阿羅野脚注

  巻之六  雑


曠野集 巻之六

   

  

年中行事内十二句            荷兮

供屠蘇白散
いはけなやとそななめ初る人次第
<いわけなや とそなめそめる ひとしだい>。「屠蘇白散」は宮中の正月行事で屠蘇や白散<びゃくさん=屠蘇(とそ)の一種。山椒(さんしよう)・防風(ぼうふう)・肉桂(につけい)・桔梗(ききよう)・細辛(さいしん)などを刻んだもの。『大字林』>を呑む行事のこと。「いはけない」とは、「稚い」、「年端がゆかない」、「幼い」こと、だがここではそれと「不服」の意味の「いわけない」をかけている。ところで、宮中ではお屠蘇を呑む順序は推さないものの順だという。しかし私は不満だ。年老いたものの順から呑むべきだ。そうしないと私が待たされるから。

春日祭
としごとに鳥居の藤のつぼみ哉
<としごとに とりいのふじの つぼみかな>。「春日祭」は奈良春日大社の春の祭礼。2月最初の申の日。毎年、この祭の時には藤の花はつぼみのままだ。春日大社は藤原氏の氏神だが、これから開花するようでおめでたい。

石清水臨時祭
沓音もしづかにかざすさくら哉
<くつおとも しずかにかざす さくらかな>。「石清水臨時祭」は、石清水八幡宮の3月の申の日に行われたが、この時代はすたれていたので、この句は想像の産物。祭りの主役の大宮人は桜の花を頭巾にかざして登場したのだそうだが、桜の散るのを嫌ってしずしずと登場して来たに違いない。

潅佛
けふの日やついでに洗ふ佛達
<きょうのひや ついでにあらう ほとけたち>。「灌仏会」4月8日の釈迦の誕生日の祭。この日は、誕生佛をつくってそれに水ぬぐいをするのであるが、ついでに本堂などにある仏像のすす払いもするので、仏たちがみんなきれいになるのである。

端午
おも痩て葵付たる髪薄し
<おもやせて あおいつけたる かみうすし>。「端午」は端午の節句の五月五日のこと。端午の節句の日に見ると、颯爽として加茂社の葵まつりの時には葵を髪飾りにつけていた大宮人も、夏痩せのために髪の毛は薄くずいぶんとやせこけて見えることだ。

施米
うち明てほどこす米ぞ虫臭き
<うちあけて ほどこすこめぞ むしくさき>。「施米」とは、平安時代、毎年6月に朝廷から京中の貧僧に米・塩を施したこと(『大字林』)。時期が時期だけに虫が発生しやすい時期であって、俵の口を開けるやいなや虫の匂いがする。

乞巧奠
わか菜より七夕草ぞ覺えよき
<わかなより たなばたぐさぞ おぼえよき>。「乞巧奠<きっこうでん>」とは、陰暦七月七日の行事。牽牛(けんぎゆう)・織女の二星を祭って、手芸・芸能の上達を祈願する。中国から伝わった行事で、日本では奈良時代から宮中で行われ、のち七夕として民間にも普及した(『大字林』)。一句はあまりこのことと関係ない。七夕草とは、秋の七草のこと。若菜は、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの春の七草だが、その若菜とは何かよく分からない。秋の七草は、萩の花・尾花・葛花・撫子の花・女郎花・藤袴・朝顔花とよく区分けもできて分かりやすい。

駒迎
爪髪も旅のすがたやこまむかえ
<つめかみも たびのすがたや こまむかえ>。「駒迎」とは、「駒牽<こまひき>=平安時代、御牧(みまき)から貢進した馬を、天皇が御覧になって、御料馬を定める儀式。毎年8月15日、のちに一六日に行われた。」のときに、馬を官人が逢坂関まで出迎えたこと。毎年8月に行われた(以上『大字林』)。駒迎えの日の駒を牽いてきた人たちの髪の毛は伸び放題、つめも伸び放題。

撰虫
草の葉や足のおれたるきりぎりす
<くさのはや あしのおれたる きりぎりす>。「撰虫<むしえらみ>」とは、昔、殿上人たちが嵯峨野などへ出向き、虫合わせの虫を選んで虫籠(むしかご)に入れ宮中に奉ること。選虫。虫えらみ(『大字林』)。大宮人がなれない腰つきで虫など採っているが、なれないものだから草の葉の上の虫を捕まえるなり足を折ってしまったりするのだ。

