伊勢にて
神垣やおもひもかけず涅槃像 芭蕉
負てくる母おろしけりねはんぞう 鼠彈
<おうてくる ははおろしけり ねはんぞう>。涅槃会に参拝したいという母を背負って寺に来た。
西行上人五百歳忌に
はつきりと有明残る櫻かな 荷兮
<はっきりと ありあけのこる さくらかな>。西行の5百年忌は元禄2年2月16日。あたかもこの前日は釈迦入滅の涅槃会の日でもある。西行は桜の満開のこのときを期して死出の旅に立ったことで有名となった。そしてこの時期有明の月が残り、春は曙の明りの中に桜が匂い立つのである。
おなじ遠忌に
連翹や其望日としほれけり 胡及
<れんぎょうや そのもちづきと しおれけり>。西行の遠忌のこの時期には庭の連翹の花が萎む頃でもあるが、これは上人の死を悼んで萎むのであろう。連翹<レンギョウ>は、モクセイ科の落葉低木。中国原産。古くから観賞用に植える。枝は長く伸び、広卵形で鋸歯(きよし)のある葉を対生。早春、葉に先立ち黄色の花を開く。花冠は筒状で深く四裂する。イタチグサとも(『大字林』)。西行の辞世歌は、「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」であった。
うで首に蜂の巣かくる二王哉 松芳
<うでくびに はちのすかくる におうかな>。山門に立つ勇壮な仁王さま。邪念を抱いたものは生え一匹といえどもここを通さないという出たちだが、よく見ると腕の裏側に蜂の巣がついている。仁王様にも弱いところがあったのだ。
木履はく僧も有けり雨の花 杜國
<ぼくりはく そうもありけり あめのはな>。『笈の小文』には、「足駄はく僧も見えたり花の雨 万菊」として出てくる一句。木履<ぼくり>は足駄のこと。
つりがねを扇で敲く花の寺 冬松
<つりがねを おおぎでたたく はなのてら>。能因法師の歌「山寺の春の夕暮来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける」(『古今集』)がある。まことに山寺の桜は繊細で夕暮の鐘の音に花が落ちるのである。そこで、花が散っては困るというので、扇でそっと鐘をついてみるのである。
花に酒僧とも侘ん塩ざかな 其角
<はなにさけ そうともわびん しおざかな>。「塩ざかな」とは、塩をふった魚ではなく、塩を酒の肴にして呑むことを意味する。つまり花見と称して寺で僧と酒を呑もうという怪しからん了見を起こしたとき、生臭を食うわけにはいかないので塩を肴にして呑むのである。
この僧は江戸上野の日輪寺の僧其阿上人と言われている。
貞亨つちのへ辰の歳、弥生一日東照宮
の別當、僧正の御房に、慈恵大師遷座執
事法華八講の侍るよし、尊き事なれば聴
聞にまかりて序品のこゝろを
散花の間はむかしばなし哉 越人
<ちるはなの あいだはむかし ばなしかな>。
女房の聴聞所と覚て、御簾たれおく暗き
所あり、龍女成佛の所に至りて、しのびあ
へず鼻かむ声のしければ
ほろほろと落るなみだやへびの玉 同
<ほろほろと おちるなみだや へびのたま>。
觀音の尾上のさくら咲にけり 俊似
<かんのんの おのえのさくら さきにけり>。観音さまをまつる古寺の裏山の頂上の桜が咲いた。「尾上」は山の頂のこと。
古寺やつるさぬかねの菫草 一井
<ふるでらや つるさぬかねの すみれぐさ>。荒れ放題の古寺。鐘楼が壊れて釣鐘は地上に落ちている。その脇に紫色の董草の花が咲いている。
八島にて
海士の家聖よびこむやよひ哉 伊豫千閣
<あまのいえ ひじりよびこむ やよいかな>。八島は讃州八島のこと、源平争乱の戦跡がある。ここの海士の家で乞食坊主を家に入れた。きっと、平家の死者の霊を慰めるのであろう。
咲にけりふべんな寺の紅杜丹 一井
<さきにけり ふべんなてらの べにぼたん>。「ふべん」は「不弁」で貧しくてまかなえない貧乏寺。寺は貧しいが春が来れば花が咲く。ここにも天上のものと間違いそうなきれいな牡丹が咲いている。
