阿羅野脚注

  巻之七  名所  述懐  無常


曠野集 巻之七

   名所

 

八重がすみ奥迄見たる龍田哉     杜國
<やえがすみ おくまでみたる たつたかな>。寂蓮の歌「かづらきや高間の桜さきにけり龍田のおくにかかる白雲」(「古今集」)と詠まれるように龍田山といえば白雲だが、私が行って見たらば、白雲じゃなくて一面の春霞でした。

しら魚の骨や式部が大江山      荷兮
<しらうおの ほねやしきぶが おおえやま>。式部は、和泉式部の娘小式部内侍<こしきぶのないし>を指す。小式部の歌が上手なのは、丹後にいる母親がひそかに作って渡しているに違いないと、みんな疑っていた。折りしも宮中の歌合せに招かれた折、同席した藤原定頼が、「丹後の母から頼りはありませんか?」と冷やかし半分の質問をしたのに答えて、「大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」と詠んで、並み居る歌名人を感服させたという。一句はこの伝説に対して、。。。
 小式部内侍は、実にしっかりした人物で、それこそナメクジの骨じゃなくて、白魚の骨のようにしっかりしたものだ。

から崎の松は花より朧にて      芭蕉

藁一把かりて花見る阿波手哉     湍水
<わらいちわ かりてはなみる あわてかな>。「阿波手」は、尾張の国の歌枕。阿波手を通ったら桜が余りに美しいので路傍のわらを一束借りて尻に敷いて花見をした。

嵯峨までは見事あゆみぬ花盛     荷兮
<さがまでは みごとあゆみぬ はなざかり>。道々桜が美しいので見とれているうちに嵯峨野まで歩いてしまった。どこから歩いたのか??

琵琶橋眺望
雪残る鬼(獄)嶽さむき弥生かな   含呫
<ゆきのこる おにだけさむき やよいかな>。「琵琶橋」は、名古屋から津島(現津島市)への途中枇杷島村(現西枇杷島町)の庄内川にかかる大橋。「鬼嶽」は、木曽御岳の別称。琵琶橋から木曽御岳が見えるが、三月だというのに山頂には雪が残っている。御岳は未だ寒いようだ。

関こえて爰も藤しろみさか哉    宗祇法師
美濃国関といふ所の山寺に藤の咲たるを見て吟じ給ふとや
<せきこえて ここもふじしろ みさかかな>。藤代は、紀国の歌枕で白藤があったという。万葉集に「藤代のみ坂を越ゆと白妙のわが衣手はぬれにけるかも」がある。
 美濃の国の不破の関を越えて、白い藤を見ると望郷の念に涙がこぼれることだ。宗祇も紀州の出身だった。


芳野出て布子賣おし更衣       杜國
<よしのでて ぬのこうりおし ころもがえ>。『笈の小文』では、「吉野いでて布子売りたしころもがへ」となっている。禁足中の杜国は、万菊丸と名前を変えて芭蕉と吉野旅行をしていた。そのときの作。衣更えは四月朔日であった。冬の着物である布子を売りたいというのか、懐かしい旅の記念だから売るのは惜しいというのか、二つの句は意味がまるで違っている。

麥うつや内外もなき志賀のさと    重五
<むぎうつや うちそともなき しがのさと>。「志賀」は、志賀の都。いまや昔をしのぶよすがとて無いが、それもそのはず何処といわず百姓たちは麦の脱穀をしているのだから。

五月雨にかくれぬものや瀬田の橋   芭蕉

湖の水まさりけり五月雨       去来
<みずうみの みずまさりけり さつきあめ>。五月雨が降り続き、琵琶湖の水嵩がすっかり高くなって満々とした水を湛えている。同じ情景を芭蕉は前句で詠んだ。

牛もなし鳥羽のあたりの五月雨    一髪
<うしもなし とばのあたりの さつきあめ>。ひどい五月雨で、それゆえに必要な牛馬もここ鳥羽街道にはいない。「駒とめて袖うちはらうかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」(『新古今集』)のパロディー。

角田川
いざのぼれ嵯峨の鮎食ひに都鳥    貞室
<いざのぼれ さがのあゆくいに みやこどり>。「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(『伊勢物語』)のパロディーで、江戸の友人を京都に招いた句。嵯峨の鮎は大堰川を上る鮎のこと。角田川<すみだがわ>は勿論江戸の隅田川で、伊勢物語の舞台。

みよしのはいかに秋立貝の音     破笠
<みよしのは いかにあきたつ かいのおと>。立秋の今日、吉野のお山には秋風が立ち、山伏たちの吹く貝の音が秋風に吹かれながら谷から峰に響いていることであろう。