十月衣更
玉しきの衣かへよとかへり花
<たましきの ころもかえよと かえりばな>。「十月衣更」は10月1日に冬に向けた衣更え。3月晦日まで続く。宮中では秋の衣更えをするとまたあの華やかな衣装の換えるので、花の無い季節に花が咲いたような美しさであろう。

五節
舞姫に幾たび指を折にけり
<まいひめに いくたにゆびを おりにけり>。「五節<ごせち>」は、奈良時代以後、毎年新嘗祭(しんじようさい)・大嘗祭(だいじようさい)の折に、その前後四日(11月中(なか)の丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)の日)にわたって行われた、五節の舞を中心とする儀式行事。丑の日は舞姫が参入し、夜、帳台の試みが行われ、寅の日は清涼殿で殿上(てんじよう)の淵酔(えんすい)および夜は常寧(じようねい)殿で御前の試み、卯の日は舞姫の介添えの少女たちを御前に召す童女(わらわ)御覧、辰の日は豊楽殿(ぶらくでん)の前で、豊明(とよのあかり)の節会(せちえ)が催され、五節の舞が舞われる。天武天皇の代に始まるといわれ、平安時代には盛大に行われたが、のち大嘗祭の時のみとなり、室町時代には廃止された(『大字林』)。華麗な舞で舞姫は何度袖を返したことか?

追儺
おはれてや脇にはづるゝ鬼の面
<おわれてや わきにはずるる おにのめん>。「追儺<ついな>」は、悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事。平安時代、宮中において大晦日(おおみそか)に盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったという。節分に除災招福のため豆を撒(ま)く行事は、追儺の変形したもの。鬼やらい(『大字林』)。

  詩題十六句             野水

 以下の16句は、『白氏文集』の詩句に題材を求めて野水が作句した作品群。

今日不知誰計會 春風春水一時来
氷ゐし添水またなる春の風
<こおりいし そうずまたなる はるのかぜ>。「今日不知誰計會 春風春水一時来<きょうしらずたれかけいかいせん しゅんぷうしゅんすいいつしにきたる>」今日立春の日に、春風と春水が一緒になるように計算したのであろう。「添水」とは、懸け樋(ひ)などで水を引いて竹筒に注ぎ入れ、一杯になると重みで反転して水を吐き、元に戻るときに石などを打って音を発するようにした仕掛け。もと農家で猪(いのしし)や鹿(しか)をおどすのに用いられた。ししおどし。添水唐臼(そうずからうす)(『大字林』)。今まで凍りついていて動かなかったししおどしの添水が春の風に溶けて動き始めた。文字通り「春風春水一時来」だ。

白片落梅浮澗水
水鳥のはしに付たる梅白し
<みずとりの はしにつきたる うめしろし>。「澗」は谷川の意で、よって澗水は谷川の水のこと。「白片落梅浮澗水<はくへんのらくばいかんすいにうかぶ>」は、梅の花が落花して谷川の水に浮かぶという意。梅の花びらが水鳥の羽に付いている。きっと上流に梅木があって落梅しているのであろう。

春来無伴閑遊少
花賣に留主たのまるゝ隣哉
<はなうりに るすたのまるる となりかな>。「春来無伴閑遊少<はるきたれどもともなくしてかんゆうまれなり>」は、春は来たものの友もいないのでゆっくり春を遊び暮らすことも無いの意。隣は花売りで春ともなればかきいれどきだ。今日も今日とて商売に出かけるについては留守を頼まれてしまった。こうして、私は春中何処にも行くことなく過ごすことになりそうだ。

花下忘歸因美景
寝入なばもの引きよせよ花の下
<ねいらなば ものひきよせよ はなのした>。「花下忘歸因美景<はなのしたにかえるを忘れるはびけいのゆえなり>」は、桜の花の下で(酔っ払って)寝込んでしまっているのは、酔っているのではない、この花があまりに美しいからだ。とは言うものの寒さで風邪をひくだろうから何かものをかけてやれ。

