「軽装化」、「交流化」、「自由化」、「独創化」、「分散化」および「地方化」とそれぞれ言い換えなければならない。「軽装化」とは、前述のように「多種化」の中で緻密な技術的対応が大量なテーマをもってなさなければならず、巨大な組織をもってしては実現がおぼつかない。つまり小回りのきく身軽な経営形態が必須である。「分業化」の対語としての「交流化」は、全く新しい商品の開発・製造にあっては、異った専門職種間が分業するのではなく、異業種間交流などの組み合わせによってなされることを要求する。「自由化」とは、例えばマイクロ コンピュータ搭載機器のように、それがごく一部分のパーツに過ぎない場合でも、その中では利用できる機能を自由に使い、最終的には本体の機器との間をインターフェースによって連結することにより、所望の機能を実現するような、発想の自由さが可能であることを意味する。また、イノベーションにあっては規格がそもそも存在していないのである。つぎに、世間の流行が大枠としては存在するとしても「多種化」の中では常に独自の商品価値が強く要求されるのであって、似たり寄ったりの商品は厳しい価格競争に曝されて商品寿命を短かくする。よって、「独創化」が重要な要素となる。「分散化」は商品種、製造部門、決定の流れなど分散させ、変動する環境に耐える弾力的システムづくりを要求する。近年大企業ではこの傾向が想像に絶する勢でなされている。「地方化」については、本県の現状として既述したので説明を略す。
このように、「第三の波」としての未来の工業の特徴は、おしなべて「中小企業」のすでにもっている存立基盤に、表面的には極めてよく似通っていると言うことができよう。「表面的には」と断ったのは、言う間でもなくこれらの特徴を支えるものとしては、すでに述べたように、これらの工業が技術集約型であり、それゆえ開発力、新技術創出力の有無が重要な要件であることを言わなければならないからである。そして本県の中小企業に見る限り、今日この新技術創出力が必須な要件として望まれ、それなくしては将来への展望は開き難い。こういった六つの「新しい特徴」の中で、新事業創出の機会に恵まれた企業が山梨県内にもいくつかその例を見ることができる。つぎにそれを紹介しよう。
一九六五年一月、政府によって策定された「中期経済計画」では「低生産性部門の近代化」が重点施策として設定された。これは当時、重化学工業部門の著しい発達の中で、中小企業と大企業の間に技術力、資本力等の大きなギャップが形成され、数の上では圧倒的多数の低生産性部門としての中小企業が我国経済のアキレスの腱として、その成長を阻害するであろうとの予測の下に策定されたものである。しかし、現実には工業社会全体の質的変化もあって、中小企業の中から新事業創出やイノベーション機会をとらえて上位へ移行する企業が続出したために、このことは杞憂となった。本県にあってもそのような例はいくつかあるが、紙数の関係でN社の例のみをレポートする。本号に風間善樹氏の記事があるので併読されたい。
N社は甲府市に本社を持つ精密機器メーカーである。資本金五〇〇〇万円、従業員数六〇〇人、県内に三工場を持ち、八二年度の年商は六六億余円とすでに中堅企業と言ってよい状況にある。主力製品は、複写機用普通紙(PPC)のオート ドキュメント フィーダ(自動給紙機)を中心とするオフィス オートメーション(OA)周辺機器、キャッシュ ディスペンサ等々の金融機関関連機器、ビデオ カメラを含む光学機器関連、自記記録計などの科学計測機器およびタコ メータを主とする自動車関係機器、その他などである。これらの製品のほとんどは「多種中量または少量」である。