いざよひもまださらしなの郡哉    芭蕉

夕月や杖に水なぶる角田川      越人
<ゆうづきや つえにみずなぶる すみだがわ>。越人は、『更科紀行』の旅を芭蕉と共にしてそのまま江戸に滞在して十三夜を迎えている。隅田川に写る月を見ているうちに本物の月と勘違いしそうになる。そこで杖で水面を叩いてみると月が揺れるので水に写った月だと分かるのである。深川あたりの隅田川は満潮時には水が止まって油を引いたようだったのである。

九月十三夜
唐土に富士あらばけふの月もみよ   素堂
<からつちに ふじあらばきょうの つきもみよ>。中国に富士山があるのなら十三夜の月も有るだろうから、この名月を見て欲しい。言外に、富士山も無いし、十三夜の月も無いと言っているのである。
 八月十五夜は中国渡来の文化だが、九月十三夜は日本の独創で、宇多天皇の時代に起源があると言われている。

鴫突の馬やり過す鳥羽田哉      胡及
<しぎつきの うまやりすごす とばだかな>。「鴫突」についてはここを参照。「鳥羽田」は京田辺市にあった歌枕。この辺りは湿地で鴫猟が盛んに行われた。ここはまた街道でもあったから、馬の足音に騒ぎ出す鴫がいる。猟師たちは馬をやり過ごしておいて水鳥の群れが静まるのを待って猟に入るのである。

鴫突は萱津のあまのむまご哉     淵支
<しぎつきは かやづのあまの むまごかな>。「萱津」は尾張の国(現愛知県海部郡甚目寺町)の歌枕。「むまご」は子孫のこと。いま、鴫突をしているあの者達は、萱津の海士達の子孫なのだろうが、代々殺生をして生きているのだ。作者淵支<えんし>は尾張の人だが、詳細は不詳。

武蔵野やいく所にも見る時雨     舟泉
<むさしのや いくところにも みるしぐれ>。武蔵野のあちこちで時雨があるらしい。雨雲があちこちに立ち上っている。

湖を屋ねから見せん村しぐれ     尚白
<みずうみを やねからみせん むらしぐれ>。我が家の屋根に上ると琵琶湖は一望の下。湖面を渡る時雨も目にすることができる。

から崎やとまりあはせて初しぐれ  伊豫随友
<からさきや とまりあわせて はつしぐれ>。近江八景の唐崎の松、その近くに一夜を過ごした。折りしもこの冬初めての時雨が通り過ぎた。なんと幸運だろう。

むさしのとおもへど冬の日あし哉   洗悪
武蔵野は広く、先を急がないと冬の日は暮れてしまう。だから急いでいるのに、未だ先は遠いというのにやっぱりすぐに暮れてしまう。洗悪は尾張の人。詳細は不詳。

めづらしと生海鼠を燒くや小のゝ奥  俊似
<めずらしと なまこをやくや おののおく>。「小の」は、京都大原の小野。山奥でナマコなど村人は見たことも無い。海のものなら何でも焼いて食べろとばかりに、ここでは海鼠だって焼いて食べる。作者は一種軽蔑の感があるが、中毒を考えると山人の方が合理的かも?

冬ざれの獨轆轤やをのゝおく    津島一笑
<ふゆざれの ひとりろくろや おののおく>。「小野の奥」は前句の小野より更に山中に入ったところなのであろう。そこに一人でろくろを廻している陶芸家がいる。冬の淋しさが直一層際立ってくる。

雪の富士藁屋一つにかくれけり    湍水
<ゆきのふじ わらやひとつに かくれけり>。街道から真っ白に雪をいただいた富士がよくみえる。ところが、小さなわら屋根の小屋のかげに見えなくなった。大きな富士と小さな小屋。あべこべに隠されてしまった面白さが俳諧。

よし野山も唯大雪の夕哉       野水
<よしのやまも ただおおゆきの ゆうべかな>。吉野山に雪が降った。ただ一面の白さだ。桜の色なら裾と頂では微妙なグラデーションを奏でるのだが、雪ばかりは白一色の短調さだ。

星崎のやみを見よとや鳴千鳥     芭蕉

夜るの日や不破の小家の煤はらひ   如行
<よるのひや ふわのこいえの すすはらい>。「不破」は不破の関。古来ロマンチックな歌に詠まれた有数の歌枕。そんな由緒正しい文学的な土地で、どうってこともない貧しげな小家でも、年末ともなれば夜になってもあわただしく煤払いなどしている。つまり歌枕の地なのでなくても、どこにでもある珍しくも無い光景だと言いたいのである。


