山かすむ月一時に舘立て 雨桐
<やまかすむ つきいちどきに たちたちて>。山も霞む春の宵。月がのぼるとその中に浮かび上がるように一軒の家が建っている。さては、前句の馬の行列はあの家の棟上へ祝いを言上するためか。
鎧ながらの火にあたる也 李風
<よろいながらの ひにあたるなり>。馬から下りた人々は、余寒の寒さに、鎧を着たまま火にあたっている。
大きな一軒家は実は急造の城郭であった。馬は鎧を着た武士の参集する行列であったか。
しほ風によくよく聞ば鴎なく 昌圭
<しおかぜに よくよくきかば かもめなく>。遠くからは夜のしじまを破って潮風に乗ってかもめの声が聞こえてくる。ここはそんなに海から遠い場所ではないらしい。
須广寺に汗の帷子脱かへむ 重五
<すまでらに あせのかたびら ぬぎかえん>。時は衣更えの季節。須磨の海岸の岩場で汗にぬれた帷子を脱いで衣更えに着替えるところだ。
をのをのなみだ笛を戴く 荷兮
<おのおのなみだ ふえをいただく>。須磨寺は平家の公達敦盛の愛用の青葉の笛が納められている名刹だ。その笛を思い出してみな涙を落とす。
文王のはやしにけふも土つりて 李風
<ぶんおうの はやしにきょうも つちつりて>
。中国周の文王は徳の人。その得に応えようと人々は一生懸命建設作業に精を出している。その休憩の合図(はやし)にも応じず働いている。
雨の雫の角のなき草 雨桐
<あめのしずくの つののなきくさ>
。文王の治世下では雨のしずくに草が生え、その徳に応えて角(棘)の無いやわらかい草ばかり。
肌寒み一度は骨をほどく世に
荷兮
<はださむみ いちどはほねを ほどくよに>
。さりながら、やっぱり肌の寒さを感ずる夜明けにわが身のことを思うと「諸行迅速」やがて骨までバラバラに死体になる時が来るのだ。
傾城乳をかくす晨明 昌圭
<けいせいちちを かくすありあけ>
。前句の主人公は遊女であって、客との一夜の仮寝の床、朝の薄明かりにしどけなく胸をはだけた寝姿。寒さに震えて胸元を合わせる。
霧はらふ鏡に人の影移り 雨桐
<きりはらう かがみにひとの かげうつり>
。自分の姿を鏡に映してみようと見れば鏡は曇っている。それを拭いてすかしてみれば後ろに人影が動いている。
わやわやとのみ神輿かく里 重五
<わやわやとのみ みこしかくさと>
。それもそのはず、この鏡は遊女の鏡ではなくて神輿に付けた神鏡。神輿をかつぐ山里の男達の勇姿が映っているのである。
鳥居より半道奥の砂行て 昌圭
<とりいより はんみちおくの すなゆきて>。この祭の神社は、鳥居から本殿まで半道(半里=2km)もある大きな神社。その参道は白砂が一面に敷かれている。由緒正しいお宮。
花に長男の帋鳶あぐる比 李風
<はなにおとなの たこあがるころ>。元服の儀式を終えた若者達が凧を揚げて初春を祝っている。
柳よき陰ぞこゝらに鞠なきや 重五
<やなぎよき かげぞここらに まりなきや>枝振りのよい柳が立っている。柳は蹴鞠場の一角に植える習慣がある。蹴鞠の鞠は無いか?
入かゝる日に蝶いそぐなり 荷兮
<いりかかるひに ちょういそぐなり>。しかし、待てよ、もう日も傾いてきてすぐ日が暮れる。それが証拠に蝶たちがいっせいに飛んでいくではないか。
うつかりと麥なぐる家に連待て 李風
<うっかりと むぎなぐるいえに つれまちて>。そんな夕方になるまで、麦の脱穀作業をしている農家の庭先で連れが来るのを待っていたのだが、すっかり時を過ごしてしまったものだ。
かほ懐に梓きゝゐる 雨桐
<かおふところに あずさききいる>。前句の「連」は死んだ恋人を待つ女として、顔を懐に埋めたまま「梓巫女(口寄せ)」の発する恋人の言葉を聴いている。
黒髪をたばぬるほどに切残し 荷兮
<くろかみを たばぬるほどに きりのこし>。その女の髪はというとようやく束ねられるほどの短さにまでばっさりと切り取られている。女が喪に服すために黒髪を切ったのである。
いともかしこき五位の針立 昌圭
<いともかしこき ごいのはりたて>。この女の精神を落ち着かせようと宮中から鍼灸師が派遣されてきた。それも五位という法外に高い位の鍼灸師を。
松の木に宮司が門はうつぶきて 雨桐
<まつのきに ぐうじがかどは うつぶきて>。今を盛りの五位の針灸師に比べてこちら宮司の家ときたら大きな松の木を除いて何もかもうらさびれて門などはかしがったままだ。
はだしの跡も見えぬ時雨ぞ 重五
<はだしのあとも みえぬしぐれぞ>。足跡もすぐにかき消されてしまうような激しい時雨が降ってきた。男が一人、この傾いた門の中に駆け込んで雨宿りをしている。
朝朗豆腐を鳶にとられける 昌圭
<あさぼらけ とうふをとびに とられけり>。そういえば今朝はトビが鳴いていた。こういう日には雨が来る。しかも口惜しいことにそのトビにあぶらげならぬ豆腐を盗られた。そして、こう時雨に濡れたりで、踏んだりけったりだ。
念佛さぶげに秋あはれ也 李風
<ねんぶつさぶげに あきあわれなり>。念仏の声さえ寒々しい秋の深まり。豆腐を盗られた貧寒を叙述したもの。
穂蓼生ふ蔵を住ゐに侘なして 重五
<ほたでおう くらをすまいに わびなして>。この男は、蓼がはえるような古い蔵屋敷に隠棲して、世間から侘びて暮らしているのである。
我名を橋の名によばる月 荷兮
