貞亨5年以来の美濃の門人。通称助右衛門。呉服商を営む萬屋<よろずや>の主人。『笈日記』などに入
集。『瓜畠集』を編集したが、病魔に倒れて未完に終わった。長良川に近い稲場山城の山陰に別邸を持ち、『笈の小文』の旅の途次、芭蕉はここへ立ち寄った。
「奥の細道」に出立する直前の元禄2年3月23日に、芭蕉は落梧宛に紙一束受贈の礼状を書いており、これが「奥の細道」出発の日付確定に貢献したという「功績」がある。
晴ちぎる空鳴行やほとゝぎす (『あら野』)
ふたつ社老にはたらねとしの春 (『あら野』)
藪見しれもどりに折らん梅の花 (『あら野』)
鳴立ていりあひ聞ぬかはづかな (『あら野』)
飛入てしばし水ゆく蛙かな (『あら野』)
鳥飛であぶなきけしの一重哉 (『あら野』)
今朝は猶そらばかり見るしぐれ哉 (『あら野』)
縫ものをたゝみてあたる火燵哉 (『あら野』)
餘所の田の蛙入ぬも浮世かな (『あら野』)
似た顔のあらば出てみん一躍り (『あら野』)
冬ざれや祢宜のさげたる油筒 (『あら野』)
初雁に行燈とるなまくらもと(『猿蓑』)