   

 

雲雀より上にやすらふ峠かな     芭蕉

大和國平尾村にて
花の陰謡に似たる旅ねかな      仝

櫻咲里を眠りて通りけり       夕楓
<さくらさく さとをねぶりて とおりぬけ>。作者は乗り物に乗っていたのである。うららかな春の陽気についうとうとしている間に桜の満開の里を通過したという。残念で仕方ない。作者夕楓<せきふう>は尾張の人。

日の入や舟に見て行桃の花      一髪
<ひのいりや ふねにみてゆく もものはな>。夕方、桃の美しい場所を通過した。舟に任せているのでその景色は後景に去っていく。

のどけしや湊の晝の生ざかな     荷兮
<のどけしや みなとのひるの なまざかな>。のどかな春の港の景色。朝上がった生魚が未だ放置されたままになっている。

ひとつ脱で後におひぬ衣がへ     芭蕉

ある人の餞別に
ほとゝぎすなみだおさへて笑ひけり  除風
あなたとこうして分かれるのはつらくて泣きたくなりますが、私は笑顔で送ります。それというのも、いまホトトギスの初音を聞いたからです。あなたの旅は幸運に恵まれることでしょう。作者の真意は、涙を流すほどの感動が最初から無かったのかも知れないのだが。。。。

寐いらぬに食燒く宿ぞ明やすき    冬松
<ねいらぬに めしたくやどぞ あけやすき>。寝つけないままうとうとしていたら、この宿の者たちは早くも朝飯の準備にかかった。これじゃ朝まで眠られない。短い夏の夜がますます短くなる。

蚊をころすうちに夜明る旅ね哉    昌碧
<かをころす うちによあくる たびねかな>。寝つかれないままに蚊など捕っていたら、白々としてきた。夏の夜の短い旅寝でのこと。

五月雨や柱目を出す市の家      松芳
<さみだれや はしらめをだす いちのいえ>。貧しい町中の家、安普請で生木を柱に使ったりするものだから、梅雨時の湿気に目を覚ましたか木の芽がにょきにょき出てきた。

夕立にどの大名か一しぼり      傘下
<ゆうだちに どのだいみょうか ひとしぼり>。どこの大名行列の一行か知らないが、にわかに降りだした夕立にびしょ濡れになっている。

芭蕉士を送る
稲妻にはしりつきたる別かな     釣雪
<いなずまに はしりつきたる わかれかな>。『更科紀行』に出発する芭蕉への餞別吟。以下は、この折の句。ようやくお会いできた翁に最早お別れとは、なんとも忙しないことです。

なきなきて袂にすがる秋の蝉     一井
<なきなきて たもとにすがる あきのせみ>。お別れするあなたの袂にすがりながら私は別れを悲しんで泣いています。まるで秋の蝉のようですね。

あき風に申かねたるわかれ哉     野水
<あきかぜに もうしかねたる わかれかな>。そうでなくても透きとおるような秋の淋しさがあるのに、この上あなたとの別離です。何も申し上げようがありません。

物いはじたゞさへ秋のかなしさよ   舟泉
<ものいわじ たださえあきの さみしさよ>。同上

霧はれよすがたを松に見えぬ迄    鼠彈
<きりはれよ すがたをまつに みえぬまで>。あの人が去っていく姿が霧が深くて見えない。せめて、街道の並木の松に隠れてお姿が見えなくなるまでは見えるように、霧よ、晴れてくれ。

さらしなに行人々にむかひて
更級の月は二人に見られけり     荷兮
<さらしなの つきはふたりに みられけり>。二人とは、『更科紀行』の芭蕉と越人のこと。

越人旅立けるよし聞て京より申つかはす
月に行脇差つめよ馬のうへ      野水
<つきにいく わきざしつめよ うまのうえ>。「脇差」を「つめる」とは、脇差の長さを短くすること。更科紀行の旅は姨捨の月を見ることなので、その風流に長い脇差はいかにも無粋だというのだが、これを京都からどう言って寄こしたのかは不明。

おくられつおくりつはては木曽の秋  芭蕉

蜘の巣の是も散行秋のいほ      路通
<くものすの これもちりゆく あきのいお>。旅立って住む人の居ない庵の軒端では秋風にクモの巣までが吹き千切られて淋しさは一入だ。

狩野桶といふ物、其角のはなむけにおくるとて
狩野桶に鹿をなつけよ秋の山     荷兮
<かのおけに しかをなつけよ あきのやま>。「狩野桶」の意味は不明。ただ、其角の餞別にやったというのだから何かお守りのようなものかもしれない。それを鹿に見せて鹿を手なずけよというのであろう。

