芭蕉db

凡兆宛書簡

(元禄3年9月13日 芭蕉47歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


頃日、去御方様より御文被*、御無事に御いそがはしく御座候由、珍重に存候。拙者も持病さしひき折々にて、しかしか不仕候故、五三里片地、あそびがてら養生に罷越候*。自是御左右申進候まで預御状まじく候。先以去来子方病人いかヾ。度々御尋申も且は物にまぎれいかヾと、延引いたし候。扨々無心元存斗に御座候。其許より御次手に右之旨被仰達下候*
一、文集の事も、追付上京いたし候間、染々相談可致候間、何角をも暫御とヾめ候半と推察申候*。嵐蘭より焼蚊のことば一巻参候*。是も重而持参可致候
一、憎烏之文御見せ、感吟いたし候*。乍去文章くだくだ敷所御座候而、しまりかね候様に相見え候間、先々他見被成まじく候。殊外よろしき趣向にて御座候間、拙者に可御意候か。御文章に増補いたし、拙者文に可致候*。もし又是非と思召候はヾ、拙者文御覧被成候而、其上にて又御改可成候。文の落付所、何を底意に書たると申事無御座候ては、おどり・くどき・早物語の類に御座候*。古人の文章に御心可付候。此文にては烏の伝記に成申候間*、能々御工夫御尤に存候。
 
     九月十三日
 
   加生様
 
尚々こよひの月、漁家にて見申筈に御座候*。発句は有まじく候。野水返事も不参候。もしもし御あひ被成候はヾ、先日之返事いかヾかと御尋可下候。 

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 執筆直後の同日堅田の門人千那の本福寺に赴いて「月を見る」ことにしているタイミングで書いた京都在住の加生(凡兆)宛書簡である。自身の体調が優れなかったが回復基調であるので外出の予定であること、去来家に病人のいることの見舞いなど、通りいっぺんの挨拶の上で、凡兆作の俳文『憎烏之文』に辛口の批評を加えた上で、この発案を「拙者文に可致候」と要求している。随分と虫の良い注文だが、最終的に芭蕉作『烏之賦』になって実現した。

 追伸では、名古屋の野水から返事が来ないといってぼやいている。