ひさご

花見 城下  田野

解説



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 江南*珍碩我にひさご*を送レり。これは是水漿をもり酒をたしなむ器にもあらず*、或は大樽に造りて江湖をわたれといへるふくべにも異なり*。吾また後の惠子にして用ることをしらず。つらつらそのほとりに睡り、あやまりて此うちに陥る。醒てみるに、日月陽秋きらゝかにして、雪のあけぼの闇の郭公もかけたることなく、なほ吾知人ども見えきたりて、皆風雅の藻思をいへり*。しらず、是はいづれのところにして、乾坤の外なることを*。出てそのことを云て、毎日此内にをどり入*
   元禄三六月

                        越智越人


   花見

                           

木のもとに汁も膾も櫻かな

 西日のどかによき天気なり    珍碩

旅人の虱かき行春暮て       曲水

 はきも習はぬ太刀のひきはだ   翁

月待て假の内裏の司召       碩

 籾臼つくる杣がはやわざ     水

鞍置る三歳駒に秋の來て      翁

 名はさまざまに降替る雨     碵

入込に諏訪の涌湯の夕ま暮     水

 中にもせいの高き山伏      翁

いふ事を唯一方え落しけり     碵

 ほそき筋より恋つのりつゝ    水

物おもふ身にもの喰へとせつかれて 翁

 月見る顔の袖おもき露      碵

秋風の船をこはがる波の音     水

 雁ゆくかたや白子若松      翁

千部讀花の盛の一身田       碵

 巡禮死ぬる道のかげろふ     水

何よりも蝶の現ぞあはれなる    翁

 文書ほどの力さへなき      碵

羅に日をいとはるゝ御かたち    水

 熊野みたきと泣給ひけり     翁

手束弓紀の関守が頑に       碵

 酒ではげたるあたま成覧     水

双六の目をのぞくまで暮かゝり   翁

 假の持佛にむかふ念仏      碵

中々に土間に居れば蚤もなし    水

 我名は里のなぶりもの也     翁

憎れていらぬ躍の肝を煎      碵

 月夜つきよに明渡る月      水

花薄あまりまねけばうら枯て    翁

 唯四方なる草庵の露       碵

一貫の錢むつかしと返しけり    水

 醫者のくすりは飲ぬ分別     翁

花咲けば芳野あたりを欠廻     水

 虻にさゝるゝ春の山中      碵

   翁  十二

   珍碩 十二

   曲水 十二


                 珍碩

いろいろの名もむつかしや春の草

 うたれて蝶の夢はさめぬる     翁

蝙蝠ののどかにつらをさし出て   路通

 駕篭のとをらぬ峠越たり      仝

紫蘇の實をかますに入るゝ夕ま暮   碵

 親子ならびて月に物くふ      仝

秋の色宮ものぞかせ給ひけり     通

 こそぐられてはわらふ俤      仝

うつり香の羽織を首にひきまきて   碵

 小六うたひし市のかへるさ     仝

鮠釣のちいさく見ゆる川の端     通

 念佛申ておがむみづがき      仝

こしらえし薬もうれず年の暮     碵

 庄野ゝ里の犬におどされ      仝

旅姿稚き人の嫗つれて        通

 花はあかいよ月は朧夜       仝

しほのさす縁の下迄和日なり     碵

 生鯛あがる浦の春哉        仝

此村の廣きに醫者のなかりけり   荷兮

 そろばんをけばものしりといふ   越

かはらざる世を退屈もせずに過    兮

 また泣出す酒のさめぎは      人

ながめやる秋の夕ぞだゞびろき    兮

 蕎麥眞白に山の胴中        人

うどんうつ里のはづれの月の影    兮

 すもゝもつ子のみな裸むし     人

めづらしやまゆ烹也と立どまり    兮

 文殊の知恵も槃特が愚痴      人

なれ加減又とは出來ジひしほ味噌   兮

 何ともせぬに落る釣棚       人

しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス   兮

 逢ふより顔を見ぬ別して      仝

汗の香をかゝえて衣をとり残し    人

 しきりに雨はうちあげてふる    仝

花ざかり又百人の膳立に       兮

 春は旅ともおもはざる旅      仝

   珍碩  九

   翁   一

   路通  八

   荷兮  十

   越人  八


   城下

                 野徑

鐵砲の遠音に曇る卯月哉

 砂の小麥の痩てはらはら      里東

西風にますほの小貝拾はせて     泥土

 なまぬる一つ餬ひかねたり     乙州

碁いさかひ二人しらける有明に    怒誰

 秋の夜番の物もうの聲       珍碩

女郎花心細氣におそはれて      筆

 目の中おもく見遣がちなる     野徑

けふも又川原咄しをよく覺え     里東

 顔のおかしき生つき也       泥土

馬に召神主殿をうらやみて      乙州

 一里こぞり山の下苅        怒誰

見知られて岩屋に足も留られず    泥土

 それ世は泪雨としぐれと      里東

雪舟に乗越の遊女の寒さうに     野徑

 壹歩につなぐ丁百の錢       乙州

月花に庄屋をよつて高ぶらせ     珍碩

 煮しめの塩のからき早蕨      怒誰

くる春に付ても都わすられず     里東

 半氣違の坊主泣出す        珍碩

のみに行居酒の荒の一□(さわぎ操の篇を馬に) 乙州

 古きばくちののこる鎌倉      野徑

時々は百姓までも烏帽子にて     怒誰

 配所を見廻ふ供御の蛤       泥土

たそがれは船幽霊の泣やらん     珍碩

 連も力も皆座頭なり        里東

から風の大岡寺繩手吹透し      野徑

 蟲のこはるに用叶へたき      乙州

糊剛き夜着にちいさき御座敷て    泥土

 夕辺の月に菜食嗅出す       怒誰

看經の嗽にまぎるゝ咳氣聲      里東

 四十は老のうつくしき際      珍碩

髪くせに枕の跡を寐直して      乙州

 醉を細めにあけて吹るゝ      野徑

杉村の花は若葉に雨氣づき      怒誰

 田の片隅に苗のとりさし      泥土

   野徑  六

   里東  六

   泥土  六

   乙州  六

   怒誰  六

   珍碩  五

   筆   一


   