とまりとまり稲すり哥も替けり   ちね
<とまととまり いねすりうたも かわりけり>。旅を続けていくと宿駅宿駅で聴く稲の脱穀の労働歌もところ変われば変わるのが面白い。

入月に今しばし行とまり哉      玄寮(察)
 <いるつきに いましばしゆく とまりかな>。旅の夕方、西の空に三日月が掛かっている。すんだ秋の夜空の美しい中に輝く三日月に引かれて、宿場を一つ向こうまで歩いてしまう。作者玄寮(察?)は不詳。

能きけば親舟に打碪かな       一井
<よくきけば おやぶねにうつ きぬたかな>。不思議なことに砧を打つ音が湖の方から聞こえてくる。それもそのはず、沖に浮かんでいる大舟の中で誰かが砧を打っているらしいのだ。

品川にて人にわかるゝとて
澤庵の墓をわかれの秋の暮      文鱗
<たくあんの はかをわかれの あきのくれ>。「沢庵」は、漬物のタクアンとも、宮本武蔵の禅の師としても有名。正保2年(1645年)12月11日死去。その墓は東京品川東海寺にある。ここが沢庵の開山禅寺である。
 一句は、秋に旅立つあなたとの悲しい別れをここ品川の東海寺の沢庵の墓の前でするとは、かえって一層悲しくなります。

草枕犬もしぐるゝか夜るの聲     芭蕉

旅なれぬ刀うたてや村しぐれ    津島常秀
<たびなれぬ かたなうたてや むらしぐれ>。「うたて」は、ひどい、情けない、不愉快など物事がうまくいかない状態で使われる副詞。作者は、持ちつけない旅刀などをつけて出かけたのだが、あいにく時雨に襲われて雨宿り先を見つけて走ろうというのだが、この刀が足にまつわりついてうまく走れない。実にじれったいのである。
 作者常秀<じょうしゅう>については津島の人という以外に詳細は不詳。

鳴海にて芭蕉子に逢ふて
いく落葉それほど袖もほころびず   荷兮
<いくおちば それほどそでも ほころびず>。貞亨4年11月17日、芭蕉は『笈の小文』の旅の途次、鳴海の知足亭に戻り、20日迄滞在した。17日には、七人歌仙をあんでいる。一句は、このときの荷兮の作。
 旅の空でさぞや落ち葉のように痛んでいるかと思っていましたが、見たところとてもお元気そうで何よりうれしゅうございます。

夢に見し羽織は綿の入にけり     野水
<ゆめにみし はおりはわたの いりにけり>。寒い時期の旅では、やはり何と言っても寒さが大敵だ。だから夢の中で、自分が着ていた羽織には綿が入っていた。願望が夢になったのである。

其角にわかるゝとき
あゝたつたひとりたつたる冬の旅   荷兮
貞徳の句「ありたつたひとりたつたる今年かな」をもじった句。貞徳の句は、子供が初めて立った喜びをうたったもの。これに対して、この句は、別離を「発った」として、旅に発った其角との別離を悲しんでいるのである。

天龍でたゝかれたまへ雪の暮     越人
<てんりゅうで たたかれたまえ ゆきのくれ>。この年末の雪空にあなたは私を置いて旅に出るという。西行法師が天竜川で船頭にこっぴどく殴られた話は知っているでしょうね。あなたも、天竜の渡しでそういう経験をしたらよい旅人になれることでしょうよ。この句の相手が芭蕉か否かは不明。

から尻の馬にみてゆく千鳥哉     傘下
<からじりの うまにみてゆく ちどりかな>。「から尻馬」は、痩せ馬で人を乗せるだけの格安料金の馬。これに乗って、ぽつりぽつりと旅を続けていくと、馬の背中で退屈してしまう。しかたなく、浜の千鳥を眺めながら行く。

里人のわたり候かはしの霜      宗因
<さとびとの わたりそうろうか はしのしも>。橋の上に真っ白に置いた霜に足跡が着いている。これは村人がこの橋を渡った証拠であろう。
 一句は、謡曲(『景清』)の有名な節回しをもじったもので、句の意味は無いのだが。

越人と吉田の驛にて
寒けれど二人旅ねぞたのもしき    芭蕉

旅寐して見しや浮世の煤拂      同


   述懐

 

艸庵を捨て出る時
きゆる時は氷もきえてはしる也    路通
<きゆるときは こおりもきえて はしるなり>。この「草庵」は深川か? 草庵を捨てて旅に出るのだが、冬の氷も春になると消えて水流となって下っていく。私も水となって流れ出していくのだ。

