『奥の細道』の緒本
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井筒屋庄兵衛元禄版跋文
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此一書ハ、芭蕉翁奥羽の紀行にして、素竜が筆也。書の縦五寸五歩、横四寸七分、紙の重五十三、首尾に白紙を加ふ。外に素龍が跋有今略之 行成紙の表紙、紫の糸、外題ハ金の真砂ちらしたる白地に、おくの細道と自筆に書て、随身し給ふ。遷化の後、門人去来が許に有。又、真蹟の書、門人野坡が許に有。草稿の書故、文章所々相違す。いま、去来が本を以て模写する者也
明和七年井筒屋再版本奥書
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此巻は、古師芭蕉翁の紀行にして、素竜清書す。書の長五寸五分。はヾ四寸七分。紙の重五十三。初終に白帋あり。行成の表帋、紫の糸を以てとぢ、外題は、金の真砂ちらしたる白地に、みづから奥の細道と書、年月頭陀の内にかくして、行先行先に随身し給ふ。元禄七年水無月、予が方に偶居ましまして、かつかつほのめかし給ふを、書写の事深く乞奉りけるに、同じ年の神無月、難波のあしのかりねに心地なやみ給ひぬと聞えぬれば、急ぎとぶらひまかりけるに、枕近う呼給ひて、けふ我やまひ頻なり。汝日ごろ此集の求ふかし。今、将に足下に譲りなん。不思議にもながらふるためしもあらば、写しとヾめて本の書を返すべし。書は、兄の慰にとて、古郷に残し置ぬれば、つとつとに倡送るなるべしと、聞え給ふ。かたじけなくも悲しくもかしこまり、やがて写しとヾめて、めで度此巻は捧侍りなんと涙を落しぬ。かくて、遷化の後、兄の許へ文して乞奉りけるに、今は、かやうのものをこそ、しばしとヾまるべき老のかたみともなぐさみ侍れば、いさゝか手をはなち侍らんも浅間しう覚られぬれど、遺言なれば、送りやりぬ。且は、奥羽の旅寝の夢の跡もなつかしく、且は、門葉の人々の手跡もめづらしと見まほしければ、予に書写して送り侍るべしと也。然ば、ふたゝび能書をゑらぶによしなく、やゝその製をたがへずといへども、なを誤字・落字の多からん事を恐れ侍るのみ。
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濡つ干つ旅やつもりて袖の露
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- 元禄八乙亥年九月十二日
- 於嵯峨落柿舎書写焉 門人去来拝
芭蕉さんの句碑を求めての撮影旅行は、奥の細道に始まり、奥の細道で終ろうとしています。そして、奥の細道の行き着くところは、素龍清書本(西村本)です。奥の細道の撮影完了に当たり、西村家を訪問するのが一つの楽しみでした。
私が訪問したのは、丁度昼時で、一番忙しい時でしたが、西村さんは、気楽に応対して下さいました。そして、なぜ「素龍清書本」が西村家に秘蔵されることになったのか、長年の謎が判りました。
西村家には、「松風の落葉か水の音涼し
」の句碑もあるので、撮影させていただきました。「近くに蜂の巣があるから、くれぐれも気を付けてください」と言っていましたが、蜂はもういませんでした。
西村さんご自慢の「とろろ蕎麦」をご馳走になって、「奥の細道 むすびの地、大垣」へと向かいました。(文と写真:牛久市森田武さん)