<わがなをはしの なによばるつき>。この男は、その昔大層な財産家で、資材を人々のために使い、今でも橋の名前などに寄贈者としてその浄財の成果が残っているくらいなのである。前句の世捨て人をフィランソロピーのある人に定義した。
傘の内近付になる雨の昏に 李風
<かさのうち ちかづきになる あめのくれに>。この男を傘に入れてやって雨の夕暮れに、二人は橋のたもとにやってきた。この橋こそ、件の男が寄贈した橋だったので二人はすっかり意気投合したのであった。
朝熊おるゝ出家ぼくぼく 雨桐
<あさぐまおるる しゅっけぼくぼく>。ここは朝熊ヶ岳(伊勢市と鳥羽市の間にある小さな山)の麓。二人とすれちがう坊さん一人。のんびりと山道を下っていく。ここには金剛證寺がある。
ほとゝぎす西行ならば哥よまん 荷兮
<ほととぎす さいぎょうならば うたよまん>。ほとぎすが谷を横切っていく、こんな情景に立ち会ったら西行ならば歌を詠むであろうに。芭蕉句「芋洗う女西行ならば歌詠まん」を引用した。
釣瓶ひとつを二人してわけ 昌圭
<つるべひとつを ふたりしてわけ>。西行の歌「わびしさにたへたる人のまたもあれな庵並べん冬の山里」の景。二人の男は山に隠棲して庵を並べた仲。つるべを共同で使う仲。
世にあはぬ局涙に年とりて 雨桐
<よにあわぬ つぼねなみだに としとりて>。前句の二人は、男ではなくて栄華を失った局の女房が側女を一人付けただけの寂しい山里暮らしなのである。
記念にもらふ嵯峨の苣畑 重五
<きねんいもらう さがのちさはた>。昔の寵愛の栄華の肩身としてもらったのは嵯峨野に一枚苣<ちさ>の畑だけ。二人はここでささやかな農事をしながら余生を送る。
いく春を花と竹とにいそがしく 昌圭
<いくはるを はなとたけとに いそがしく>。過ぎ行く春を花作りと竹細工に余念が無い。局の老女から下人に主語を入れ替えた。
弟も兄も鳥とりにいく 李風
<おとともあにも とりとりにいく>。この家の子供達ははつらつ元気で、兄弟は朝から鳥を捕まえに山に行く。
三月六日野水亭にて 且藁
なら坂や畑うつ山の八重ざくら
<ならざかや はたうつやまの やえざくら>。「なら坂」は、伊賀から奈良へ抜ける山道。ここら辺りまで来ると、百姓たちが春の耕作に余念の無い変哲も無い山路なのだが、さすがに奈良に近いので、咲いている花といえば八重桜ばかりだ。
<おもしろうかすむ かたがたのかね>。「かたがたのかね」は方々から聞こえてくる鐘の音の意。奈良の近くだからあちことの寺が打つ晩鐘の音が春霞にかすむように聞こえてくる。
春の旅節供なるらん袴着て 荷兮
<はるのたび せっくなるらん はかまきて>。春の陽気に誘われて旅に出てみると、この町では袴を着た人に頻繁に会う。そういえば今日は三月三日、桃の節句だったのだ。
口すゝぐべき清水ながるゝ 越人
<くちすすぐべき しみずながるる>。旅路の山道には、西行が口をすすいだとくとくの清水のようなきれいな水がわいている場所がたくさん見つかる。深山は春の雪どけなのであろう。
松風にたをれぬ程の酒の酔 羽笠
<まつかぜに たおれぬほどの さけのよい>。白酒に酔っぱらったのか千鳥足の男が歩いていく。松林を通って吹いてくる風にようやく耐えている程度の足取りはおぼつかない。
賣のこしたる虫はなつ月 執筆
<うりのこしたる むしはなつつき>。この男は夏の虫を売り歩く「虫男」。今日一日で売れ残った虫を夏の月の下で野に放ってやる。酔いがそうさせるのか、虫への愛着か?
笠白き太秦祭過にけり 野水
<かさしろき うずまさまつり すぎにけり>。「太秦」は太秦広隆寺。秋祭りが9月12日。これを「牛祭」という。祭に寺の庭に立てられた傘は新品。その祭も過ぎて、秋はいよいよ本格化する。男が離した夏の虫は、このシーズンの商売の閉店を意味する。
菊ある垣によい子見てをく 且藁
<きくあるかきに よいこみておく>。太秦の辺りを散策していると、垣根の向こうにかわいい女の子がいるのが見えた。あんな子が私にも有ったら好いなぁ、というのであろうか。
表町ゆづりて二人髪剃ん 越人
<おもてまち ゆずりてふたり かみそらん>。表通りの店を息子に譲って老夫婦二人は仏門に入ってゆっくり余生を楽しもう。それにはあんな女の子が側に居て雑用をやってくれたらさぞ良いだろう。
暁いかに車ゆくすじ 荷兮
<あかつきいかに くるまゆくすじ>。隠居した明け方に、隠居所の表を通る車の音などをどんな思いで聴くことだろう。
鱈負ふて大津の濱に入にけり 且藁
<たらおうて おおつのはまに いりにけり>。前句で想像した明け方の情景。若狭の国から運ばれてきた鱈を背負って大津の浜へ運ぶ運び人の声が聞こえる。その声を、隠居した夫婦は明け方に聞くのだろう。
何やら聞ん我國の聲 越人
<なにやらきかん わがくにのこえ>。その人々の声を聴いているとなつかしいお国訛りが混じって聞こえてくる。
旅衣あたまばかりを蚊やかりて 羽笠
<たびごろも あたまばかりを かやかりて>。そんな奥に訛りの行きかう貧しい旅の宿。旅人は小さな蚊帳一枚を借りてそれでみんなの頭をすっぽり包んで寝ているのである。話題を旅の宿に転じた。
萩ふみたをす万日のはら 野水
<はぎふみたおす まんにちのはら>。「万日」は万日供養のことで、一日参詣すれば万日功徳が続くという実に効率的な仏教行事。どういうわけかその万日供養が萩の原で行われたので萩は踏み倒されて散々な目に遭っているのである。