子を獨守りて田を打孀かな      快宣
<こをひとり まもりてたをうつ やもめかな>。孀<ヤモメ>は寡婦のこと。夫に死別したのであろう。その忘れ形見の子供を田の畦の籠に入れて母は田を耕す。作者快宣は尾張名古屋の人。

餘所の田の蛙入ぬも浮世かな     落梧
<よそのたの かわずいれぬも うきよかな>。田の畦を歩いていると他家の田の蛙が我が家の田に入ろうとしている。あわてて蹴飛ばして元に戻させた。これが現実の世界の煩悩というのだろうか、強欲というのだろうか。思わず反省もしているのである。

高野にて
散花にたぶさ恥けり奥の院      杜國
<ちるはなに さぶさはじけり おくのいん>。「たぶさ」は丁髷の「もとどり」のこと。ここ桜散る高野山ではちょん髷をつけた俗人の姿が恥ずかしいほど神聖な気分になった。
 『笈の小文』の旅の途次の作。

櫻見て行あたりたる乞食哉      梅舌
<さくらみて ゆきあたりたる こじきかな>。花見に出ると必ず乞食に会う。乞食たちは人の集まる処ほど恵みにありつけるからだが、桜見る人、乞食する人、まさに人はさまざまだ。

高野にて
父母のしきりに恋し雉子の声     芭蕉

あやめさす軒さへよそのついで哉   荷兮
<あやめさす のきさえよその ついでかな>。「あやめ」は端午の節句に軒端にさして、悪魔祓いをするための素材。作者は無精者で、菖蒲を取りに行ったりしないで、隣家で取ってきたものをお裾分けしてもらって軒端に挿しているらしい。

さうぶ入湯をもらひけり一盥     
<しょうぶいる ゆをもらいけり ひとたらい>。「菖蒲湯」は、同じく端午の節句の五月五日に風呂に菖蒲を入れて無病息災を確信する慣習。ここでも作者は無精で隣家から菖蒲湯のお湯を盥に一盃貰ってきて、それを以って菖蒲湯とすることにしていたらしい。

一本のなすびもあまる住居かな    杏雨
<ひともとの なすびもあまる すまいかな>。独り身のすまいでは、ナスの木が一本あればその盛りには食べきれないほど実がなる。

肩衣は戻子にてゆるせ老の夏     杉風
<かたぎぬは もじにてゆるせ おいのなつ>。「戻子<もじ>」は、麻糸で目を粗く織った布。夏の衣、蚊帳などに使う(『大字林』)。「肩衣」は、袖無しの上衣で仏事などに用いられた(同)。夏の暑さは老人には堪える。せめて肩衣として戻子でいいことにしてくれ。

似はしや白髪にかつぐ麻木賣     龜洞
<につかわしや しらがにかつぐ おがらうり>。「麻木<おがら>」は、盆に迎え火や送り火を焚くのに使う燃料。麻の皮をむいた心を乾燥してつくる。そのおがらう売りがやってきたが、見れば白髪の老人だ。これは軽くて老人の商売にはうってつけだ。

九月十日素堂の亭にて
かくれ家やよめ菜の中に残る菊    嵐雪
<かくれがや よめなのなかに のこるきく>。貞亨5年9月10日の「残菊の宴」の折の句。『更科紀行』の旅から帰った芭蕉を迎えて素堂の別邸に集まった。その素堂の隠れ家には、菊好きの素堂には珍しく、ヨメナが植えてあって、その中に菊が混じっているという塩梅なのである。

かり家を貪るきくの垣穂かな     暁鼯
<かりいえを むさぼるきくの かきほかな>。我が家は借家であるが、垣根には菊を植えて楽しんでいる。

人のいほりをたづねて
さればこそあれたきまゝの霜の宿   芭蕉

旧里の人に云つかはす
こがらしの落葉にやぶる小ゆび哉   杜國
<こがらしの おちばにやぶる こゆびかな>。昔、中国の苑宜は、小指を傷つけて泣いたという。そのわけは身体髪膚すべて親に受けそれを傷つけた親不孝を悲しんだのだといったという。私も今日木枯らしで落ちた落ち葉を拾っていて小指を傷つけました。この私は、不法を働いて今こうして流罪の身となっています。そのふるさとの皆さんへの不幸を思って苑宜同様小指の傷に泣いております。

鎌倉建長寺にまふでゝ
落ばかく身はつぶね共ならばやな   越人
<おちばかく みはつぶねとも ならばやな>。「つぶね」とは、下僕のこと、ここでは建長寺の寺僕。建長寺の境内は掃き清められていて、実も心も清澄な救われた気持ちになる。折りしも落ち葉の季節、私もこの寺の下僕となって落ち葉かきなどさせて貰えないだろうか。

