芭蕉db

曾良宛書簡

(元禄3年9月12日 芭蕉47歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


極寒には伊賀へ引取候事も可御座*。俳諧、病気故しかじかうかヾひ不申候へ共、人々の書きてつかはし候*。此度、ひさご集ぜヾより出申候*。世間五句付の病甚敷*、手帳がちに成、をもたく成候故*、一等くつろげ候間、御覧被成、猶御工夫可成候。其内、戸伊麻の旅寝有申候間、泪を御落し被成まじく、猶御一覧之上御了簡可仰聞*。名月の御句珍重*、下五文字御ほね折にて御座候。愚句も少々御座候へ共、皆常々のたぐひに而、心にも不叶候
 
    夏、京の涼
  川かぜや薄がき着たるゆふすヾみ
    又此頃
  桐の木にうづら鳴なる塀の内
  高土手にひはの啼日や雲ちぎれ   珍碩
  渋かすやもくはず荒畑け     正秀
 
一、猪兵衛牢人之事*、貴様御せわし候而、佐渡守様御隠居へ御すまし被下候由*、猪兵衛段々申越、忝存候。猪兵衛牢人あつかひは無是非、不覚之事に御座候。御かげにて先々咎をのがれ候。乍去、下向され申まじく候はヾ、大久保六右衛門殿へいかにも状つかはし可申候。
一、素堂へ御伝可下候。大津尚白大望之間、菊の句可芳意と御頼可申候*
一、宇賀神・弁天両神神書之旨、并に神徳の事共、あらあら御書付被成、菅沼氏迄被遣可下候*。縁起がましき事を書申さで成不申故、如此に御座候。幻住庵の記も書申候。文章古く成候而さんざん気の毒致候*。素堂なつかしく候。重而ひそかに清書可御目候間、素堂へ内談可承候。
一、安適老御逢、御噂のよし、忝存候*。沾徳集いかヾ*。出板候哉。見申度候。京・大坂・備前・紀伊、所々より出板物多御座候。いづれもいづれも手ふるく相見へ候。
一、嵐蘭より二月の状、頃日相達し、加右衛門身代之事共委敷申参候而大悦に存候*。焼蚊辞一巻相達し、感入せしめ候*。去来、文集に入申度申候。素堂文章、此近き頃のは無御座候哉。なつかしく候。
一、其角は度々書状さし越、又人々の便にもさた承候。嵐雪無事に居候哉。随分無沙汰ものにて*、しみじみしたる状一通もこし不申候。定而俳諧に取込候而の事と存候。集あみ候由、これにも何事を何にいたし候やら、くはしく承ず候。其角、花摘出板のよし*。是は前々より段々委細に申聞かせ候。定而面白かるべくと待かね候。
一、桃印ゆがみなりにも相つとめ候よし被仰聞、大慶仕候*。少も出かさずとも、ころばぬ斗大きなる手柄に而御座候*。油断不仕候様に御伝奉頼候。勘兵衛も見事口過いたし候由、気毒に存候*。親子兄弟いさかひなど不致様に御申付被成可下候。
一、宗波気色少よく御座候間、品川へもかよひ候よし、きこへ候。一段と存候。さては命内に対面うたがひなく候*。庵もよろしくなり候由、よろこび申候。且又、五左衛門殿さた被仰聞、頃日越人見舞に参、此咄にてさた承候*
一、道因事は一段之首尾に候*。道意法印医好之事被仰聞、驚入申候*。御意得奉頼候。 夕菊・苔翠、はいかい虫入と推察申候。杉風被参候節は、はいかい御取出し、不捨候様に御挨拶可成候。定而夏秋之句も可御座候。貴様より御書付、御見せ可下候。用繁に候半と、態度々書状は遣し不申候。猪兵衛迄無事を尋申候。 以上
一、露通事、何やらかやらに而難申尽候。国々門人方へも名高申ひろめ候而、只今口をすぼめ候も面目なく候処、先々出候へば能御座候*。されども少存念御座候而、対面、書中ともに断切致候。
 
     九月十二日                  ばせを
 
   曾良様

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 膳所 から江戸へ戻った曾良に宛てた芭蕉書簡集中最も長文の書簡。この年は、予定では江戸に帰ることになっていたが止めて、寒中には伊賀上野へ帰るかも知れない と伝えている。 実に様々な人々の状況が書かれていて、コミュニケーションのよさがよく分かる。特筆すべき情報としては、路通が詐欺を働いたとされた茶入れ紛失事件の茶入れが見つかったようで、とりあえず犯人は路通ではなかったらしいことがある。

 

 この書簡は、曾良書簡(元禄3年9月26日付)と往復書簡となっている。