留春春不留 春歸人寂莫
行春もこゝろへがほの野寺かな
<ゆくはるも こころえがおの のでらかな>。「<はるをとどめてはるとどまらず はるかえりてひとせきばくたり>」は、春が去るのを止めようとしても留まることは無い。やがて春は去って、人々は寂しい想いをする。この野末の古寺も桜の季節には賑わったが今は静寂そのもの。それなのに、これが本当の姿だと言わんばかりに落ち着いている。

厳(微)風吹袂衣 不寒復不熱
綿脱は松かぜ聞に行ころか
<わたぬきは まつかぜききに ゆくころか>。「微風吹袂衣 不寒復不熱<びふうあわせをふいて さむからずまたあつからず>」、そよ風が着物のえりを吹くが寒くもなく暑くもなくいい季節だ。「綿脱<わたぬき>」は四月朔日の衣更えを言う。衣更えの頃には暑くもなく寒くもなく松風を聞きに行きたくなるようなそんな季節なのだ。

池晩蓮芳謝
蓮の香も行水したる氣色哉
<はすのかも ぎょうずいしたる けしきかな>。「池晩蓮芳謝<いけくれてれんぼうしゃす>」とは、蓮池が夕闇におおわれて蓮の花も闇の中に消えてゆく。「謝」は別れを告げる、の意。
 夕闇に蓮池が覆われるのと共に、蓮の花の香がただよってきた。あれは彼女らが行水を使ったために好い匂いがするのだ。

暑月貧家何処有 客来唯贈北窓風
涼めとて切ぬきにけり北のまど
<すずめとて きりぬきにけり きたのほど>。「暑月貧家何処有 客来唯贈北窓風<しょげつひんかなにのゆうするところぞ きゃくきたりてただおくるほくそうのかぜ>」、この貧しい我が家のこと6月に客が来たとて何があろうか。ただ、北側の窓を開けて涼しい風を贈るだけだ。一句は、そのために北窓をくりぬいた、という。

大底四時心惣苦 就中斷腸是秋天
雪の旅それらではなし秋の空
<ゆきのたび それらではなし あきのそら>。「大底四時心惣苦 就中斷腸是秋天<おおむねしいしこころすべてくるしく なかんずくはらわたをたつことこれあきのてん>」、四季折々一年中何時でも心は苦しいが、わけても秋の暮は断腸の思いがする、の意。古今集には「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」などとあるが、この旅中の雪はそんだものじゃない。断腸のおもいで旅をしているのだ。

夜来風雨後 秋気颯然新
秋の雨はれて瓜よぶ人もなし
<あきのあめ はれてうりよぶ ひともなし>。「夜来風雨後 秋気颯然新<やらいふうののち しゅうきさつぜんとしてあたらたなり>」、夜来の雨が過ぎ去ったら、急に秋の気が立って風が爽やかになった。
 雨が通過して急に秋らしい涼風が吹いたと思ったら、瓜売りの呼び声がピタッと来なくなった。

遅々鐘漏初夜長 耿々星河欲曙天
ひとしきりひだるうなりて夜ぞ長き
「<ちゝたるしょうろうはじめてよながき こうこうたるせいがあけんとほっすてん>」鐘の音もゆっくりしたようでようやく秋の夜長の季節が来た。天の川がこうこうと天に輝いて曙が来た。
 秋の夜長になって、寝るまでに腹が減る。
 

残影燈閇牆 斜光月穿牖
獨り寐や泣たる貌にまどの月
<ひとりねや なきたるかおに まどのつき>。「残影燈閇牆 斜光月穿牖<ざんえいのともしびかべにひらめき しゃこうのつきまどをうがつ>」行燈の残影は窓に映り、斜めになった月の光は窓を照らす。そんな夜、あの人は私を訪ねてくれなかった。その悲しみに流す涙が月明りの中に光る。なんとも艶っぽい句ではある。

万物秋霜能懐色
白菊や素顔で見むを秋の霜
<しらぎくや すがおでみんを あきのしも>。「万物秋霜能懐(壊)色<ばんぶつしゅうそうよくいろをやぶる>」、秋の霜は万物の色を変えてしまう。霜を置く白菊は古来詩歌に詠まれてきたが、本当は霜のない素顔の白菊の美しさをこそ味わいたいのだ。