里人に薦を施す秋の雨 越人
<さとびとに こもをほどこす あきのあめ>。そこへ時雨がやってきた。慌てふためく群集。すると土地の資産家が雨具の薦を配り始めた。まことに功徳のある所業である。
月なき浪に重石ををく橋 羽笠
<つきなきなみに おもしをおくはし>。先ほどの雨は豪雨となって、真っ暗闇に怒涛渦巻く激流が村の入り口の橋を洗っている。村人は総出で橋の流失を防ごうと重石を運ぶ。村長が配った薦を着て。
ころびたる木の根に花の鮎とらん 野水
<ころびたる きのねにはなの あゆとらん>。季節を初夏に変えて。前句の秋の洪水で流れてきた流木の下には花鮎(若鮎)が棲んでいてこれを捕まえたいものだ。
諷尽せる春の湯の山 且藁
<うたいつくせる はるのゆのやま>。「諷<うたい>」は諷詠で詩歌を読んだり吟じたりすることか。いずれにしても長逗留の山の温泉での湯治に飽きてしまった。そこで、こうして散策していた途中で見た光景が若鮎の光景なのである。前句を、湯治客が見た情景に変えた。
のどけしや筑紫の袂伊勢の帯 越人
<のどけしや つくしのたもと いせのおび>。前句は上臈人の歌会と見る。そこには六十余州 から歌人が集まっている。筑紫からも伊勢からも。
内侍のえらぶ代々の眉の圖 荷兮
<ないしのえらぶ よよのまゆのず> 。前句の美しい着物を殿上人の婚儀の仕度と見立てて詠む。婚儀ともなれば古式にならって化粧の仕方、着物の着方など、付き人である内侍の指図に従わなくてはならない。
物おもふ軍の中は片わきに 羽笠
<ものおもう いくさのうちは かたわきに>。姫君のお相手は今戦場で戦っている。だからラブレターを書いても返事もくれないで、片脇に置かれたままだ。なんともさみしい。
名もかち栗とぢゝ申上ゲ 野水
<なもかちぐりと じじもうしあげ>。一方戦場では若殿は戦況がよく分からない。そこで殿を育ててきた「じい」が、戦況は上々勝ち戦であるぞと進言して若殿を元気付けるのである。
大年は念佛となふる恵美酒棚 且藁
<おおどしは ねんぶつとなうる えびすだな>。前句の勝ち栗は神棚に上げる供え物。今日は大晦日。神棚に一年の無事を謝して念仏を唱えながら供物を供える。神棚に念仏とは妙な組み合わせだが。
ものごと無我によき隣也 越人
<ものごとむがに よきとなりなり>。今神棚に向かって念仏を唱えている人は、隣家の住人であるが、信心深くて誠実ないい人たちだ。だから大晦日の今日は朝から隣家の命念仏の声が聞こえる。前句の主語を隣家に換えた。
朝夕の若葉のために枸杞うへて 荷兮
<あさゆうの わかばのために くこうえて>。「枸杞<くこ>」はナス科の落葉低木。葉は柔らかく、枝はつる状で細くとげがある。夏、薄紫色の小花を開く。果実は赤色楕円形で枸杞子と呼ばれて生薬や枸杞酒として強壮・強精薬に用いられる。根皮は地骨皮(じこつぴ)と称し消炎・解熱薬とする。葉は食用、また乾して強壮薬とする。(『大字林』)前句の隣人は、生垣に枸杞を植えてその葉っぱを食用として利用している。また、いい人だから自分にも自由に取らせてくれる。
宮古に廿日はやき麥の粉 羽笠
<みやこにはつか はやきむぎのこ>。ここは温暖の地で都と比べて陽気が廿日も早い。だから、二十日早く新麦の粉が食べられる。前句の枸杞に触発されて、場所を田舎と限定した。
一夜かる宿は馬かふ寺なれや 野水
<いちやかる やどはうまかう てらなれや>。 この田舎の寺に旅の一夜を借りた。非常に珍しいことに寺なのに馬を飼っていた。何に使うのか。
こは魂まつるきさらぎの月 且藁
<こはたままつる きさらぎのつき>。この片田舎では珍しいことに二月の十五日に玉祭=盆会を行う風習があるという。寺ではいま盆供養のお経を上げている。
陽炎のもえのこりたる夫婦にて 越人
<かげろうの もえのこりたる めおとにて> 。今盆供養をしているのは夫婦だが、まるで陽炎の燃えかすのように年老いたおきなの夫妻である。
春雨袖に御哥いたゞく 荷兮
<はるさめそでに おうたいただく>。この 老夫婦にお上が敬老の歌を贈ってくれた。二人は感激の涙にむせぶのだがそれは春雨が袖を濡らすような涙である。
田を持て花みる里に生れけり 羽笠
<たをもちて はなみるさとに うまれけり>。民百姓に歌を贈ってくれるような暖かい領主に守られた土地だから、ここは花も実もある豊かな地である。
力の筋をつぎし中の子 野水
<ちからのすじを つぎしなかのこ>。この領主はとかく武勇に優れた一門だが、今の領主はとりわけ武勇に優れた次男坊を跡取りとしたのである。
漣や三井の末寺の跡とりに 且藁
<さざなみや みいのまつじの あととりに>。そんなに強力な次男坊なら、三井寺の末寺の僧侶になってもよいだろうに。
高びくのみぞ雪の山々 越人
<たかびくのみぞ ゆきのやまやま>。三井寺の末寺から眺める冬景色。ただ高い低い山々が連なるばかり。さみしい冬のたたずまいだけだ。
見つけたり廿九日の月さむき 荷兮
<みつけたり にじゅうくにちの つきさむき> 。そんな雪をかぶった山々の上に二十九日のとげのような尖った月がかかっている。すごい景色だ。
君のつとめに氷ふみわけ 羽笠
<きみのつとめに こおりふみわけ>。西の端にかかる二十九日の未明の月を踏みしめふみしめ、君主に仕えるために急いでいく。
三月十六日 且藁が田家にとまりて 野水