                 乙州

亀の甲烹らゝ時は鳴もせず

 唯牛糞に風のふく音        珍碩

百姓の木綿仕まへば冬のきて     里東

 小哥そろゆるからうすの縄     探志

獨寐て奥の間ひろき旅の月      昌房

 蟷螂落てきゆる行燈        正秀

秋萩の御前にちかき坊主衆      及肩

 風呂の加減のしずか成けり     野經

鶯の寒き聲にて鳴出し        二嘯

 雪のやうなるかますごの塵     乙州

初花に雛の巻樽居ならべ       珍碩

 心のそこに恋ぞありける      里東

御簾の香に吹そこなひし笛の役    探志

 寐ごとに起て聞ば鳥啼       昌房

錢入の巾着下て月に行        正秀

 まだ上京も見ゆるやゝさむ     及肩

蓋に盛鳥羽の町屋の今年米      野經

 雀を荷う篭のぢゝめき       二嘯

うす曇る日はどんみりと霜おれて   乙州

 鉢いひならふ声の出かぬる     珍碩

染て憂木綿袷のねずみ色       里東

 撰あまされて寒きあけぼの     探志

暗がりに薬鑵の下をもやし付     昌房

 轉馬を呼る我まわり口       正秀

いきりたる鑓一筋に挟箱       及肩

 水汲かゆる鯉棚の秋        野經

さはさはと切籠の紙手に風吹て    二嘯

 奉加の序にもほのか成月      乙州

喰物に味のつくこそ嬉しけれ     珍碩

 煤掃うちは次に居替る       里東

目をぬらす禿のうそにとりあけて   探志

 こひにはかたき最上侍       昌房

手みじかに手拭ねぢて腰にさげ    正秀

 縄を集る寺の上茨         及肩

花の比昼の日待に節ご着て      野經

 さゝらに狂ふ獅子の春風      二嘯

   乙州 四  正秀 仝(四)

   珍碩 仝  及肩 仝

   里東 四  野經 仝

   探志 仝  二嘯 仝

   昌房 仝


   田野

                           正秀

畦道や苗代時の角大師

 明れば霞む野鼠の顔        珍碩

觜ぶとのわやくに鳴し春の空      仝

 かまゑおかしき門口の文字      秀

月影に利休の家を鼻に懸        仝

 度々芋をもらはるゝなり       碵

虫は皆つゞれつゞれと鳴やらむ     秀

 片足片足の木履たづぬる       碵

誓文を百もたてたる別路に       秀

 なみだばみけり供の侍        碵

須广ままた物不自由なる臺所      秀

 狐の恐る弓かりにやる        碵

月氷る師走の空の銀河         秀

 無理に居たる膳も進まず       碵

いらぬとて大脇指も打くれて      秀

 獨ある子も矮鶏に替ける       碵

江戸酒を花咲度に恋しがり       秀

 あいの山弾春の入逢         仝

雲雀啼里は厩糞かき散し        碵

 火を吹て居る禅門の祖父       秀

本堂はまだ荒壁のはしら組       碵

 羅綾の袂しぼり給ひぬ        秀

歯を痛人の姿を絵に書て        碵

 薄雪たはむすゝき痩たり       秀

藤垣の窓に紙燭を挟をき        碵

 口上果ぬいにざまの時宣(宜    秀

たふとげに小判かぞふる革袴      碵

 秋入初る肥後の隈本         秀

幾日路も苔で月見る役者舩       碵

 寸布子ひとつ夜寒也けり       秀

沢山に禿め禿めと吃られて       碵

 呼ありけども猫は帰らず       秀

子規御小人町の雨あがり        碵

 やしほの楓木の芽萌立        秀

散花に雪踏挽づる音ありて       碵

 北野ゝ馬場にもゆるかげろふ     秀

   正秀 十九

   珍碩 十七

        寺町二條上ル町

         井筒屋庄兵衛板



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江南:琵琶湖の南の意で、滋賀県大津市周辺のこと。ここでは膳所を指す中国風の措辞。

ひさご:ひょうたん、ふくべ。

これは是水漿をもり酒をたしなむ器にもあらず:「水漿」は酒のことをもってまわった表現。このひょうたんは酒ダルではないので、酒が入っていないと言っただけのこと。

大樽に造りて江湖をわたれといへるふくべにも異なり:このひさごが巨大なひょうたんで、舟にして琵琶湖を渡ることができるというようなものもない、の意。荘子が大げさな表現をしたことに対して恵子が異をはさむと、荘子が意気の壮大さを説いたという故事から引いた。

皆風雅の藻思をいへり:<みなふうがのそうしをいえり>と読む。ここ(「ひさご」の連衆を指す)に集まったものはみな詩のことばかり考えている人たちだ、の意。

しらず、是はいづれのところにして、乾坤の外なることを:<しらず、これは・・・、けんこんのほかなることを>と読む。「乾坤の外」とは、別世界の意。

出てそのことを云て、毎日此内にをどり入:中国「有象列仙全伝」の故事。市場で薬売りをしていた仙人じゃ夕方になると壷の中に入って夜をすごしていた。それを見つけた費長房が一緒に壷中に入って神仙の仲間になったという話を引用。この「ひさご」とひさごの仲間の世界は詩に関する神仙の集まりであり、「ひさご」の中は別世界だということ。