十月江南天気好 可憐冬景似春華
こがらしもしばし息つく小春哉
<こがらしも しばしいきつく こはるかな>。「十月江南天気好 可憐冬景似春華<じゅうがつこうなんのてんきこうなり あわれむべしとうけいしゅんかににたることを>」、10月になってかえって揚子江の南側の地では好天が続き、冬の景色でありながら小春のような穏やかさだ。
 冬の木枯らしが今日はいっぷくしているのか、小春日和だ。

寂莫深村夜 残雁雪中聞
鉢たゝき出もこぬむらや雪のかり
<はちたたき でもこぬむらや ゆきのかり>。「寂莫深村夜 残雁雪中聞<じゃくばくたりしんそんのよる ざんがんせちゅうにきこゆ>」静まり返った山村の夜に、遅れて到着した雁が雪の中に鳴いている。
 蜂たたきさえ来ない淋しい寒村の雪の田んぼに雁が餌を探している。淋しい句。

白頭夜礼佛名経
佛名の礼に腰懐く白髪哉
<ぶつみょうの らいにこしだく しらがかな>。「白頭夜礼佛名経<はくとうのよるぶつみょうのきょうをらいす>」、白髪の老僧が三千佛の称名念仏を上げている。
 仏名のお経を上げている白髪頭の老僧となればやせこけて、伏拝しているのか自分の腰をだいているのかよく分からないのではないか。

禪閤の撰びのこし給ひしも、さすがにお
かしくて
               舟泉  

禅閣は一条兼良(1402-1481) <いちじょうかねら>(室町中期の政治家・学者。関白太政大臣。有職故実・古典に通じた当代随一の学者。著「花鳥余情」・「古今集童蒙抄」・「樵談治要(しようだんちよう)」・「東斎随筆」・「尺素往来(せきそおうらい)」など。)のこと。以下は、彼が遺したという歌のパロディだというが詳細は不明。

鋸□目立(□は金偏に屑)
かげろうふの夕日にいたきつぶり哉
<かげろうの ゆうひにいたき つぶりかな>。「つぶり」は頭のこと。頭痛である。のこぎりの目立てという作業は目を酷使するし、緊張を持続させて鋸の歯を研ぐ作業だ。だから夕陽の時刻になって、太陽を見ると頭痛がする。

附木突
五月闇水鶏ではなし人の家
<さつきやみ くいなではなし ひとのいえ>。「附木突<つけぎつき>」とは、ヒノキを厚さ0.5ミリ程度の帯状平面に切り出してその片方に黄色く硫黄を塗布したもの。これに火をつけると直ぐに点火して焚付けに具合がよい。
 五月の闇の夜、何処かで水鶏が鳴いているなと思ってよく耳をそばだててみると、なに音の主は附木つくりの一家のヒノキを裂くなたの音だった。

鉤瓶縄打
かへるさや酒のみによる秋の里
<かえるさや さけのみによる あきのさと>。「鉤瓶縄打<つるべなわうち>」とは、井戸のツルベ縄をなう職人のこと。釣る瓶は、シュロの皮で編むが、井戸の深さに合せて長さを決めるため現場仕事になる。
 ツルベ職人が、一日の仕事の帰り道、唯一楽しみにしているのが酒屋の軒先で一杯引っ掛けていくことだ。しみじみとした里の秋の静寂さとしがない職人の片隅の幸福。

糊賣
あさ露のぎぼう折けむつくもがみ
<あさつゆの ぎぼうおれけん つくもがみ>。「<のりうり>」は、洗濯糊を売り歩く人。古くから、なぜか老婆の仕事とされていた。洗濯日和の日が格好のビジネスチャンスだった。そんな日は朝露がしとどに降りて、ぎぼうの葉に糊を包んで出かけるのである。老婆の髪の毛はツクモガミ(はげ)である。
 「ぎぼう」はギボウシのこと。全国の山野に自生しているユリ科の植物。夏に白、薄紫、紫などの細い筒形の花を咲かせる。

馬糞掻
こがらしの松の葉かきとつれ立て
<こがらしの まつのはかきと つれだちて>。「馬糞掻<ばふんかき>」とは、道路に落ちた馬糞や牛糞をかき集める仕事。主として孤児などの少年のアルバイトだった。かたや松葉掻きという仕事は、その名のとおり落ち葉を集める仕事。寺院の庭などでこれも少年のアルバイトだった。
 その松葉掻きは、木枯らしが吹いてくると仕事にありつける。だから、木枯らしを背に受けながら北風と連れ立って出かけていくのである。