夏山や木陰木陰の江湖部屋 蕪葉
<なつやまや こかげこかげの ごうこべや>。「江湖<ごうこ>」とは、禅宗で、四方の僧侶を集めて夏安居(げあんご)の制を行うこと。また、その道場。「江湖会<ごうこえ>」とも(『大字林』)。また、「江湖部屋」は江湖会の折に僧侶たちがそれぞれに小屋掛けして住むがその小屋のこと。
一句は、江湖会の行われている寺院の境内では、木陰木陰に小屋掛ができているというのである。単純な嘱目吟。
作者蕪葉<ぶよう>は尾張の人。
奈良にて
灌佛の日に生れ逢ふ鹿の子哉 芭蕉
灌佛の其比清ししらがさね 尚白
<かんぶつの そのころきよし しらがさね>。「しらがさね」は、四月朔日衣更えの折に着る着物。灌仏は四月八日の花祭りだから、すこし時期はずれることになるが、このころ丁度しらがさねを着るのは仏教行事と調和してまことに相応しいのである。
高野にて
腰のあふぎ礼義ばかりの御山哉 一雪
<こしのおおぎ れいぎばかりの おやまかな>。高野山は標高が高いので夏でも涼しい。それゆえ扇など使わなくても事足りる。だから腰につけた扇は単なる礼儀上の意味以外には何も無い。
齋に来て庵一日の清水哉 加賀一笑
<ときにきて いおいちにちの しみずかな>。ここで「斎」とは、法会の際に出される食事。施食(せじき)。法会、仏事の俗な呼び方(『大字林』)。すなわち、法会を開催して僧侶と草庵で食事を取っていると、なんだか見も心も清水で洗われたようなすがすがしい気分になるのである。
十如是
おもふ事ながれて通るしみづ哉 荷兮
<おもうこと ながれてとおる しみずかな>。「十如是」は、法華経方便品<ほうべんぼん>に出てくる十の言葉。すなわち、相如是、性如是、体〃、力〃、作〃、因〃、報〃、本末究竟是であり、これらは生きとし生けるものはすべてこれらによって関係付けられ、その因果の関係において存在していると説く。
一句は、「十如是」の因果が成立すれば森羅万象は清い清水が流れるようにこの世界を流れていくのであるというのである。
即身即佛
夏陰の晝寐はほんの佛哉 愚益
<なつかげの ひるねはほんの ほとけかな>。「即身即佛」とは生きながらこの世で成仏すること。一句は、夏木陰で昼寝をする。その木陰の涼しさはこの世の極楽だ。してみると空海の説く「即身成仏」とはこういう心境を言うのであろう。
愚益<ぐえき>については不詳。
おどろくや門もてありく施餓鬼棚 荷兮
<おどろくや かどめてりく せがきだな>。「施餓鬼」とは、餓鬼道に落ちた亡者を慰めるために、盂蘭盆の前に行われる宗教行事。「棚」は亡者に供える食物などをかざるその祭壇のこと。門を出たらいきなり施餓鬼棚を運んでいる情景にぶっつかって驚いたこと!!。
折かけの火をとるむしのかなしさよ 探丸
「折かけ<おりかけ>」とは、墓などに飾る盆提灯のこと。その灯に飛び込んで焼け死ぬ虫たちのあわれさ。提灯は餓鬼道に迷い込まないように死者を導く灯りだというのにそれで死ぬとは。
石篭に絶(施)餓鬼の棚のくづれ哉
文里
<いしかごに せがきのたなの くずれかな>。「施餓鬼」とは、餓鬼道に落ちた亡者を慰めるために、盂蘭盆の前に行われる宗教行事。そのための飾り棚の残骸とおぼしきものが川岸のじゃかごに引っかかっている。
作者の文里<ぶんり>については詳細不詳。
魂祭舟より酒を手向けり 龜洞
<やままつり ふねよりさけを たむけけり>。川舟に乗って川を渡っているとき今日が盂蘭盆であることに気がついた。一杯やろうと思って持参したお酒を川に手向けて、川で死んで地獄で迷っている餓鬼共に供えたことだ。
たままつり道ふみあくる野菊哉 卜枝
<たままつり みちふみあくる のぎくかな>。盂蘭盆の今日、野菊が咲き誇る普段は通ることの無い野道を開きながら歩いていく。「ふみあくる」は踏み明ける、踏んで道を作っていくことをいう。