蛙のみきゝてゆゝしき寝覚かな
<かわずのみ ききてゆゆしき ねざめかな>。且藁<たんこう>の田舎家に誘われて、夜中に目覚めてみると、蛙の大合唱。これはこれで風流といわないわけではないが、騒音に近い。秋に啼く虫の音や、鹿の声のようしみじみした風流というわけにはいかない。
<ひたいにあたる はるさめのもり>。おまけにこの夜更けに雨になったようで、雨漏りのしずくが一滴額に落ちてきました。まことに貧しい所にお泊めしました。
<わらびにる いわきのくさき やどかりて>。「岩木」はここでは泥炭のこと。燃やすと石炭の匂いが強いので嫌われた。蕨を煮る農家に泊めてもらったら、そこの家では泥炭を燃やす匂いが家中に充満していてやりきれない。
<まじまじひとを みたるうまのこ>。その家の馬小屋の馬の子は人が珍しいのかこちらをじっと凝視している。なんとも人里離れた山の中の一軒家。
<たちてのる わたしのふねの つきかげに>。座るところのない渡し舟。ここでは人も馬も一緒に乗る。一所に乗った馬がじーっとこちらを凝視している。前句の田舎家の馬を渡し舟に同乗した馬と取り替えた。
<あしのほをする からかさのはし>。船着場の近くには葦が長く生えている。その葦の穂先に差した傘の端が触れる。サラサラと音がする。
磯ぎはに施餓鬼の僧の集りて 且藁
<いそぎわに せがきのそうの あつまりて>。 「施餓鬼」は、餓鬼道に落ちた亡者を救済するために行われる祈りだが、ここでは水難者の供養のための施餓鬼舟である。施餓鬼舟に乗ろうと僧侶が多数集まっている。
岩のあひより藏みゆる里 野水
<いわのあいより くらみゆるさと>。川淵の岩の間から林立する白壁の土蔵が見える。ここは裕福な海辺の街だ。
雨の日も瓶燒やらん煙たつ 荷兮
<あめのひも かめやくやらん けむりたつ>。今日は雨だが、焼き物を焼くかまどの火は天気に関わらずに燃え続ける。ここは焼き物で有名な街でもある。豊かさの源を説明しているのである。ちなみに美濃・尾張は焼き物の産地。
ひだるき事も旅の一つに 越人
<ひだるきことも たびのひとつに>。「ひだるき事」とは、飢えてひもじいいの意。ひもじさを味わうのは旅の効用の一つだ。普段飢えを感ずることは無いから。前句に刺激されて貧せんのことが想像されたか。。。
尋よる坊主は住まず錠おりて 野水
<たずねよる ぼうずはすまず じょうおりて>。ひもじい思いをしながら尋ね来た寺には尋ねる僧侶はいない。寺には錠がかけてある。ここは無住寺。
解てやをかん枝むすぶ松 冬文
<ときてやおかん えだむすぶまつ>。前句の無住寺の松には、曲げをつくるため結わえたシュロ紐がついている。かわいそうに松の幹にそれが食い込んでいる。これを取ってあげようか。
今宵は更たりとてやみぬ。同十九日荷兮室にて
咲わけの菊にはおしき白露ぞ 越人
「さきわけの きくにはおしき しらつゆぞ」。赤と白に咲き分けの菊の花びらにおいた秋の朝の露。その澄明さをみれば人が曲げを付けた松の枝ぶりなどいか程のものでもない。前句の、松に巻き付けたシュロ紐からの人工的な操作を非難したもの。
秋の和名にかゝる順 且藁
<あきのわみょうに かかるしたごう>。源順<みなもとのしたごう>は平安初期の歌人で博学者、「和名類聚集」の編者。その源順が秋の部の校訂に入っている、というのである。咲き分けの美しい菊に触発されたのである。
初雁の声にみずから火を打ぬ 冬文
<はつかりの こえにみずから ひをうちぬ>。秋の夕暮れのことで、空を行く初雁の声を聴いてはっと驚いて明かりをつけるていないことに気がついて火打石を擦る。
別の月になみだあらはせ 荷兮
<わかれのつきに なみだあらわせ>。前の句を、一夜の交わりの後、夜明けに男が出て行く別れのシーンの灯火と見て。帰っていく男がせめて別れを悲しんで涙の一つもこぼしてくれたらいいのにと女が願っている。
跡ぞ花四の宮よりは唐輪にて 且藁
<あとぞはな しのみやよりは からわにて>。花にもたとえられる美しい女と別れて、四宮あたりまで来てみると夜もすっかり明けて田舎女の立ち働く姿が目に入る。夕べの女のヘアスタイルと違ってここいらの田舎娘は唐輪の結い方だ。唐輪は中国渡来のヘアスタイル。室町時代初期に流行という。
春ゆく道の笠もむつかし 野水
<はるゆくみちの かさもむつかし>。行く春の街道は汗ばむ季節。髪形も簡略な唐風でないととてもやりきれるものではない。前句のヘアスタイルの女を旅行く女に変えた。
永き日や今朝を昨日に忘るらん 荷兮
<ながきひや けさをきのうに わするらん>。今は春。日永の春のこととて朝起こったことが昨日のことのように感ずるほどだ。
簀の子茸生ふる五月雨の中 越人
<すのこだけおうる さみだれのなか>。長い日も雨の一日ともなれば、廊下の簀板にカビが生えてキノコがニョキニョキ出てくる始末。何ともうっとうしい五月雨の一日。前句の「永い日」を梅雨の日とした。
紹鴎が瓢はありて米はなく 野水
<じょうおうが ふくべはありて こめはなく>。「紹鴎」は武野紹鴎。千利休の師といわれる堺の町衆の一人。その紹鴎の作ったといわれる瓢はあるが、米は無いという風流にかまけた無欲な人が住んでいる。
連哥のもとにあたるいそがし 冬文
<れんがのもとに あたるいそがし>。この人、連歌の会を主催しなくてはならないので大変忙しい思いをしていて米を調達する暇が無い。紹鴎の瓢を手に入れるほどの金持ちの風流人とした。