   李夫人              越人

魂在何許香煙引到焚(香)處
かげろふの抱つけばわがころも哉
<かげろうの だきつけばわが ころもかな>。「魂在何許香煙引到焚處<たましいはいずれのもとにかある こうえんにひかれてこうをたくところにいたる>」は、漢の武帝の寵姫李夫人が死んで武帝が悲しんでいると、李夫人が線香の煙の中に現れたという白子文集の詩。
 一句は、煙ではなく陽炎でも、中に愛する人がいるかと思って抱きついたらなんと自分を抱いていた。

  楊貴妃

雲髩 半偏新睡覺 花冠不整下堂(來)
はる風に帯ゆるみたる寐貌哉
<はるかぜに おびゆるみたる ねがおかな>。「雲髩 半偏新睡覺 花冠不整下堂(來)<くものびんなかばみだれてあらたにねむりさめたり はなのかんむりととえずどうよりくだりきたれり>」は、白氏文集『長恨歌』の中の一節。玄宗皇帝の命を受けて、方士が蓬莱宮におもむき死後の楊貴妃に対面した。そのときの楊貴妃は、髪の毛も乱れたまま眠りから覚めたばかりのいでたちで堂上から降りてきたという。
 一句は、その楊貴妃が寝覚めたばかりの帯の乱れをそのままに春風の中に立っている、とした。

  昭陽人

小頭鞋履窄衣裳 黛点眉々細長
外人不見々應笑
もの數寄やむかしの春の儘ならん
<ものずきや むかしのはるの ままならん>。「小頭鞋履窄衣裳 黛点眉々細長 外人不見々應笑<しょうとうおうのけいりすぼきいしょうあり あおきまゆずみまゆをてんじまゆほそくながし そとのひとはみえずみればわらうべし>」は、白氏文集『上陽白髪人』からの引用。「昭陽人」は、唐の玄宗皇帝の後宮に16歳で入った人。玄宗の愛が楊貴妃に独占されたため、彼女はむなしく後宮で白髪の老婆になった。しかし、年老いてからも16歳の頃の姿でいたからそれは化け物みたいで外との接触がないからいいようなものの、見られたら大笑いされたであろうという。
 一句は、この悲しい女性は16歳以上に成長しなかったのだろうという。

  西施

宮中拾得娥眉斧 不獻吾君是愛君
花ながら植かへらるゝ牡丹かな
<はなながら うえかえらるる ぼたんかな>。「宮中拾得娥眉斧 不獻吾君是愛君<きゅうちゅうがびがおのをひろいえて わがきみにたてまつらざるはこれきみをあいするなり>」。西施は、越王勾踐の愛妾。勾踐はこの女におぼれ国の存亡の危機と認識した臣下の笵蠡は彼女を敵国の呉王夫差に与えた。呉王は彼女に耽溺し国は乱れた。その機に乗じて越は呉をせめて陥落させ、西施は取り戻されたが、彼女がいると国難のもとと考えた笵蠡は西施を暗殺してしまう。すなわち、宮中で宝物西施を拾いながらこれを王に献上しなかったのは不忠のためではなく、王のことを思えばこそだというのである。
 一句は、西施が呉王に献上されたことを牡丹の移植にたとえたのである。

  王照(昭)

玉貌風沙膝(勝)畫圖
よの木にもまぎれぬ冬の柳哉
<よのきにも まぎれぬふゆの やなぎかな>。「玉貌風沙膝(勝)畫圖<ぎょくぼうふうさにもがとにまされり>」と読む。前漢元帝の代、宮中の女の中から一人を胡の国の王妃に差し出すこととなった。その際、女たちの肖像画を贈って選ばせることとした。すると女たちは画工に賄賂を贈って自分を美しく描かせたのだが、ひとり王昭君だけは素顔のままの絵を描かせた。そして、その彼女が選ばれた。美しい顔は砂漠の風邪や砂に汚れても、絵描きが描いた美女よりなお美しかった、というのである。
 一句は、冬の柳の木、葉は落ちてしまっていても辺りの木々とはやはり風情が違う。それとして直ぐ分かる美しさだ。