攝(接)待のはしら見たてん松の陰
釣雪
<せたいの はしらみたてん まつのかげ>。「摂待」は、盂蘭盆会の時期、寺巡りの人々や往来の人々に仏家の門前に湯茶を用意してふるまうこと。門茶(かどちや)とも(『大字林』)。暑い時期なので大きな松の木の下あたりだと摂待棚を作っても涼しくてよい。
平等施一切
攝待にたヾ行人をとヾめけり 俊似
<せったいに ただゆくひとを とどめけり>。摂待所の前を黙って通過して行こうとする人に、麦茶でもどうかと声を掛ける親切。何しろ、「摂取不捨」の阿彌陀様の教えを実行しようという浄土門の教えなのだから。
稲妻に大佛おがむ野中哉 荷兮
<いなずまに だいぶつおがむ のなかかな>。野中を歩いていると突然夕立に遭遇。稲妻が光ったと思うと、大きな仏像が空に浮かび上がった。さてはありがたやとばかり、その仏像に向かって拝んだ。
垣越に引導覗くばせを哉 卜枝
<かきごしに いんどうのぞく ばしょうかな>。場所はお寺の庭。大きな芭蕉の木がある。折りしも葬儀の真っ最中で導師が死者に引導を渡している。芭蕉の葉はうなだれてこの引導を自らのように垣根越しに聴いている。
ある人四時の景物なりとて、水鶏を
鶉とを不食、不図其心を感じて、我も
鴈をくらはず
雁くはぬ心佛にならはぬぞ 荷兮
<かりくわぬ こころほとけに ならわぬぞ>。ある人が水鶏とウズラを食わないのは、それが歌などに多く詠まれるからで、私も雁を食わないことにする。雁は、秋の歌に多く詠まれているからで、決してこれは仏教の教えに従ってというのではなく、私の詩心によるものだということを主張しておきたい。
ある寺の興行に
燕も御寺の鼓かへりうて 其角
<つばくらも みてらのつづみ かえりうて>。貞亨5年、其角は尾張名古屋の浄土真宗浄教寺で歌仙を巻いた。一句はその句会での作品。秋になって南の国へ帰るツバメたちよ、得意の燕返しでこの寺の太鼓を叩いてよ。
進み出て坊主おかしや月の舟 一井
<すすみでて ぼうずおかしや つきのふね>。名月を見ようと沖に漕ぎ出した観月の舟。その中で一人の坊さんが座の中心に進み出て洒脱な話を始めた。大変興趣のわく観月の会だ。
鉢の子に木綿をうくる法師哉 卜枝
<はちのこに もめんをうくる ほうしかな>。「鉢の子」は托鉢に使う鉄製の鉢。托鉢層が立ち寄ったのが木綿を収穫真っ最中の農家。そこでは布施するものが無いのであわてて収穫したばかりの木綿を差し出した。坊さんは、それを鉢の中に入れようとしている。
人のもとにありて、たち出むと
しけるに、またしぐれければ
衣着て又はなしけり一時雨 鼠彈
<ころもきて またはなしけり ひとしぐれ>。それではといとまを告げて帰ろうとしたら急に時雨がやってきた。引き止められた坊さんは、衣をつけたまま正座して話し込んでいる。
鎌倉の安國論寺にて
たふとさの涙や直に氷るらん 越人
<とうとさの なみだやすぐに こおるらん>。鎌倉の安國論寺は日蓮宗寺院で、日蓮が立正安国論を著した場所といわれている。日蓮が辛酸をなめながらこの寺で立正安国論を書いたといわれればありがたさに涙が出るが、またこの寺の寒さのことだからその涙も直ぐに凍ってしまうだろう。
古寺の雪
曙や伽藍伽藍の雪見廻ひ 荷兮
<あけぼのや がらんがらんの ゆきみまい>。前詞の「古寺」は由緒正しい寺の意というより今にも倒れそうな「ふるでら」の意と解する方がよい。大雪の夜明け、寺の僧たちは寺内の全ての建物を見舞って歩く。古寺のこととて、何時雪の重みで倒れないとも限らないから。
同
雪折やかゝる二王の片腕 俊似
<ゆきおれや かかるにおうの かたかいな>。雪の重みに耐えかねた竹が雪折れとなって古寺の山門が破れて露出した仁王様の片腕に寄りかかっている。仁王の方もくたびれているから支えられるのかどうか。
