芭蕉db
露沾公にて
西行の庵もあらん花の庭
(泊船集)
(さいぎょうの いおりもあらん はなのにわ)
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貞亨元年(41歳頃)頃から死の元禄7年(51歳)までの間。一説には元禄6年とするが、大いに疑問。この春は、芭蕉は桃印の病気看病に追われていて他家を訪問しているゆとりがあったとは思えない。
露沾
との交流は『
笈の小文
』の前後の時代であった。
なお、この時期の制作年次不明のものとして、
58句
がある。
西行の庵もあらん花の庭
この広いお屋敷の庭には今をときめく無数の桜の花が咲いている。その見事さは吉野の山を思い出させる。この分ではこの奥に西行の庵もあるのではないか?露沾亭の庭を誉めることで挨拶吟とした。すこし、ヨイショが過ぎていやらしい。
三重県甲賀郡甲西町南照寺境内の句碑(牛久市森田武さん撮影)