一日留主をする事侍りて
卯                     釣雪
寐やの蚊や御佛供燒火に出て行
<ねやのかや おぶくたくひに いでていく>。「御佛供<おぶく>」は仏壇に供える供え物。一晩中悩ませてくれた蚊どもが、おぶくを作る火の煙におののいたか逃げていく。
 一連の釣雪の句は、ここでは時間をおって句を並べている。まずは、早朝の一句がこれである。


杜若生ん繪書の來る日哉
<かきつばた いけんえがきの くるひかな>。今日は絵かきを生業としている友人が来ることになっている。だから杜若でも花入れに活けて待つこととしよう。


講釈の眠りにつかふ扇哉
<こうしゃくの ねぶりにつかう おおぎかな>。講釈士が熱演をしているというのに、観客の中に居眠りをするものがいる。その眠気を覚まそうというのか講釈士はさかんに扇子を講釈台に打ちつけて大きな音を出している。


水あびよ藍干上を踏ずとも
<みずあびよ あいほすうえを ふまずとも>。「藍」は藍染用の原料の草で、これを刈り取るのは夏。これを干して乾燥させるのだが、これを子供たちが踏みつけたりする。そんなことをしないで水浴びにでも行け。


蝉の音に武家の夕食過にけり
<せみのねに ぶけのゆしょく すぎにけり>。武家では勤務が早朝から始まるので、サマータイムよろしく夕方の退社時間は早くなる。夏だとまだ蝉が鳴いている時刻に夕食が終わるというようなことになる。


五月雨や鶏とまるはね作り
<さみだれや にわとりとまる はねつくり>。たれこめて一日中薄暗い梅雨時の雨の日。宵闇が早く来るのでニワトリたちは早々と寝に就くための羽つくろいをしている。

所にありて生をたつ事是非なし
山(豸偏に犬)獣
鹿笛の上手を尽すあはれさよ      樹水
<しかぶえの じょうずをつくす あわれさよ>。ここに吹く鹿笛は鹿をおびき寄せるために吹く笛の音なのだが、鹿をだまして捕獲するという無情の狩猟である。その笛の上手さにつけても人の生きることのあわれを感ずる。
 樹水<じゅすい>は能登の人。詳細不明。

野鳥
(鴫)突の行影長き日あし哉      兒竹
<しぎつきの ゆくかげながき ひあしかな>。「鴫突」は鴫猟をする猟師。夕方鴫たちが近くの餌場に出かけるときを見計らって猟をする。その猟師たちが狩場に行く影が長く伸びている。

里虫
枝ながら虫うりに行蜀漆かな      含呫
<えだながら むしうりにいく くさぎかな>。「蜀漆」はクサギで、クマツヅラ科の落葉小高木。山野に多い。高さ約3メートル。全体に臭気がある。葉は大きく広卵形。八月頃、枝頂に白花を多数つける。果実は球形で濃青色、果実の下に赤紫色の萼が星形に残る。果実を染料に、若葉を食用にする。クサギリ。(『大字林』)
 クサギについているキクイムシは子供の癇をおさめる薬とされた。枝についたままの虫をかついで行くのは、町の薬屋に売りにいくのだ。

海魚
おもしろと鰯引けり盆の月       
<おもしろと いわしひきけり ぼんのつき>。7月15日の盂蘭盆会だというのに、浜の漁師はいきいきとイワシ漁の網を引く。盆の最中は殺生は慎むべきなのだが、これを生業としている漁師にとっては死活の問題。

牛馬四足是謂天 落馬首穿牛鼻是謂人
一方は梅さく桃の継木かな       越人
<ひとかたは うめさくももの つぎきかな>。前詞の「牛馬四足是謂天 落馬首穿牛鼻是謂人<ぎゅうばのしそくなるこれをてんという ばしゅにまといぎゅうびをうがつこれをひとという>」は、荘子「秋水篇」からの引用で、牛や馬が四足なのは天が創ったものだが、その馬の首に綱を巻きつけたり、牛の鼻に穴を開けたりするのは人間のやらかしたことだ。
 一句は、桃木の一方の枝に梅の花が咲いている。これは人が桃木に梅木を接木したからであろう。

