「何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず*」と云ふ。天王寺の伶人の申し侍りしは*、「当寺の楽は、よく図を調べ合はせて*、ものの音のめでたく調り侍る事、外よりもすぐれたり。故は、太子の御時の図、今に侍るを博士とす*。いはゆる六時堂の前の鐘なり。その声、黄鐘調の最中なり*。寒・暑に随ひて上り・下りあるべき故に、二月涅槃会より聖霊会までの中間を指南とす*。秘蔵の事なり。この一調子をもちて、いづれの声をも調へ侍るなり」と申しき。
凡そ、鐘の声は黄鐘調なるべし。これ、無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり*。西園寺の鐘*、黄鐘調に鋳らるべしとて、数多度鋳かへられけれども、叶はざりけるを、遠国より尋ね出されけり。浄金剛院の鐘の声*、また黄鐘調なり。
何事も、辺土は賤しく、かたくななれども、天王寺の舞楽のみ都に恥ぢず:何もかも田舎のものは卑しく下品なのだが、天王寺の舞踊だけは都の芸術に伍してすばらしい。天王寺は、大阪の天王寺。聖徳太子建立の寺。
天王寺の伶人の申し侍りしは:「伶人」は、雅楽プレイヤーのこと。
よく図を調べ合はせて:よく調律している、の意。ここでは、「図竹」という調律用音源の笛(現在のオーボエに相当か?)で調律音源を発する。これを「図を調べ合わせる」といっているのである。
太子の御時の図、今に侍るを博士とす:聖徳太子の時代の調律音、これが今あるのでこれを「博士=絶対標準の意か?」としているのだ。これが、六時堂前の鐘のこと。
その声、黄鐘調の最中なり:その鐘の音こそ、黄鐘調にぴったり合っている。
寒・暑に随ひて上り・下りあるべき故に、二月涅槃会より聖霊会までの中間を指南とす:鐘の音だから気温によって左右されるのだが、涅槃会<ねはんえ>と聖霊会<しょうれいえ>の間の音こそが標準音だ。「涅槃会」は陰暦2月15日、釈迦入滅の日。「聖霊会」は聖徳太子忌日で陰暦2月22日。
これ、無常の調子、祇園精舎の無常院の声なり:黄鐘調は無常の音がする。つまり、釈迦入滅の場所である祇園精舎の無常院の音調なのだ。
西園寺の鐘:西園寺家が北山の邸内に作った寺。ここの鐘はついに、黄鐘調にならなかったので、どこか遠くから調達してきたという。
浄金剛院の鐘の声:<じょうこんごういんのかねのこえ>。後嵯峨天皇が亀山殿の邸内に作った寺の鐘も黄鐘調の音がした。
この時代に、鐘の固有周波数をチューニングしていたのだが、いま、その技術は無い。暗黙知であるが、すごいものではある。
「なにごとも、へんどはいやしく、かたくななれども、てんのうじのぶがくのみみやこにはじず」という。てんのうじのれいじんのもうしはんべりしは、「とうじのがくは、よくずをしらべあわせて、もののねのめでたくととのおりは んべること、ほかよりもすぐれたり。ゆえは、たいしのおんときのず、いまにはんべるをはかせとす。いわゆるろくじどうのまえのかねなり。そのこえ、おうじきぢょうのもなかなり。かん・しょにしたがいてあがり・さがりあるべきゆえに、にがつねはんえよりしょうりょうえまでのちゅうげんをしなんとす。ひぞうのことなり。このいっちょうしをもちて、いずれのこえをもととのえは んべるなり」ともうしき。
およそ、かねのこえはおうじきぢょうなるべし。これ、むじょうのちょうし、ぎおんしょうじゃのむじょういんのこえなり。さいおんじのかね、おうじきぢょうにいらるべしとて、あまたたびいかえられけれども、かなわざりけるを、おんごくよりたずねいだされけり。じょうこんごういんのかねのこえ、またおうじ きぢょうなり。