ある人のもとより見よやとて、落葉を一籠
おくられて
あはれなる落葉に焼くや島さより  荷兮
<あわれなる おちばにたくや しまさより>。「さより」は、ダツ目の海魚。全長40センチメートルほど。体形は細長く、下あごが長く突き出ている。体色は背面が濃青色、腹面は銀白色。春先がことに美味。サハリンから台湾にかけて分布、汽水域にも現れる。ハリウオ(『大字林』)。ただし、「島さより」は不明。落ち葉を贈っていただきましたが、あなたの地方では落ち葉を焚いてそれでサヨリを焼くのですか。

古郷の事思ひ出る暁に
たらちめの暖甫や冷ん鐘の聲     鼠彈
<たらちめの たんぽやひえん かねのこえ>。冷え込んで寒さの一段と厳しい朝。故郷のことを思い出しました。この寒い朝、故郷の母はどうしているでしょうか。湯たんぽもすっかり冷えてしまっていることでしょうが。

榾の火に親子足さす侘ね哉      去来
<ほたのひに おやこあしさす わびねかな>。「榾<ほた>」とは、ほたぐい、ほたぎのこと。つまり、囲炉裏などの燃料。土間の囲炉裏端で親子がほたぎの燃える囲炉裏に仲良く足を差し出して眠りほうけている。貧しい山村の農家の風景か?

目や遠う耳やちかよるとしのくれ   西武
<めやとおう みみやちかよる としのくれ>。だんだん年をとって年の暮。目はますます遠くなるが、反対に耳は聞こえないので近寄って聴かなくてはならないから「近く」なる。まったく取りたくない年の暮。
 典型的な談林俳諧。

ふるさとや臍の緒に泣年の暮     芭蕉

さまざまの過しをおもふ年のくれ   除風
<さまざまの すぎしをおもう としのくれ>。例年のことだが、歳の暮にはあんなこともあった、こんなこともあったと、思い出すことの多い季節だ。

老をまたづして鬢先におとろふ
行年や親にしらがをかくしけり    越人
<ゆくとしや おやにしらがを かくしけり>。まだ、42歳の厄年にもならないというのに、私の鬢には白髪が生えた。年取りの暮の日に、一つ年をとって両親が老け込まないように私の白髪を父母には見せないでおこう。


   

 

春の野に心ある人の素貌哉     伊勢一有妻
<はるののに こころあるひとの すがおかな>。春の野に恋をする女が独りいます。素顔は、恋するサイン。

きぬぎぬや余のことよりも時鳥    除風
<きぬぎぬや よのことよりも ほととぎす>。愛する人と一夜を明かして朝目覚めてみると、ホトトギスが渡ってゆく鳴き声。恋のことを忘れてすっかりホトトギスの声に夢中になってしまった。

蚊屋出て寐がほまたみる別かな    長虹
<かやいでて ねがおまたみる わかれかな>。一夜床を共にした女と別れるに蚊帳の外に出た。そのとき女の寝顔を振り返って一層いとおしくなった。なんともまあ不道徳な!!??

むし干の目に立枕ふたつかな     文瀾
<むしぼしの めにたつまくら ふたつかな>。虫干しをしているのであろう。枕が二つ干してあるが、あの枕、どんな男女が使っているのか? どうでもいいのに。

虫干に小袖着て見る女かな      冬文
<むしぼしに こそできてみる おんなかな>。虫干しに、ここしばらく着ていない小袖をだして、室内に干すのだがそっと着てみる。何時のことだったかこれを着て恋をしたのだ。

さゝげめし妹が垣ねは荒にけり    心棘
<ささげめし いもがかきねは あれにけり>。「昔見し妹が垣根は荒れにけりつばなまじりのすみれのみして」(『堀河百首』)のパロディー化した句。こちらは董じゃなくて、ささげ(マメ科の一年草。南アジア原産。種子や若いさやを食用にするため栽培する。茎はつる性で、卵形の三小葉からなる複葉を互生。夏、葉腋に淡紅褐色の蝶形花をつける。豆果は線状円柱形で、特に莢の長い品種を十六豆という。ささぎとも。『大字林』)だが。
 作者心棘<しんきょく>は江戸の人。