瀧壺に柴押まげて音とめん 越人
<たきつぼに しばおしまげて おととめん>。 歌の会に音が邪魔になるので、近くの滝壺に柴を押し入れて消音を試みるほどの風流な人だ。
岩苔とりの篭にさげられ 且藁
<いわごけとりの かごにさげられ>。風流人から一転して生活のために岩苔を採ってそれを活計とする人は、絶壁の滝の壁を竹篭に入って上から吊るされている。岸壁に生えているコケを採集しているのである。
むさぼりに帛着てありく世の中は 冬文
<むさぼりに きぬきてありく よのなかは>。岩苔を採って生活のたしにするような貧しい人がいるかと思えば、絹の衣服を日常に身につけて往来を闊歩するような人もいる世の中だ。
莚二枚もひろき我庵 越人
<むしろにまいも ひろきわがいお>。私の庵は、筵を二枚も広げればよいような広さだが、これで生きていくには十分だ。
朝毎の露あはれさに麦作ル 且藁
<あさごとの つゆあわれさに むぎつくる> 秋の朝の露がしげくなってきた。種まきのシーズンだ。こんな秋の風情の中で麦の種子をまく今日この頃。先の風流人の行為。
碁うちを送るきぬぎぬの月 野水
<ごうちをおくる きぬぎぬのつき>。夜遅くまで碁を打っていた碁友達を門まで送って出てみれば、有明の薄明の月が西の空にかかっている。門前に広がる畑には麦を蒔いた野面が広がっている。
風のなき秋の日舟に綱入よ 荷兮
<かぜのなき あきのひぶねに あみいれよ>。風の無い秋の凪の日だ。網を入れて久しぶりに漁でもするか。上の碁を好きな暇人の男の秋の朝の決心。
鳥羽の湊のおどり笑ひに 冬文
<とばのみなとの おどりわらいに>。ついでに鳥羽に渡って港で行われているであろう盆踊りでも楽しんでくるか?あまり、漁に生活がかかっている風は無い豊かな人物。
あらましのざこね筑广も見て過ぬ 野水
<あらましの ざこねつくまも みてすぎぬ>。「ざこね」は、京都大原の「雑魚寝祭」。「筑广<つくま>」は近江筑摩神社の秋の大祭。あらかじめ見たいと思っていたこれら二つの祭もとうとう見てしまった。
つらつら一期聟の名もなし 荷兮
<つらつらいちご むこのなもなし>。娘も無かったから一生涯婿をとることも無かったので、神社の祭礼に婿の名を張る祭礼札も見ることは無かったなぁ。上の祭を見て歩く男のちょっとした感慨。
我春の若水汲に晝起て 越人
<わがはるの わかみずくみに ひるおきて>。前句の婿を自分が窮屈な婿にならなかった感慨と取って。新春の朝には、婿なら早起きして若水を汲まなければならないのだろうが、自分は暢気な独り者。正月言えども朝寝坊を楽しむことだって許されるのだ。
餅を食ひつゝいはふ君が代 且藁
<もちをくいつつ いわうきみがよ>。朝寝坊の末にいきなり雑煮を食って、新春を寿ぐ。実に平和な御世であることかと祝いながら。
山は花所のこらず遊ぶ日に 冬文
<やまははな ところのこらず あそぶひに>。一山は桜が満開の春たけなわ。人は太平の世を謳歌しようと終日桜見物を楽しんでいる。
くもらずてらず雲雀鳴也 荷兮
<くもらずてらず ひばりなくなり>。花ぐもりは降るのでもなく照るのでもない。雲雀だけが忙しくさえずりながら上がったり下りたりしている。
追加
三月十九日 舟泉亭 越人
山吹のあぶなき岨のくづれ哉
<やまぶきの あぶなきそまの くずれかな>。山吹が咲いている。それも今にも崩れ落ちそうな柔らかい崖にしがみつくように咲いている。実際、山吹はそういう場所に生息している。
蝶水のみにおるゝ岩ばし 舟泉
<ちょうみずのみに おるるいわばし>。岩場にちっぽけな橋がかかっている。その傍を蝶が一羽谷川で水を飲もうというのであろう、ひらひらと舞い降りていく。
きさらぎや餅洒すべき雪ありて 聽雪
<きさらぎや もちさらすべき ゆきありて>。こんな山奥の田舎では二月と言ってもまだ雪が残る。村人はその雪の上に餅を晒して、春になってカビの生えるのを防ぐ。これは年中行事。
行幸のために洗ふ土器 螽髭
<みゆきのために あらうかわらけ>。近々、帝の行幸があるというので、村人総勢で土器の清めに忙しい。この田舎は由緒正しい場所のようだ。螽髭<しゅうし>は尾張の人だが、詳細は不明。
朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく 荷兮
<ついたちを たかもつかじの いかめしく>。帝の行幸には鷹狩があるので、鷹をつかう鍛冶屋のおやじは行幸の月の始まる朔日の今日は威儀をすましているから面白い。
月なき空の門はやくあけ 執筆
<つきなきそらの もんはやくあけ>。今朝はその鷹狩の朝。有明のつきも無い真っ暗な朝。鍛冶屋のおやじの一行は粛々として門を開けて狩に出て行く。
昌陸の松とは尽ぬ御代の春 利重
<しょうりくの まつとはつきぬ みよのはる>。柳営の連歌始めとは、新年1月11日に、室町・江戸幕府が行なった新年の連歌会(『大字林』)だが、里村昌陸はこの発句を勤めていた。その発句には、いつも徳川=松平家にちなんで松を読み込むのがならわしだった。今年も、松を読み込んで、幕府の安泰なことで結構だ。まことに保守的な一句。
元日の木の間の競馬足ゆるし 重五