ところで、某大手カメラ メーカーのK社では、七〇年代末になって業績の伸び悩みが始まり、大衆用機種の開発テーマを模索していた。このとき、都内の自社系の現像所で、現像を依頼されたアマチュア写真の出来上がりを一定期間調査した。この中で、失敗例を調べてみると、その原因は採光の不適と焦点ぼけの二つに集中していることが判明した。その結果、採光不足の対策としては大衆機にストロボを内蔵させることにして販売したところ、予想外の売れ行きを示して、業績を一気に回復した。第二のピンボケについては、自動焦点機構が考えられるが、ストロボ内蔵カメラの売れ行き好調で開発に手間どり、本N社の協力でこれの開発に成功し、世界のカメラに先行して、オート フォーカス カメラが発売されることになった。当初はK社の大衆機にのみ装着されたこの機構も、現在では国産のほとんどのカメラに採用され、中級機、高級機の一部にまで搭載されるようになって、N社の主要製品の一部であるばかりでなく、カメラのキー パーツとしてなくてはならないものになっている。この開発技術はそのまま、自動絞り機構に転用され、ホーム ビデオ カメラのオート アイリスとして、折りしもホーム ビデオの急激な普及とあいまって急成長を遂げているが、現在この商品では世界市場の実に半数をOEMとして提供するまでになっている。
N社では数年前より、OA周辺機器に進出を計り、コピー用機器の自動給紙器などを製品化している。我国にはジアゾ複写機を含めると一〇余社のメーカーが複写機を製造販売し、現在は普通紙用複写機が主流をなしている。情報化時代を迎えた六〇年代中頃より、オフィスや学校における複写業務は、質・量ともに増大し、需要の伸びに支えられて、連年三割成長を続けてきた。石油ショックのあおりを受けて、ジアゾ複写機メーカーの一部に業績不振が見られたが、多くの企業は普通紙複写機に移行して、引き続き成長を続け、現在ではいずれも中堅企業として有名をはせている。N社は、オフィス部門の生産性向上の志向は必至とみて、メーカーが本体機器の開発競争にしのぎを削っている間に、PPC用オート ドキュメント フィーダを開発した。発売当初の売り上げは必ずしも好調ではなかったものの、本機のオプションによる搭載率は順調に伸び、現在ではこの部門の業績の社内シェアは最大となっている。これは、この機種がマイクロ コンピュータを内蔵していて、複写業務の多様なニーズに対応でき、大幅な省力化やオン ライン化が可能であるなどのセールス ポイントを持つ商品であることによる。しかし、ここにくるまでには、ディジタル技術を零から学ぶなど、技術的な改善の努力は並々ならぬものがあり、この間山梨大学との関係も少なからずあったと聞いている。こうして現在この製品は国内のほとんど全複写機メーカーの、かつほとんど全機種に適合する「多種中量または少量」の商品としてラインナップが完成している。この成功例は右に見たように、本体製造メーカーが、本体そのものの開発で手いっぱいの状況にあって、周辺に向けて力を集中できないこと、各社の制御システムに丹念に適合する緻密な開発に努力したこと、ニーズの先取りがうまくいったことなどが挙げられる。このように同社の製品の市場への提供は、大企業と水平な関係を創り出すことに成功している点が特筆されてよい。この例を一つ一つ見ていくと、これらの成功例が、ことごとく前述の「新しい工業の特徴」として挙げた六つの特徴と驚くべき一致を示していることがわかるであろう。N社は技術開発スタッフに、専門分野のまちまちの技術者一〇〇名を投入していることからみて、技術集約型企業として、その存立基盤を確立しようとしていることが伺われる。また製品群も多種であり、製品のほとんどが、いわゆる「すきま商品」と言ってよいものでありながら、各製品の機能面から言えば、キー パーツとしての役割をもっているところも注目されてよい。
