徒然草第五集

(第200段〜第243段)

全体目次

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兼好関係歴史年表



読み下し文付き

 

第199段 横川行宣法印が申し侍りしは、

第200段 呉竹は葉細く、河竹は葉広し。

第201段 退凡・下乗の卒都婆、

第202段 十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、

第203段 勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、

第204段 犯人を笞にて打つ時は、

第205段 比叡山に、大師勧請の起請といふ事は、

第206段 徳大寺故大臣殿、検非違使の別当の時、

第207段 亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、

第208段 経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて、

第209段 人の田を論ずる者、訴へに負けて、

第210段 「喚子鳥は春のものなり」とばかり言ひて、

第211段 万の事は頼むべからず。

第212段 秋の月は、限りなくめでたきものなり。

第213段 御前の火炉に火を置く時は、

第214段 想夫恋といふ楽は、

第215段 平宣時朝臣、老の後、昔語に、

第216段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に、 

第217段 或大福長者の云はく、

第218段 狐は人に食ひつくものなり。

第219段 四条黄門命ぜられて云はく、

第220段 何事も、辺土は賤しく、

第221段 建治・弘安の比は、

第222段 竹谷乗願房、東二乗院へ参られたりけるに、

第223段 鶴の大臣殿は、童名、たづ君なり。

第224段 陰陽師有宗入道、鎌倉より上りて、

第225段 多久資が申しけるは、

第226段 後鳥羽院の御時、信濃前司行長、

第227段 六時礼讃は、

第228段  千本の釈迦念仏は、文永の比、

第229段 よき細工は、少し鈍き刀を使ふと言ふ。

第230段 五条内裏には、妖物ありけり。 

第231段 園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。

第232段 すべて、人は、無智・無能なるべきものなり。 

第233段 万の咎あらじと思はば、何事にもまことありて、

第234段 人の、物を問ひたるに

第235段 主ある家には、すゞろなる人、

第236段 丹波に出雲と云ふ所あり。

第237段 柳筥に据うる物は、縦様・横様、物によるべきにや。

第238段 御随身近友が自讃とて、七箇条書き止めたる事あり。

第239段 八月十五日・九月十三日は、婁宿なり。

第240段 しのぶの浦の蜑の見る目も所せく、

第241段 望月の円かなる事は、暫くも住せず、

第242段 とこしなへに違順に使はるゝ事は、

第243段 八つになりし年、父に問ひて云はく、


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