<がんじつの このまのけいば あしゆるし>。実際に競馬をしているというのではない。元日の昼下がり、松並木の中を行く馬は、元日のゆったりした気分にひたっているのか、緩歩で通り過ぎていくことだ、の意。
初春の遠里牛のなき日哉 昌圭
<はつはるの とおざとうしの なきひかな>。人里離れたこの村では、正月に村から牛がいなくなる。遠く都に正月商品を売りにいった村人たちが牛に牽かせて出かけて未だ戻らないからなのだ。
けさの春海はほどあり麥の原 雨桐
<けさのはる うみはほどあり むぎのはら>。新春になって麦の丈が伸び、青みを増して、野原が広くなったように見える。それによって海が更に遠くなって見える。観察眼のよい句。
門は松芍薬園の雪さむし 舟泉
<かどはまつ しゃくやくえんの ゆきさむし>。門松もある正月だが、シャクヤクを植えた庭にはまだ雪も残っていて、春は遠い。前句と対照的。
鯉の音水ほの闇く梅白し 羽笠
<こいのおと みずほのぐらく うめしろし>。春の夜明け前の一刻。池の面では鯉が飛び跳ねた。池之端には白梅がひそかな匂いを発しているが、あたりは全体ほの暗くぼーとした光景。
舟々の小松に雪の残けり 且藁
<ふねぶねの こまつにゆきの のこりけり>。正月飾りの小さな松飾をつけた舟。その松に雪が積っている。一日二日前に雪が降ったのである。
曙の人顔牡丹霞にひらきけり 杜國
<あけぼののひとがお ぼたんかすみに ひらきけり>。上の句と中の区切りに迷う。句意は、正月を迎えて、朝霞の中を行く人の顔も牡丹の花が開いたような明るい顔をしている、の意。
腰てらす元日里の睡りかな 犀夕
<こしてらす がんじつさとの ねぶりかな>。「腰てらす」とは、白氏文集に「暖牀斜ニ臥シテ日腰をテラス<だんしょうななめにふしてひこしをてらす>」より。白楽天の詩にあるように、冬の山里が、正月の陽を受けて暖かさに居眠りをしているみたいだ。作者犀夕<さいせき>の詳細は不明。
星はらはらかすまぬ先の四方の色 呑霞
<ほしはらはら かすまぬさきの よものいろ>。「四方の色」は「四方の春」に通ずる意。明けて行く元日の朝。星星の光も消えなんとして、夜が明ける。しかし、空けた朝には春の霞が覆うことであろう。この時刻が最も透明な時間だ。作者呑霞<どんか>の詳細は不明。
けふとても小松負ふらん牛の夢 聽雪
<きょうとても こまつおうらん うしのゆめ>。正月の牛小屋。牛は、仕事が無いので寝そべっているものの、一年中背中に荷物を括りつけられている身のこと、いまは門松用の小松を背負っている夢でも見ているのだろうか?
朝日二分柳の動く匂ひかな 荷兮
<あさひにぶ やなぎのうごく においかな>。春。朝日がかすかにさすと、柳の芽が動く。そのひそやかな匂いが辺りに漂う。
先明て野の末ひくき霞哉 同
<まずあけて ののすえひくき かすみかな>。霞というものは、いっぺんに野原一杯にかかるのではなくて、先ずは年が明けて、春になって、それから遠く低く野の果てまで広がっていくのだ。
芹摘とてこけて酒なき剽かな 且藁
<せりつむとて こけてさけなき ふくべかな>。春の野に山菜取りとしゃれ込んで、「花より団子」瓢箪に酒を一杯仕込んで持参したのだが、セリを摘もうと小川の縁で滑って、全部こぼしてしまった。瓢の中は空っぽ。
のがれたる人の許へ行とて
みかへれば白壁いやし夕がすみ 越人
<みかえれば しろかべいやし ゆうがすみ>。「いやし」は、不釣合いだ、の意。「のがれたる人」というのは、逃亡者ではなくて、隠棲した人、あるいは家督を譲った隠居ぐらいの意味。質素な生活を始めた友人を訪ねた帰り道、白壁の土蔵に夕霞がかかっている。気分としてなんだか不釣合いな感じ。
古池や蛙飛びこむ水のをと 芭蕉
傘張の睡リ胡蝶のやどり哉 重五
<かさはりの ねむりこちょうの やどりかな>。「傘張」は傘の修繕をする職人。家々を回って修理の必要な傘を集めて、それを往来などを仕事場にして修理して歩いたのである。その傘張職人が糊が乾く束の間を居眠りしている。干した傘に胡蝶がとまって、これもはかない夢を見るべく羽を休めている。春の昼下がりのけだるい時間。
山や花墻根かきねの酒ばやし 亀洞
<やまやはな かきねかきねの さけばやし>。意味不明
花にうづもれて夢より直に死んかな 越人
<はなにうずもれて ゆめよりすぐに しなんかな>。西行の辞世「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」を直訳した。
春野吟
足跡に櫻を曲る庵二つ 杜國
<あしあとに さくらをまがる いおふたつ>。春の野を人の足跡に沿って歩いていくと、桜の木下を曲がった先に庵が二つ並んでいた。西行の歌「寂しさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里」(『山家集』)を横目で見ながら作った句。
麓寺かくれぬものはさくらかな 李風
<ふもとでら かくれぬものは さくらかな>。山の麓の寺。山に圧倒され、大きな樹木に隠れてしまうのだが、花に季節だけは別だ。寺の桜がその存在をしっかり目立たせている。
榎木まで櫻の遅きながめかな 荷兮
<えのきまで さくらのおそき ながめかな>。遅咲きの桜が咲いた。それを眺めていると、そばにあった榎の花が目に入った。おそらくこの桜が無かったら、榎木の花なんかに気がつかなかったであろうに。
餞別
藤の花たゞうつぶいて別哉 越人