N社の場合には、研究・開発活動が活発になされ、技術営業部門の先見性も有効であったが、その成功の要因としては、「多種少量」の商品開発の際に、中核となるブランド名をつけている大企業が本体の開発・製造競争に忙殺されて、周辺の開発に全く手薄なことが挙げられる。このように主流部分の競争に追いまくられている大企業が、その上流や下流部分では全く非力とならざるを得ない状況が露呈している。そのような例はIC製造の場合などには、きわだって多数の例があるが、ここではいちいち述べる余裕がない。ただここで言えることは、比較的専門分野の狭い領域に限定される中小企業に良く合った役割が随所に存在すること、それゆえ一つの商品を完成する行為の中で、大企業に従属するものとしての中小企業ではなく、水平に役割を分担するものとしての「中・小堅」企業としての在り方が明日の中小企業の自己実現の姿でなければならないということである。現在でもある「大量生産」システムによって製造されている一部の工業では、大企業はメカトロニックスの導入によって著しい勢で自動化を推進しており、重層構造としての下請企業との関係でいえば、納入価格の低減の圧力を増していくか、内製化によって関係を絶つなど、下請企業にとっては深刻な問題が発生している。すでに見てきたように、技術革新のシードは多種多様で、将来ともその傾向は増加の一途を辿っていくものと思われる。この革新の機会をとらえて、中小企業が質的転換をなしとげていく必要性は、一企業の存立の可否であるばかりでなく、本県の技術社会全体の将来性にかかわる重大問題である。そのためには、前途の「新しい企業の特徴」に合致するように体質の転換が計られることが須要であるが、一、二そのためのアプローチを補足的に述べてみよう。
技術集約型企業を支えるものは、すぐれて「人」である。それゆえ、能力に恵まれた人材の確保に力を注ぐことは言うまでもないが、企業が世襲性などによって私物化されたりするように、人材の能力発現の意欲を阻害するような人事政策があってはならない。前述の「地方化」の傾向の中で、山梨大学学生を初め本県出身の学生が、地元に就職を希望する数は急上昇しており、将来とも増え続けると予想されている。リクルート市場の健全化の上からも切に望まれることである。
現在、山梨県では「技術所在リスト」の作成などに努力しているが、県の「場・所」や大学などを積極的に利用することが望ましい。この場合には、具体的に問題点を整理して、利用者自身の主体性を確立して臨むことが必要である。大学の公開講座なども徐々に活発に行われつつあるので、これらを活用するのもよいし、テーマの選定に意見を寄せることも可能であろう。
今日の工場が「多種中量または少量」をパラダイムとしていることをすでに述べた。これを実現するものとして、メカトロニックスが重要な鍵をにぎっている。ロボット、NC、マシニング センター、画像処理装置などは「多種少量」工場への必須機材であると言われている。しかし、これらの先端的機器にはソフトウェアが内蔵され、それに習熟していることが必要である上、これらの機器は本質的に「中量」以上の生産において偉力を発揮するものであって、決して世上言われているように「少量」向きではない。また、これらの機器は生産の流れ全体の中で評価されるべきもので、先端的機器の前後に直列したボトル ネックがあると、いたずらに混乱を招く。メカトロニックスの成功は、ソフトウェアなどを含めて周辺技術の開発・整備と抱き合わせて考えられるべきである。自動化ラインの設備といったことは、大企業の存立基盤と一致してしまい、中小企業の存立の長所を失うことにもなりかねない。その意味から、新しいシステムの導入は主体性を確保してなされる必要がある。
ロボットを例にとると、これの究極の姿は、これが人間に限りなく近い能力を持つことである。そうであれば、ロボットは等身大の能力を有するに過ぎないと言えなくはない。特に零細な企業にあっては、現有の職能者の技術力の向上が、現在でもなお先端的なのだと極論できるように思われる。
編集部から与えられた紙幅が尽きた。大きく転換しつつある山梨の技術社会の明日は明るい。中小企業の参加の道も数限りなくある。その中では、存在の意義を持っている企業だけが存立の必然性を持つ。小文が何かの役に立てられれば幸いである。執筆の機会を与えられた編集委員会、とりわけ事務局の長田正三、金丸猛雄両氏、また文中N社の記事については丸山博氏を煩わした。本文執筆について数多くの資料を参照した。いちいち列挙しないが併せて深甚の謝意を表する。