つくり置てこはされもせじ雪佛 一井
<つくりおきて こわされもせじ ゆきぼとけ>。「雪仏」とは今で言う雪ダルマのこと。雪ダルマというものは作るときは意気込んで作るものだが、飽きてしまうと放置され、壊されもしないほど寒々しく放置されるものだ。
朝寐する人のさはりや鉢敲 文潤
<あさねする ひとのさわりや はちたたき>。「鉢たたき」は、本人たちは敬虔な気持ちで励んでいるに違いないが、冬の寒い朝の朝寝坊を楽しもうというような人にとっては迷惑千万。安眠妨害も甚だしい。
作者文潤<ぶんじゅん>については詳細不詳。
千觀が馬もかせはし年のくれ 其角
<せんかんが うまもかせわし としのくれ>。「千観」は千観上人。平安時代の僧侶で、旅人を助けるために大坂の淀あたりで馬方となってボランティア活動をした。
一句は、年末で人の行き来の激しい街道筋、千観上人が生きていたなら馬をひいて忙しく旅人を助けたことであろう。
如寒者得火
まつ白にむめの咲たつみなみ哉 胡及
<まっしろに むめのさきたつ みなみかな>。「如寒者得火<はだかなるものひをえたるがごとし>」。南に面したところの梅の木はさすがに開花も早くすでに真城に咲き誇っている。
如裸者得衣
雪の日や酒樽拾ふあまの家
<ゆきのひや さかだるひろう あまのいえ>。「如裸者得衣<はだかなるもののころもをえたるがごとし>」。雪が降って漁がなければ漁夫の家は直ぐにも食うに困る。しかし、助ける神もあってこんなときに限って酒樽が流れ着いたりする。じつはこの酒樽は難破から助かった漁師が金毘羅様にお礼のために酒樽を流したのである。
如商人得主
双六のあひてよびこむついり哉
<すごろくの あいてよびこむ ついりかな>。「如商人得主<しょうにんのあるじをえたるがごとし>」。長雨にうんざりしていると門前を暇そうな友人が通る。そいつを呼び止めて退屈しのぎの双六に誘う。「ついり」は入梅。
如子得母
竹たてゝをけば取つくさゝげかな
<たけたてて おけばとりつく ささげかな>。「如子得母<このははをえたるがごとし>」。「ささげ」は大角豆のこと。「ささぎ」とも言う。豆はアズキに似て餡の原料などに使われる。自立もするが、つるが生える。だから竹などで手を捧げるとすぐにそれに蔓を巻きつけて上に伸びる。この場合の竹は母親の役割である。
如渡得船
月の比隣の榎木きりにけり
<つきのころ となりのえのき きりにけり>。「如渡得船<わたりにふねをえたるがごとし>」。そろそろ中秋の名月という頃になって隣家の毎年月見を邪魔してくれる榎木を伐ってくれた。これで心行くまで月見ができる。まるで渡に舟とはこういうことだ。
如病得醫
かはくとき清水見付る山邊哉
<かわくとき しみずみつける やまべかな>。「如病得醫<やまいにくすしをえたるがごとし>」。山路を歩いていて焼けるように喉が渇いたとき、おあつらえ向きに清水がこんこんと湧き出ている場所にきた。こういうのこそ病気に医者が来てくれたようなものだ。
如暗得燈
秋のよやおびゆるときに起されるゝ
<あきのよや おびゆるときに おこされる>。「如暗得燈<くらやみにあかりをえたるがごとし>」。秋の夜長を眠っていると悪夢にうなされた。すると傍の人が起こしてくれた。もし起こして貰えなければ夜長を一晩中恐れおののいていたかもしれないので、これこそ暗闇で灯りを見つけたようなものだ。
古宮や雪じるかゝる獅子頭 釣雪
<ふるみやや ゆきしるかかる ししがしら>。古い神社の鳥居の傍のこまいぬさん、その頭に雪解けの水が跳ねついている。春先の風景である。なお、この古宮は北野天満宮。以下、断らない限り全て同様。
二月廿五日奉納に
きさらぎや廿四日の月の梅 荷兮
<きさらぎや にじゅうよっかの つきのうめ>。2月25日は菅原道真の命日(延喜3年(903)2月25日大宰府にて悲運の最期)。明日は管公の命日である。その過去を悼むように梅は散り、その枝に25日のか細い月がかかっている。なお、社は北野天満宮。以下、梅に関する句については全て北野天満宮としてよい。