六宮粉黛無顔色
宵闇の稲妻消すや月の顔       長虹
<よいやみの いなずまけすや つきのかお>。前詞「六宮粉黛無顔色<ろくきゅうふんたいがんしょくなし>」は、楊貴妃の美貌に優る女は後宮三千人の中に独りも無かったの意(『長恨歌』より)。宵の内、夜空を光らせていた稲妻もやがて月が中天に来る頃にはもはや光は失せてしまう。楊貴妃の顔の美しさに優る者があろうか。

一めぐり人待かぬるをどりかな    尚白
<ひとめぐり ひとまちかねる おどりかな>。盆踊りの踊り手の中に美しい人がいる。それが一周して戻ってくるまでの時間の長いこと。

さびしき折
つまなしと家主やくれし女郎花    荷兮
<つまなしと やぬしやくれし おみなえし>。家主が女郎花を持って来てくれた。妻がいなくて淋しいだろうというのである。

しりながら薄に明るつまどかな    小春
しりながら すすきにあくる つまどかな>。妻戸に写っている人影のようなもの、実はあれは庭のススキの影なのだが、そうと知りつつあの人が来たのではないかと思って開けにいく。「叩くとて宿の妻戸をあけたれば人もこずゑのくゐななりけり」(『拾遺集』)を写し取った句。

妻の名のあらばけし給へ神送り    越人
<つまのなの あらばけしたまえ かみおくり>。秋十月神無月は、諸国の神様が出雲に集合して年次総会を開催するのだが、その主題は縁結びなのだそうだ。各地の神が持ち寄った男女を赤い糸で結んでいく。するとこの二人は恋に落ちて結婚することになるのである。ところで作者越人はどうしたことか、この出雲へ出かけようという神様に向かって、自分と結び付けようという女性の名前が出雲の会議で出てきたら、結婚するつもりは無いので名簿から消しておいてくださいというのである。

松の中時雨ゝ旅のよめり哉      俊似
<まつのなか しぐるるたびの よめりかな>。「よめり」は嫁入りのこと、ここではその一行。松林の中で嫁入りの行列の一行が時雨に遭って避難している。

物おもひ火燵を明ていかならむ    舟泉
<ものおもい こたつをあけて いかならん>。恋をしているときというのは不可解な行動を取るものだ。私は、コタツ布団を持ち上げて、火を見ようというのではない、ただ訳も分からずそんなことをしてしまったのだ。恋ゆえに。

うたゝねに火燵消たる別れ哉     嵐簔
<うたたねに こたつきえたる わかれかな>。小野小町の歌「うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものをたのみそめてき」(『古今集』)があるのでこれにあやかって、私はコタツでうたた寝をした。そしたらあの人に逢えたのだが、コタツの火が消えたところで寒くなってあの人とつい別れてしまった。残念でならない。嵐簔<らんさ>は尾張の人。

山畑にもの思はヾや蕪引       松芳
<やまはたに ものおもわばや かぶらひき>。山の畑に行こうというその男よ、お前は畑で誰にも邪魔されずに大根の収穫にかこつけて恋の想いをじっくり味わおうというのだな。西行の歌「はるかならう岩のはざまにひとり居て人目思はでもの思はばや」(『山家集』)のパロディー化。

きぬぎぬを霰見よとて戻りけり    冬松
<きぬぎぬを あられみよとて もどりけり>。一晩過ごした女と別れて外に出たら、幸い霰が降ってきた。これを口実に女のところへ戻った。

おそろしやきぬぎぬの比鉢鼓き    昌碧
<おそろしや きぬぎぬのころ はちたたき>。女と一夜を過ごして帰る道、鉢叩きの一行がやってきた。なんとも抹香くさいことになったものだ。


   無常

 

末期に
散る花を南無阿弥陀仏と夕哉     守武
<ちるはなを なむあみだぶつと いうべかな>。夕暮れ時に花が散るのを見て、南無阿弥陀仏と言う。「夕哉」に「言うべ」が掛詞となっている。「末期」は、辞世の意味ではなく、愈々死に臨んでこのような心境でありたいという意味か?

無常迅速
咲つ散つひまなきけしの畠哉     傘下
<さきつちりつ ひまなきけしの はたけかな>。まさに無情迅速で、ケシの畑では咲く花があるかと思えばその隣では一輪散っていく。

末期
南無や空たヾ有明のほとゝぎす   元順
<なむやくう ただありあけの ほととぎす>。「ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞのこれる」の本歌を採った句。この歌にあるとおり、すべては一切空なのである。南元順<みなみげんじゅん>は、泉州堺の人で談林俳諧時代に活躍したらしい。

