徒然草(下)

第215段 平宣時朝臣、老の後、昔語に、


 平宣時朝臣*、老の後、昔語に、「最明寺入道*、或宵の間に呼ばるゝ事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂のなくてとかくせしほどに、また、使来りて、『直垂などの候はぬにや。夜なれば、異様なりとも、疾く』とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのまゝにて罷りたりしに*、銚子に土器取り添へて持て出でて、『この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり*。肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ*』とありしかば、紙燭さして*、隈々を求めし程に、台所の棚に、小土器に味噌の少し附きたるを見出でて、『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて*、心よく数献に及びて、興に入られ侍りき。その世には、かくこそ侍りしか*」と申されき。

平宣時朝臣:<たいらののぶときあそん>:北条時政の曾孫で、鎌倉幕府連署をつとめ、執権北条貞時を補佐した。元亨3年(1323)没、享年86歳。 この話は本人の回想談だが、誰が聞いたのか?

最明寺入道1246〜56の間の第5代鎌倉幕府執権北条時頼。ライバル三浦氏を滅ぼすことで北条家の勢力確立を果たした。西明寺において出家した所からこう呼ばれた。37歳で早逝。第8代執権時宗の父。

うちうちのまゝにて罷りたりしに:普段の姿で、。

この酒を独りたうべんがさうざうしければ、申しつるなり:この酒を独りで飲むというのはさみしいので、呼んだんだよ。

肴こそなけれ、人は静まりぬらん、さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ:酒の肴が無いが、歌人は寝静まってしまっているので、何かあるかどうか、そこいら中探してみてくれないか。

紙燭さして:<しそくさして>とよむ。松の先端を一部燃やして炭状にし、それに菜種油を浸して点火して夜間照明とした 。

『これぞ求め得て候ふ』と申ししかば、『事足りなん』とて:『こんなものを探し当てました』と平宣時言ったのに対して、北條時頼が『それでいいそれでいい』と言ったのである。

その世には、かくこそ侍りしか:あの当時は、そんな事もあったんだよ。


 第5代執権北条時頼というと大層な強権政治家のように伝えられているが、こんな気さくな面もあったという話。


 たいらののぶときあつそん、おいののち、むかしがたりに、「さいみょうじのにゅうどう、あるよいのまによばるることありしに、『やがて』ともうしながら、ひたたれのなくてとかくせしほどに、また、つかいきたりて、『ひたたれなどのそうらわぬぬにや。よるなれば、ことようなりとも、とく』とありしかば、なえたるひた たれ、うちうちのままにてまかりたりしに、 ちょうしにかわらけとりそえてもていでて、『このさけをひとりとうべんがそうぞうしければ、もうしつるなり。さかなこそなけれ、ひとはしずまりぬらん、さりぬべきものやあると、いずくまでももとめたまえ』とありしかば、しそくさして、すみずみをもとめしほどに、だいどころのたなに、こ がわらけにみそのすこしつきたるをみいでて、『これぞもとめえてそうろう』ともうししかば、『ことらりなん』とて、こころよくすうこんにおよびて、きょうにいられはべりき。そのよには、かくこそはべりしか」ともうされき。