<ふじのはな ただうつぶいて わかれかな>。藤の花がしっとりと垂れ下がっている。そのうつむいた姿は行く春に別れを惜しむ私の気持ちでもあります。
山畑の茶つみぞかざす夕日かな 重五
<やまはたの ちゃつみぞかざす ゆうひかな>。山の茶畑の夕方。早乙女たちが茶摘をしているが、夕陽がまぶしいのであろう。彼女たちは手をかざしている。
蚊ひとつに寝られぬ夜半ぞはるのくれ 同
<かひとつに ねられぬよわぞ はるのくれ>。晩秋から初夏の一夜。今年初めて聞く蚊の鳴き声。たった一匹の蚊に煩わされて眠れない。
ほとゝぎすその山鳥の尾は長し 九白
<ほととぎす そのやまどりの おはながし>。柿本人麻呂の歌「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜をひとりかも寝む」のパロディ。ホトギスよ、お前が鳴いてくれないと、人麻呂のように眠れなくなってしまうよ。作者九白<きゅうはく>の詳細は不明。
郭公さゆのみ燒てぬる夜哉 李風
<ほととぎす さゆのみたきて ぬるよかな>。夜空を渡るホトギスの声を今夜こそ聴こうと、そのために白湯を沸かしていたら、なんと早々頭の上を渡る声が聞こえた。予期に反して今夜は早く寝られる。
かつこ鳥板屋の背戸の一里塚 越人
<かっこどり いたやのせとの いちりづか>。「板屋」は、あばら家のこと。「背戸」は家の裏手のこと。「一里塚」は、街道で一里ごとに道の両側に土を盛り、エノキなどを植えて、距離を示す目印とした塚。江戸幕府により全国に設置。里程標(りていひよう)(『大字林』)。一句は、あばら家の裏手には一里塚もある街道が走っているが、閑古鳥が鳴いてまことにしずかなものだ。「閑古鳥」は本来はカッコウのことだがここでは人っ子一人いない閑散とした様を象徴させている。
うれしさは葉がくれ梅の一つ哉 杜國
<うれしさは はがくれうめの ひとつかな>。葉隠れに梅の実ひとつ見つけた。なんとうれしいことだろう。「葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふここちする」(西行『山家集』)のように、葉隠れは、文学的にはひそやかな恋の表現に使われるが、ここでは葉の陰にかくれて見えない木の実の本来の意味で使っておかしさをかもし出した。
若竹のうらふみたるゝ雀かな 亀洞
<わかたけの うらふみたるる すずめかな>。今年生えたばかりの若竹、その枝にスズメがとまっている。踏まれて垂れ下がった竹の葉の葉裏が白く見える。
傘をたゝまで螢みる夜哉 舟泉
<からかさを たたまでほたる みるよかな>。小雨の降る宵。傘をさして蛍を見に来た。雨はすでに上がっているが、傘をたたむのは興がそがれるようで、さしたまま蛍の光を追っている。
武蔵坊とぶらふ
すゞかけやしでゆく空の衣川 商露
<すずかけや しでゆくそらの ころもがわ>。武蔵坊弁慶は、平泉で文治元年4月29日死去とされている。「すずかけ」は、一義的には、修験者(しゆげんじや)が衣服の上に着る麻の衣(『大字林』)であるが、ここではスズカケソウにかけていて、ソノスズカケソウは、ゴマノハグサ科の多年草。江戸時代に園芸植物として知られ、現在は岐阜県の一部に自生状態のものが見られる。全体に軟毛があり、茎は細く、長卵形の葉を互生。秋、葉腋(ようえき)に球形で濃紫青色の短い花穂をつける(『大字林』)。今日は、衣川で義経と共に討ち死にしたという弁慶の命日。鈴掛衣をつけて死んだ弁慶の傍にはスズカケソウも咲いていたか? 作者商露<しょうろ>の詳細は不明。
逢坂の夜は笠みゆるほどに明て
馬かへておくれたりけり夏の月 聽雪
<うまかえて おくれたりけり なつのつき>。夏の短夜の旅。逢坂の関を月を見ながらわたる計画であったのに、馬の取替えに手間取っている間に、先を行く人の旅傘が見えるほどに夜が明けてしまった。
老耼曰知足之足常足
夕がほに雑水あつき藁屋哉 越人
<ゆうがおに ぞうすいあつき わらやかな>。前詞は、<ろうたんいわくたるをしるのたるはつねにたる>と読む。老子の言葉「足るということを知っていれば、実はいつでも足りている。欲望をたぎらせて不足と思うから何時も足りなくなる」ということ。
句意は、夏の暑い日、庭の樹木といって何もなくただヒルガオぐらいがはえたわらやの貧家で、熱い雑炊を食べているが、熱いものが食べられることをうれしく思っていれば貧しさも気にならない。
帚木の微雨こぼれて鳴蚊哉 柳雨
<ははきぎの こさめこぼれて なくかかな>。「帚木」は、ホウキグサの別名(『大字林』)。あるいはか細いものの象徴。帚木の葉の上にたまった雨水。それが夕暮の微風に落ちるとき、かすかに蚊の鳴き声がした。夏の夜の静寂を詠った句。作者柳雨<りゅうう>の詳細は不明。
はゝき木はながむる中に昏にけり 塵交
<ははきぎは ながむるうちに くれにけり>。帚木のか細い葉を見ていると夏の夕方がどんどん暮れていく。
萱草は随分暑き花の色 荷兮
<かんぞうは ずいぶんあつき はなのいろ>。「萱草」は、ユリ科ワスレグサ属植物の総称。日当たりのよい、やや湿った地に生える。葉は二列に叢生し、広線形。夏、花茎を出し、紅・橙(だいだい)・黄色のユリに似た花を数輪開く。若葉は食用になる。日本に自生する種にノカンゾウ・ヤブカンゾウ・キスゲ・ニッコウキスゲなどがある(『大字林』)。カンゾウは忘れ草というくらいだから夏の暑さを忘れさせてくれるかと思うが、みれば赤くて熱い色をしていて、むしろ暑さを思い出す花だ。
