執筆直後の同日堅田の門人千那の本福寺に赴いて「月を見る」ことにしているタイミングで書いた京都在住の加生(凡兆)宛書簡である。自身の体調が優れなかったが回復基調であるので外出の予定であること、去来家に病人のいることの見舞いなど、通りいっぺんの挨拶の上で、凡兆作の俳文『憎烏之文』に辛口の批評を加えた上で、この発案を「拙者文に可レ致候」と要求している。随分と虫の良い注文だが、最終的に芭蕉作『烏之賦』になって実現した。
追伸では、名古屋の野水から返事が来ないといってぼやいている。
頃日、去御方様より御文被レ下:<けいじつさるおかたさまよりおふみくだされ>と読む。誰がくれたのか不明だが、表現から身分の高い人である。後続から見て、凡兆の忙しいことや去来の家に病人のいることなどの動静が書いてあったのだから、去来の兄元端あたりではないかと思われる。
しかしか不レ仕候故、五三里片地、あそびがてら養生に罷越候:体調も確かでないので、そう遠くない五里・三里という近辺に遊びがてら養生に参ります。これは膳所から3里の堅田を指している。
扨々無二心元一存斗に御座候。其許より御次手に右之旨被二仰達一可レ被レ下候:<扨々こころもとなくぞんずばかりにそうろう。其元より御次手に右のむねおおせたっせられくださるべくそうろう>と読む。去来に心配のあまり心もとないと、あなたの口から伝えてくれ、の意。
文集の事も、追付上京いたし候間、染々相談可レ致候間、何角をも暫御とヾめ候半と推察申候:<文集のこともおっつけじょうきょういたしそうろうかん、しみじみそうだんいたすべくそうろうあいだ、なにかとをも暫く御とどめそうらわんとすいさつもうしそうろう>。「文集」は『猿蓑集』のことで、この頃から企画が始まっていた(本格的活動は翌年になる)。猿蓑編纂については上京して相談するが、まあ、こういう状況だからしばらく先にしましょう、の意 。
嵐蘭より焼レ蚊のことば一巻参候:<らんらんよりかをやくのことばいっかんまいりそうろう>。嵐蘭編『焼蚊辞』が送られてきた。
憎レ烏之文御見せ、感吟いたし候:あなたの『憎烏之文』を拝見、すばらしい。と言いながら後述は辛らつであるが。
殊外よろしき趣向にて御座候間、拙者に可レ被レ懸二御意候か。御文章に増補いたし、拙者文に可レ致候:<ことのほかよろしきしゅこうにてござそうろうかん、せっしゃにぎょいかけらるべくそうろうか。ごぶんしょうにぞうほいたし、せっしゃぶんにいたすべくそうろう>。大変良い着眼なので、私にこのアイデアを任せてもらって、私の文章として世に出したい。随分と虫の良い注文だが、最終的に『烏之賦』になった。
文の落付所、何を底意に書たると申事無二御座一候ては、おどり・くどき・早物語の類に御座候:文章の最終的な結論、意図といったものがなければ、流行歌・俗曲・早口歌の類に等しい低俗なもになってしまうのです。
此文にては烏の伝記に成申候間:この君の原文では、ただの烏の話に過ぎないではないか。
尚々こよひの月、漁家にて見申筈に御座候:これから堅田へ行って名月を見るのですが、漁師の家に行くはずですから、・・句会は無いのではないかとおもう、の意。