膳所の乙州の新宅に滞在中の元禄3年年の瀬、去来へ宛てた書簡。この前に、去来から其角の元禄4年新年の歳旦帖の原稿コピーが届けられていて、それも見ての印象を去来に送ったものらしい。去来が其角の原稿を知り得たのは、京都の書肆・井筒屋庄兵衛から出板するためで、其角はその発注を去来に依頼したからであろう。
其角ら江戸蕉門の歳旦帖の出来ばえについては原則として誉めながらも、前書が不満で、彼らは「不易流行」と言いながらいまいち問題があるとしているのは興味がある。
御飛札竝小帋二束、被レ懸二芳慮一、辱、目出度受納、不レ浅令レ存候:<ごひさつならびにこがみにそく、ほうりょにかけられ、かたじけなく、めでたくじゅのう、あさからずぞんぜしめそうろう>。 飛脚便と小紙を20帖贈って頂きました。正月用として頂きましたが、お心遣いうれしく思います 。
御病人之事、御名不レ存候:去来宅または兄元端宅に病人がいる事は先の凡兆宛書簡(9月13日付け)でも話題になっていた。それについて、後続の文章で病人は「牢人」か?と尋ねているが、これは元端宅に医業を習いに来ている元侍(浪人)かと尋ねているのである。
江戸より五つ物到来珍重、ゆづり葉、感心に存候:江戸の其角から、去来に元禄四年の歳旦帳「五つ物」の出版について、井筒屋庄兵衛への発注依頼が来たものを、去来は芭蕉にみせて、その感想。中の発句「ゆづり葉やくちにふくんで筆はじめ」の句には感心した。
乍レ去当年は此もの方のみおそろしく存候処、しゐて肝はつぶし不レ申候へ共、其躰新敷候:だが、今年は其角ばかりが目立って恐ろしいばかりだけれど、それだけに「ゆづり葉」の 句について肝を潰すほどに感心したと言うのでもないが、ただその新奇性は実によい。
前書之事不同心にて候:ただこの歳旦帳につけた前書が実にいけない。
彼義は只今天地俳諧にして万代不易に候:<かのぎはただいまてんちのはいかいにしてばんだいふえきにそうろう>と読む。其角のこの前書(手握蘭、口含鶏舌<てにらんをにぎり、くちにけいぜつをふくむ>)にはこのように書いてあるが、私の俳諧の原義は「不易流行」なのだと思っている。
大言おとなしくても、おとなしき様になくては、風雅精神とは被レ申まじく候:意見謙遜しているように見える其角の前詞だが、中の句も大人しくなくては風雅の心とはいえまい。却って、意味が小さくなって見えてしまう。
されども貴様御了簡、其角心底をも御汲被レ成候而、ともかくも可レ被レ成候:というわけだから貴殿が其角の気持ちも汲んで処理してくれ。この結果、 去来はこの漢文の前書をカットして出版させたのである。しかし、其角は『俳諧勧進牒』(其角編・元禄4年刊)に同文を掲載した。
野水が朝ほどには有まじき哉と存候:意味は不明だが、野水が湖南の海の眺望を大げさに誉めたのであろう。それには及ばない眺めだろうが、元旦は木曾塚の義仲庵で過ごして、新春の湖の眺めを楽しみたい。
尚々愚句元旦之詠、なるほどかろく可レ致候:私は歳旦句としては、軽いものを読みますよ。芭蕉の作品は年が明けてからで「大津絵の筆のはじめは何仏」であった。
加生、貴様、随分ことごと敷がよろしく候:ただし、凡兆やあなた(去来)などはすこし大げさなものでもよいかもね。