しんしんと梅散かゝる庭火哉 同
<しんしんと うめちりかかる にわびかな>。薪能でもやっているのか、神社の大祭か。勢いよく燃えさかる薪の明りに梅の花びらの散っていくのが浮かび上がる。
鶯も水あびてこよ神の梅 龜洞
<うぐいすも みずあびてこよ かみのうめ>。神社のこの梅木はこの社の神木だ。鶯といえどもその枝にとまるには身を清めねばならぬ。だから沐浴してから飛んできて唄え。
上下のさはらぬやうに神の梅 昌碧
<かみしもの さわらぬように かみのうめ>。肩をいからしていく裃の侍たちよ、この神苑では裃の片が枝に触れて梅を散らすようなことがあってはなりませんぞ。元禄時代には、裃の肩幅がむやみに長くなった。
灯のかすかなりけり梅の中 釣雪
<ともしびの かすかなりけり うめのなか>。今をさかりと咲いている梅の花に、神苑の中の灯りもかすかにしか見えない。
何とやらおがめば寒し梅の花 越人
<なにとやら おがめばさむし うめのはな>。この神社では、手を合わせるとそれだけで身の引き締まる思いがする。
月代もしみるほど也梅の露 雨桐
<さかやきも しみるほどなり うめのつゆ>。「月代」とは、平安時代、男子が冠や烏帽子(えぼし)をかぶったとき、髪の生え際が見えないように額ぎわを半月形にそり上げたもの(『大字林』)。この神社に来るときには、月代を整えてくるので梅の露が額に落ちると思わず身震いする。
門あかで梅の瑞籬おがみけり 重五
<かどあかで うめのみずがき おがみけり>。早朝北野天満宮に参詣したらまだ門が開いていなかった。仕方なく梅の生垣を拝んで社を後にした。
繪馬見る人の後のさくら哉 玄察
<えうまみる ひとのうしろの さくらかな>。社の絵馬を見入っている人がいる。その後ろには満開の桜が春の日を受けて輝いている。
花に来て歯朶かざり見る社哉 鈍可
<はなにきて しだかざりみる やしろかな>。桜を神社に見に来たが、社殿にはまだ正月の注連飾りが飾ってある。
宮の後川渡り見るさくら哉 李桃
<みやののち かわわたりみる さくらかな>。宮参りをして桜に酔ってしまって、小川を尻ばしょりして渡る。ぬるんだ水が心地よい。
御手洗の木の葉の中の蛙哉 好葉
<みたらしの このはのなかの かわずかな>。「御手洗」は神社の口をすすぐ水道。御手洗の底に木の葉が溜まって沈み、その中に蛙が隠れている。作者好葉<こうよう>については未詳。
ほとゝぎす神楽の中を通りけり 玄察
<ほととぎす かぐらのなかを とおりけり>。神社に奉納する神楽が厳かに行われている。その中をホトトギスが鋭い声を上げながら通り過ぎていった。
宮守の灯をわくる火串かな 龜洞
<みやもりの ともしをわくる ほぐしかな>。「火串」とは、夏山における狩りで、鹿をおびき寄せるための照射(ともし)のたいまつを挟んでおく木(『大字林』)。鹿狩りの殺生をするのに神社の宮司から神の火を分けてもらうのである。
破扇一度にながす御祓かな 未学
<やれおうぎ いちどにながす みそぎかな>。「御祓」とは、六月と一二月とに行う災厄除けの神事。身近くに使っていたものを川などに流すことで厄を払う。ここでは一夏使った扇を流すことで一切の厄も流れることを詠う。
川原迄瘧まぎれに御祓哉 荷兮
<かわらまで おこりまぎれに みそぎかな>。「瘧<おこり>」は、「わらわやみ」ともいい、マラリヤに類似の症状を持つとされる。御祓は、川原等に仮社をたててそこへ流すものを入れることもあった。そこで一句は、本当は御祓というより持病のおこりが起こりそうなので、川原の仮社に来て、沐浴をしてついでに御祓も兼用したというのである。
こがらしや里の子覗く神輿部屋 尚白