藏舟於壑 藏山於澤 謂之固 然而夜半有
々力者 負之而走
からながら師走の市にうるさヾい
<からながら しはすのいちに うるさざい>。前詞「藏舟於壑 藏山於澤 謂之固 然而夜半有々力者 負之而走<ふねをたににかくし さわをやまにかくし これをかたしという しこうしてやはんちからあるもの これをおいてはしる>」は、荘子「胠篋篇」、舟を谷深く隠したり、山を沢に隠したりして、堅固な守りをしたところで、天のような力のあるものにかかると一晩でこんなものは壊されてしまうのだ。全ては流転するものと心得よ。
 一句は、固い殻の中に閉じこもってサザエの奴は安心しきっているかもしれないが、その殻ごと師走の市にいって売られてしまうのだ。

絶聖棄知 大盗乃止
七夕よ物かすこともなきむかし
<たなばたよ ものかすことも なきむかし>。前詞「絶聖棄知 大盗乃止<せいをたちちをすつれば だいとうすなわちやむ>」は、荘子「胠篋篇」より。聖人などというものやら、知識の人などというものが定義されなければ、盗人も居なくなる。なんともすごい「思想」ではある。
 一句は、七夕の日衣服を曝すことから、衣装を貸す、貸し小袖などという風習ができた。しかし、七夕の星の運行などは人間がかような風習などを作るよりはるか以前からあったものなのだ。

鋭者夭
散はてゝ跡なきものは花火哉      桂夕
<ちりはてて あとなきものは はなびかな>。「鋭者夭<ときものはいのちみじかし>」。花火ほど鋭いものもないが、パッと開いてパッと散ってしまう。

鈍者壽
鶏頭の雪になる迄紅かな        市山
<けいとうの ゆきになるまで あかきかな>。前詞の「鈍者壽<にぶきものはいのちながし>」と読む。前句と対の関係になっている。
 ケイトウという花は、散ることがなく雪が降る頃まで赤い花をつけている。見どころのない花だが、かえって長命で人を楽しませてくれる。

藤房
ほとゝぎす鳴やむ時をしりにけり     一井
<ほととぎす なきやむときを しりにけり>。「藤房<ふじふさ>」は、鎌倉時代末期の中納言。後醍醐天皇に意見を上奏したが聞き容れられないと知るやさっさと京都岩藏に隠棲してしまった(「太平記」)。
 ホトトギスは季節が過ぎるとさっと鳴きやむ。実によく季節を知っている鳥だ。

師直
うつくしく人にみらるゝ荊哉      長虹
<うつくしく ひとにみらるる いばらかな>。「師直<もろなお>(?-1351) 」は、南北朝時代の武将。足利尊氏の執事。武蔵守。幕府創設から幕政に参加、北畠顕家・楠木正行を討った。のち高氏の弟・足利直義<ただよし>を出家に追い込み権勢をふるったが、直義の逆襲にあい、上杉能憲<よしのりに武庫川で一族とともに殺害された。また、浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」中の人物。吉良上野介に擬され、塩谷判官の妻にケソウし計略をもって塩谷判官を惨殺してしまう。
 一句は;塩谷判官の妻のように美しいばかりに災難がやってくることがある。バラのように、美しいものには棘があると心得なければいけないのだ。

一休
いろいろのかたちおかしや月の雲    湍水
月にかかる雲を見ていると、その千変万化する様に感動してしまう。名僧の誉れ高い一休宗純を思い出す。
 根拠薄弱の句だが?

法然
鳴聲のつくろひもなきうづら哉     鼠彈
<なくこえの つくろいもなき うずらかな>。ウズラの鳴き声は嘘も隠しも無い誠実な声だ。まるで法然上人のような誠実さかもしれない。これも無理して作った句??

山岩
おくやまは霰に減るか岩の門      湍水
<おくやまは あられにへるか いわのもん>。低地の岩などは人の足、馬の足、車に轢かれて削り落とされるのだが、奥山の岩などはそういうことが無い。それでもきっと霰が落ちて削り取られることもあるだろう。

海岩
苔とりし跡には土もなかりけり     
<のりとりし あとにはつちも なkりけり>。人々が岩場に付いた岩海苔を採っていった跡を見ると、土や汚れはまったく無くてきれいになっている。


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