尾張名古屋の人。通称は治助。『あら野』、『曠野後集』などに入句。
疱瘡の跡まだ見ゆるはな見哉 (『あら野』)
あぶなしや今起て聞郭公 (『あら野』)
くらがりや力がましきほとゝぎす (『あら野』)
めいげつやはだしでありく草の中 (『あら野』)
初雪やおしにぎる手の寄麗也 (『あら野』)
正月の魚のかしらや炭だはら (『あら野』)
かげろふや馬の眼のとろとろと (『あら野』)
つまの下かくしかねたる継穂かな (『あら野』)
なの花の座敷にうつる日影哉 (『あら野』)
おやも子も同じ飲手や桃の酒 (『あら野』)
更衣襟もおらずやだゞくさに (『あら野』)
夕立に干傘ぬるゝ垣穂かな (『あら野』)
石切の音も聞けり秋の暮 (『あら野』)
渡し守ばかり簔着るしぐれ哉 (『あら野』)
夕立にどの大名か一しぼり (『あら野』)
から尻の馬にみてゆく千鳥哉 (『あら野』)
咲つ散つひまなきけしの畠哉 (『あら野』)
青苔は何ほどもとれ沖の石 (『あら野』)
駒鳥の目のさやはずす高根哉 (『續猿蓑』)