徒然草(下)

第138段 「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり 」とて、


「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり*」とて、或人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを*、よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど*、周防内侍が*

  かくれどもかひなき物はもろともにみすの葵の枯葉なりけり

と詠めるも、母屋の御簾に葵の懸りたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり*。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草子にも、「来しかた恋しき物、枯れたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひ寄りたれ。鴨長明が四季物語にも*、「玉垂に後の葵は留りけり」とぞ書ける。己れと枯るゝだにこそあるを、名残なく、いかゞ取り捨つべき。

 御帳に懸れる薬玉も*、九月九日、菊に取り替へらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷皇太后宮かくれ給ひて後*、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨の乳母の言へる返事に*、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし*

祭過ぎぬれば、後の葵不用なり:賀茂の祭りが終わってしまったら、祭りに使った葵はいらない。

色もなく覚え侍りしを:情緒が無いなぁと思っていたのだが、。

よき人のし給ふ事なれば、さるべきにやと思ひしかど:優れた人がすることだから、そうするのが普良いことなのかと思っていたら、。

周防内侍歌人、平仲子(1037頃〜1109以後) 。従五位上周防守平棟仲の娘。後冷泉・白河・堀河の3代に仕えた。

家の集『周防内侍集』。

鴨長明が四季物語にも:『四季物語』が長明作かどうか疑わしい。鴨長明ついてはここを参照。

御帳に懸れる薬玉も:<みちょうにかかれるくすだまも>と読む。「御帳」は貴人のベッドであり、座る所。周囲に帳を垂れてその中に座す。ここに、端午の節句のくす玉を飾っておくのだが、それを重陽のの節句まで飾ったままにしておくという。

枇杷皇太后宮かくれ給ひて後:<びわのこうたいこうきゅうかっくれたまいてのち>と読む。三條天皇の中宮研子。道長の娘。34歳の若さで薨。彼女が死んだ後で、の意。

「折ならぬ根をなほぞかけつる」と辨の乳母の言へる返事に:乳母の歌「あやめ草涙の玉にぬきかへて折ならぬねをなほぞかけつる」(『千載集』)の返歌に、。

「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みしぞかし:江侍従<ごうじじゅう>の返歌「玉ぬきしあやめの草はありながら夜殿は荒れむものとやは見し」。


 賀茂の祭りの菖蒲の枯れた飾りの始末についてここまで書けるというのは、この作者の文章力はあらためてすごい と、感じ入った。


「まつりすぎぬれば、のちのあおいふようなり」とて、あるひとの、みすなるをみなとらせられはんべりしが、いろもなくおぼえはんべりしを、よきひとのしたもうことなれば、さるべきにやとおもいしかど、すおう のないしが、

 かくれどもかいなきものはもろともにみすのあおいのかれはなりけり

とよめるも、もやのみすにあおいのかかりたるかれはをよめるよし、いえのしゅうにかけり。ふるきうたのことばがきに、「かれれたるあおいにさしてつかわしける」ともはんべり。まくらのそうしにも、「こしかたこいしきもの、かれたるあおい」とかけるこそ、いみじくなつかしうおもいよりたれ。かものちょうめいがしきのものがたりにも、「たまだれにのちのあおいはとまりけり」とぞかける。おのれとかる るだにこそあるを、なごりなく、いかがとりすつべき。

 みちょうにかかれるくすだまも、ながつきここのか、きくにとりかえらるるといえば、しょうぶはきくのおりまでもあるべきにこそ。びわのこうたいごうかくれたまいてのち、ふるきみちょうのうちに、しょうぶ・くすだまなどのかれたるがは んべりけるをみて、「おりならぬねをなおぞかけつる」とべんのめのとのいえるかえりごとに、「あやめのくさはありながら」とも、ごうじじゅうがよみしぞかし。