円高シンドロームの続く中で、来たるべき世紀における本県工業界の姿を想定することは難しい。これは、パックス・アメリカーナを基軸とした世界の枠組みが、いま崩壊の兆しを顕にしているからに他ならない。そしてこの一連の動きは、好むと好まざるとに拘わらず今後も続いていくと考えざるを得まい。それゆえに、これからの世紀末は、既存の体制の「死」と新たなパラダイムの「生」の激しい混乱の時期となっていくことであろう。もとより本県工業界も、こういう世界史的枠組みから独り無縁でいるわけにはいかない。社会の国際化、産業の成熟化、人口の高齢化という時代のキーワードへの合鍵を求めながら、次代を切り開いていく方策を構築しなければならない。それだけに、未来に向かう確かな視座を確立しておきたいものである。
さて、第一次・第二次石油危機によって構造転換を誘発された我が国の工業界は、半導体などの先端素材を基盤としながら、その応用分野へと矛先を向け、この間とりわけエレクトロニクス産業の組み立て技術を中心に発展してきたものであった。そういうさなかに本県では、企業誘致政策が時宜にかなって、これに関連する花形産業が立地し、これらの操業率に連動するように、県内総生産が空前の成長を来したのであった。しかしこの企業進出の経緯を見ると、労働力確保の容易さ、工業用地の入手の便宜、賃金の低廉さなどをメリットに数え上げての決断だったのであって、本県固有の優位性と言えば首都圏にあるという「地の利」に過ぎなかったということがある。「地の利」は今後も大いに威力を発揮してくれるであろうが、これだけなら中進国のそれと大差はない。したがって、今後の空洞化現象の進み方によっては容易ならざる局面もあると見なければなるまい。
それでは、来世紀の我が国の工業はどういう形態を採るのであろうか。言い古されているが、やはり高付加価値・少量型の生産形態と、それを支える研究・開発主導型の工業ということになるのであろう。我が国の現状の生産力は他国に比して高すぎる。その結果いま至るところで貿易摩擦を引き起こしている。物づくりということから言えばもっと低い生産量で日本経済はやっていける筈である。その為には勿論、高い付加価値が付随していなければならない。少量生産型の高付加価値型工業を予測することの必然性はここにある。これを例えて言えば、いま主役をなしている生産部門が裏庭に引っ込んで、代わって表側に研究・開発セクターが位置するような構造になるであろう。それだけに今後、進出企業のR&D部門の設置・強化を望みたい。こういう環境の中で、現代の工業部門を下から支えている中小企業の構造転換を取り急ぎ図ることが焦眉の急である。二一世紀へ向けてのテクノポリス構想やクリスタルバレー構想の真価が問われる所以である。
それではこういう構造を支えるに必要な基盤は何であろうか。それは一も二もなく人材であり、その養成・確保であろう。その為には、地域として高品位で、多様な教育システムを持っていること、および人材の定着に必須な生活基盤の整備、わけても甲府市や富士吉田市などの中核となる都市における文化活動施設、情報機能、公共交通機関、アメニティ機能など都市機能の整備が心がけられなければならない。折りしも内需拡大が叫ばれているが、私は、拡大されるべき内需とは、こういう将来のインフラストラクチャアへの投資をおいて他にはないと考える。
近代以降の技術製品は、まがいものを拡大再生産したに過ぎないということが言われている。上述の高付加価値・少量生産の中には高度な芸術的工芸品も含まれると考えてよい。実は、来世紀の本県人口の年齢構成は老齢人口一七%という高率が予想されているが、そういう中にあって、経験とともに増す熟練型の手工芸分野における高齢者等の活躍の場は、特に地場産業部門で先端技能として活かされるのではないかと考えられる。ここでの市場の確立、商品化施策なども検討されなければならない重要な課題である。(1987.6.12)