芭蕉db

嵯峨日記

(4月23日)


二十三日

手をうてば木魂に明る夏の月

(てをうてば こだまにあくる なつのつき)

竹(の子)や稚時の繪のすさみ

(たけのこや おさなきときの てのすさみ)

麦の穂や泪に染て啼雲雀

(むぎのほや なみだにそめて なくひばり)

一日一日麦あからみて啼(雲雀

(ひとひひとひ むぎあからみて なくひばり)

能なしの眠たし我をぎやうぎやうし

(のうなしの ねむたしわれを ぎょうぎょうし)

   題落柿舎    凡兆*

豆植うる畑も木部屋も名所かな

(まめううる はたけもきべやも めいしょかな)

暮に及て去来京より来ル。

膳所昌房*ヨリ消息。

大津尚白*より消息有。

凡兆来ル。堅田本福寺*訪テ其(夜)泊。

凡兆京に帰ル。


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手を打てば木魂に明くる夏の月

 二十三夜の月は、もう夜明け前。柏手打って月の出を讃美すれば、其の木魂が響き終える頃には朝が来てしまう。

 なお、

夏の夜や木魂に明くる下駄の音

もある。

竹の子や稚き時の手のすさみ

 この頃には嵯峨では筍が随所に顔を出していたことであろう。かわいらしい竹の子を見ていると、墨絵で落書きした幼子の時代が思い出されてくる。

一日一日麦あからみて啼(雲雀)

 麦秋も近い。雲雀は黄色く色づいた野面の上に舞い上がって盛んに啼き叫んでいる。

 なお、

麦の穂や泪に染て啼雲雀

もある。

能なしの眠たし我をぎやうぎやうし

 ぎょうぎょうし(行行子)は、よしきりのことだがその鳴き声でもある。落柿舎に隠棲してただ終日眠いだけ。眠気を覚まそうとて葦切りが騒ぐ。それでも眠気はさめやしない。