松坂の浮瓢といふ人の身まかりたるに
いひやりける
橘のかほり顔見ぬばかり也      荷兮
<たちばなの かおりかおみぬ ばかりなり>。「さつき待つ花たちばなの香をかげば昔の人の袖の香ぞする」の本歌採り。松坂の浮瓢は未詳だが、名前からして同好の士らしい。この古歌にありますように、あなたの死を知らされましたが、橘の花の匂いと重なってあなたの顔が今そこにあるようなそんな錯覚に襲われています。

いもうとの追善に
手のうへにかなしく消る螢かな   去来
<てのうえに かなしくきえる ほたるかな>。「いもうと」は千子。彼女の辞世「もえやすくまた消えやすき蛍かな」であった。去来はこの才能のある妹をこよなく愛していた。一句の「蛍」は、ほかでもない千子のことなのである。

ある人子うしなはれける時申遣す
あだ花の小瓜とみゆるちぎりかな   荷兮
<あだばなの こうりとみゆる ちぎりかな>。瓜のつるに咲いた実をつけないあだ花。成人することなく亡くなったお子さんは小瓜のあだ花のように散っていきましたね。

世をはやく妻のみまかりける比
水無月の桐の一葉と思ふべし     野水
<みなづきの きりのひとはと おもうべし>。野水の妻の生死については不詳だが、若くして死んだらしい。本書成立時に野水は31歳であった。
 水無月の6月は夏の盛りで桐の葉は落ちない。それなのに君は六月に死んだ。人生の盛りの死は、まるで六月に桐の葉が落ちるようなありえない死であった。

辞世3
あはれ也灯篭一つに主コ齋
<あはれなり とうろうひとつに ぬしこさい>。盆の飾りの灯篭に、これを作った者の名前として私自身の名前が刻んであるが。しかし間もなく私が盆に招かれる先祖となるのだ。作者名が隠されているが、作品中に書かれているので省略したのである。      

子にをくれける比
似た顔のあらば出てみん一躍り    落梧
<にたかおの あらばでてみん ひとおどり>。作者は子供に先立たれたのである。盆踊りの一行が通り過ぎるが、その中に死んだわが子に似た人がいるなら飛んでいって会いたいものだ。盆は、死者の回想の機会なのである。

一原野にて
をく露や小町がほねの見事さよ    釣雪
<おくつゆや こまちがほねの みごとさよ>。前詞の「一原野<いちはらの>」は、京都市左京区静市「市原」のこと。ここの補陀落寺に小野小町のサレコウベが安置されていた。

妻の追善
をみなえししでの里人それたのむ   自悦
<おみなえし しでのさとびと それたのむ>。「おみなえし」には、謡曲『女郎花』の主題が隠されているのである。小野頼風の妻は夫の不実を疑って自殺をする。不実を晴らすとて頼風も後を追って死ぬ。
 ここでは作者の妻が死に、自分も後を追いたいが、それがままならない。ついては里の人たちよ妻の死の旅を助けてやってくれ、というのである。
 作者浜川自悦<はまかわじえつ>は、京の人。北村季吟門下の談林派俳人。

李下が妻のみまかりしをいたみて
ねられずやかたへひえゆく北おろし  去来
李下の妻は元禄元年(貞亨5年)に死亡したらしい。芭蕉にも彼女の死を悼む「被き伏す蒲団や寒き夜やすごき」がある。去来の作品も全く同じ動機と内容を持っている。さすが!。というのも李下の妻も才能のある人だったらしく、同好の士であったのである。

コ齋みまかりし後
その人の鼾さへなし秋のくれ     其角
<そのひとの いびきさえなし あきのくれ>。コ齋が、生前「いびき」をかいたかかどうかは分からないが、それを主題にして一句が生きてくるから其角はすごい。プロの俳諧師の追悼というのはこんなものというペーソスのあふれた一句。

母におくれける子の哀れを
おさな子やひとり食くふ秋の暮    尚白
<おさなごや ひとりめしくう あきのくれ>。秋の夕暮、母を亡くした幼子がひとり淋しそうに夕ご飯を食べている。何とも悲しい。

ある人の追善に
埋火もきゆやなみだの烹る音     芭蕉

旅にてみまかりける人を
あは雪のとヾかぬうちに消にけり   鼠彈
<あわゆきの とどかぬうちに きえにけり>。誰の死か判然としないが、旅行中に死んだ若い人という感じがするが。地上に届く前に消える雪のことを淡雪という。その淡雪のようにあなたの死はあっけないはかないものでした。

鳥辺野ゝかたや念佛の冬の月     加賀小春
<とりべのの かたやねぶつの ふゆのつき>。冬の凍りつきそうな月が空に光っている。鳥辺山の方角から念仏の声がかすかに聞こえてくる。


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