尾張名古屋の門人。芭蕉は、貞亨4年12月9日、『笈の小文』の旅の途中、一井宅に招かれて、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の門人らと七吟半歌仙(熱田三歌仙)をまいた。
花の山常折くぶる枝もなし (『あら野』)
連てきて子にまはせけり萬歳樂 (『あら野』)
ゆふやみの唐網にいる蛙かな (『あら野』)
いちはつはおとこなるらんかきつばた (『あら野』)
のどけしや麥まく比の衣がへ (『あら野』
馬屋より雪舟引出朝かな (『あら野』)
ほとゝぎす鳴やむ時をしりにけり (『あら野』)
なきなきて袂にすがる秋の蝉 (『あら野』)
能きけば親舟に打碪かな (『あら野』)
古寺やつるさぬかねの菫草 (『あら野』)
咲にけりふべんな寺の紅杜丹 (『あら野』)
進み出て坊主おかしや月の舟 (『あら野』)
つくり置てこはされもせじ雪佛 (『あら野』)
一里の炭賣はいつ冬籠り (『あら野』)