蓮池のふかさわするゝ浮葉かな 仝
<はすいけの ふかさわするる うきばかな>。蓮田の蓮の葉が水面に浮いている。それらを見ていると、その下に深い水が湛えられていることを忘れてしまう。
暁の夏陰茶屋の遲きかな 昌圭
<あかつきの なつかげちゃやの おそきかな>。夏の暑い昼さがりには日陰になって繁盛する茶屋も、朝の中は朝日が当たって暑く、ために客は殆ど無いので、店を始めるのも遅い。
譬喩品ノ三界無安猶如火宅といへる心を
六月の汗ぬぐひ居る臺かな 越人
<ろくがつの あせぬぐいいる うてなかな>。前詞は、<ひゆぼんのさんがいむあんゆうにょかたくといえるこころを>と読む。法華経の比喩品にあるように三界は火宅のように安んずる所が無い、の意。まさにこの世は火宅であって、まして夏六月ともなれば暑さは手がつけられない。涼しいはずの高楼に登ってさえ、汗が出るのだ。
背戸の畑なすび黄ばみてきりぎりす 且藁
<せどのはた なすびきばみて きりぎりす>。「きりぎりす」はコオロギのこと。秋になって家の裏手の畠の茄子も黄色く色づいた。コオロギの声が日に日に大きくなる。
貧家の玉祭
玉まつり柱にむかふ夕かな 越人
<たままつり はしらにむかう ゆうべかな>。「玉祭」は盂蘭盆会のこと。普通お盆には精霊飾りを飾るのであるが、貧家では飾りもなくただ柱をくりぬいた仏壇に位牌などが飾ってあるのでそれに向かって手を合わせるぐらいしかない。
雁きゝてまた一寝入する夜かな 雨桐
<かりききて またひとねいり するよかな>。北に向かって雁が渡っていく声がする。その姿を見送っても未だ秋の夜長は真っ暗だ。もう一眠りする時間はたっぷりある。
山寺に米つくほどの月夜哉 越人
<やまでらに こめつくほどの つきよかな>。貧乏な山寺。今夜は月夜。寺男が鐘をつかずに米つきをしている。鐘楼など無いのかもしれない。
瓦ふく家も面白や秋の月 野水
<かわらふく やもおもしろや あきのつき>。秋の月は藁屋や板葺き屋根から漏れる光に風情があるという。しかし瓦屋根に反射して光る澄んだ月もまた面白い。
八嶋をかける屏風の繪をみて
具足着て顔のみ多し月見舟 仝
<ぐそくきて かおのみおおし つきみかな>。「八嶋をかける屏風の繪」とは、源平争乱の屋島の合戦の絵のこと。その絵に描かれた平氏の舟。顔顔かおが並んでいるが、それが見ているのはどうやら八月十五夜の月らしい。さすがに公達は違う。
待戀
こぬ殿を唐黍高し見おろさん 荷兮
<こぬとのを とうきびたかし みおろさん>。田舎娘の恋。恋焦がれている男は今夜は未だ忍んでこない。男が来るであろう方角には背の高いトウモロコシの畠があって視界をさえぎっている。せめてあの高さのところに立って見下ろしてみたら、男の来のが見えるかも。
閑居増戀
秋ひとり琴柱はづれて寝ぬ夜かな 荷兮
<あきひとり ことじはずれて ねぬよかな>。「琴柱」は、箏(そう)・和琴(わごん)の胴の上にたてて弦を支え、その位置を変えて調律するための「人」の字形の具。材質は木・象牙・プラスチックなど(『大字林』)。秋の夜長、あの人をじりじりと焦がれて待つ。突然、琴柱が跳ねて弦が大きな音を立てた。私の心の張り詰めた弦も切れてしまいそう。
朝貌はすゑ一りんに成にけり 舟泉
<あさがおは すえいちりんに なりにけり>。秋も深まって、朝顔の花もとうとう最後の一輪になってしまった。見ればもう明日以後に咲くであろう蕾は一つも無い。
馬はぬれ牛ハ夕日の村しぐれ 杜國
<うまはぬれ うしはゆうひの むらしぐれ>。時雨は駆け足で雨を降らしながら過ぎていく。そんなとき馬は足が速いので雨に同期して走っていくからびしょぬれに濡れる。牛はのろいから時雨に追い越されておかげで殆ど濡れずにすむ。しかも時雨の過ぎ去った後には夕陽も出るから牛は日の光の中にいる。
芭蕉翁を宿し侍りて
霜寒き旅寝に蚊屋を着せ申 大垣住如行
<しもさむき たびねにかやを きせもうせ>。翁を迎えて、霜の降りてこの寒い冬の夜、せめて一枚なりと布団をかけて差し上げたいが、貧家のことゆえ夏の蚊帳を掛けて差し上げるくらいが精一杯でございます。如行は貧しくは無かったので謙遜の句である。実にいい句だ。
芭蕉はこれに応えて、「古人かやうの夜のこがらし」と詠んでいる。
雪のはら蕣の子の薄かな 昌碧
<ゆきのはら あさがおのこの すすきかな>。雪の原。ススキに雪がついて、それが次の秋の朝顔の子供になるようだ。
行燈の煤けぞ寒き雪のくれ 越人
<あんどんの すすかぞさむき ゆきのくれ>。雪の夕暮。一段と冷気が迫ってくる。行燈のススに汚れによる暗さは寒さを一層引き立てる。
芭蕉翁をおくりてかへる時
この比の氷ふみわる名残かな 杜國
<このごろの こおりふみわる なごりかな>。芭蕉翁を見送って分かれた後の寒々とした気分。この頃の寒さで氷を割った時の寒々とした気持ちと同じだ。
陰士にかりなる室をもうけて
あたらしき茶袋ひとつ冬篭 荷兮
<あたらしき ちゃぶくろひとつ ふゆごもり>。陰士が一冬過ごす仮の宿を訪れて、せめて茶袋を一つ進ぜよう。「茶袋」は、湯釜に入れて煎じて飲むお茶の草袋。
貞亨三丙鉛N仲秋下浣 寺田重徳板