<こがらしや さとのこのぞく みこしべや>。木枯らしの吹く季節。里の子供たちはこれといった遊びも無いと見えて、神輿を格納してある小屋を覗き込んで眺めている。楽しかった秋祭りの光景でも思い出しているのであろう。
此月の恵比須はこちにゐます哉 松芳
<このつきの えびすはこちに いますかな>。七福神のひとり。豊漁の神として漁民の信仰を受ける。このえびす様は幼いときに歩き出すのが遅く三歳まで一人で歩けなかったという。そこで、足のあまりよくない恵比寿様は神無月の今月も出雲には行かずにご当地の神社に止まっているであろうと冷やかしたもの。
冬ざれや禰宜のさげたる油筒 落梧
<ふゆざれや ねぎのさげたる あぶらづつ>。「禰宜」は「祢宜」のこと、神職の総称。冬の神社境内、神主が油筒を持って歩いている。「油筒」は油を入れた竹筒。境内の灯明の燃料の油を入れたものである。
若宮奉納
きゝしらぬ哥も妙也神々樂 利重
<ききしらぬ うたもたえなり かみかぐら>。尾張名古屋の若宮八幡宮に奉納した一句。ここ若宮八幡様の神楽の歌はかって聴いたことの無い節回しで、それゆえ新鮮でありがたさも増すというものだ。
跡の方と寐なほす夜の神楽哉 野水
<あとのかたと ねなおすよるの かぐらかな>。「跡の方」は足の方角を意味する。寝ていると神楽の音が足元の方から聞こえてきたので、もったいないから布団を敷きなおして頭の方から聞こえてくるように寝直したというのである。
鈴鹿川夜明の旅の神楽哉 昌碧
<すずかがわ よあけのたびの かぐらかな>。ここの「神楽」は神楽を演ずる旅芸人一行のこと。そのような神楽のことを代神楽といって、伊勢が発祥といわれている。その伊勢の代神楽の旅芸人の一行が夜明けの鈴鹿川を黙々と渡っていく。
かづらきの神にはふとき庭火哉 村俊
<かづらきの かみにはふとき にわびかな>。「かづらきの神」は葛城の一言主の神のこと。この神様については芭蕉の句「なほ見たし花に明けゆく神の顔」を参照。人に顔を見られるのを嫌う一言主神ならこの神楽の庭に燃える松明の灯りは明るすぎるというであろうなぁ。
橋杭や御祓かゝる煤はらひ 卜枝
<はしぐいや おはらいかかる すすはらい>。「御祓い」は、年末の煤払いをするための麻の煤掃きで、伊勢神宮から与えられた。それを使って年末の煤払いをしたのであろうが、用なしになった煤掃を川に捨てたらしく橋杭に引っかかっている。
肩付はいくよになりぬ長閑也 冬文
<かたつきは いくよになりぬ のどかなり>。「肩付」は肩の形で背格好を意味する。長閑は春を表わす季語。春のような長閑さは、背格好の何歳になった人と言ったらいいのだろうか?無理をして作った歌。
荷兮が四十の春に
幾春も竹其儘に見ゆる哉 重五
<いくはるも たけそのままに みゆるかな>。荷兮の40歳の誕生祝の句。あなたの若さは竹のように何時までも青々としていますよ。
君が代やみがくことなき玉つばき 越人
<きみがよや みがくことなき たまつばき>。君が代は、磨く必要の無い玉椿と同じで、何時までも輝いている。
青苔は何ほどもとれ沖の石 傘下
<あおごけは なにほどもとれ おきのいし>。沖の石に付く青海苔はいくら摘んでも尽きることは無い。このめでたさよ。
いきみたま疊の上に杖つかん 龜洞
<いきみたま たたみのうえに えだつかん>。「いきみたま」は生御魂で、盂蘭盆に帰ってくる死者の御霊ではなく、生きている両親などを盆の祝福の対象とすること。「杖つかん」は「礼記」(「五十にして家に杖つく。六十にして郷に杖つく。七十にして国に杖つく。八十にして朝に杖つく」)より。ここでは、両親の長命さは畳に杖つくほどだというのである。
千代の秋にほひにしるしことし米 同
<ちよのあき においにしるし ことしごめ>。秋の新米の匂い。この匂いこそ千代に八千代の栄えを寿ぐ香だ。
しばしかくれゐける人に申し遣はす
先祝へ梅を心の冬籠り 芭蕉