家にありたき木は、松・桜。松は、五葉もよし*。花は、一重なる、よし。八重桜は、奈良の都にのみありけるを、この比ぞ、世に多く成り侍るなる。吉野の花、左近の桜、皆、一重にてこそあれ。八重桜は異様のものなり。いとこちたく、ねぢけたり*。植ゑずともありなん。遅桜、またすさまじ*。虫の附きたるもむつかし。梅は、白き・薄紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。遅き梅は、桜に咲き合ひて、覚え劣り、気圧されて、枝に萎みつきたる、心うし。「一重なるが、まづ咲きて、散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は*、なほ、一重梅をなん、軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓、すべて、万の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘・桂、いづれも、木はもの古り、大きなる、よし。草は*、山吹・藤・杜若・撫子。池には、蓮。秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・吾木香・刈萱・竜胆・菊。黄菊も。蔦・葛・朝顔。いづれも、いと高からず、さゝやかなる、墻に繁からぬ、よし。この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくゝ、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。
大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり*。さやうのもの、なくてありなん。
五葉もよし:五葉松のこと。
いとこちたく、ねぢけたり:「こちたし」はごてごてした、煩い、煩わしいなどの悪い意味。「ねぢけた」はひねくれた、の意。
遅桜、またすさまじ:<おそざくら>は、面白くない。時期はずれに咲く上に、毛虫が付くので。
京極入道中納言は:藤原定家(1162〜1241)。鎌倉初期の歌人。名は「さだいえ」とも。俊成の子。父のあとを継いで有心(うしん)体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。「新古今集」の撰者の一人。のち「新勅撰集」を撰し、「源氏物語」などの古典の校訂・研究者としてもすぐれた業績を残した。家集「拾遺愚草」、歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌大概」、日記「明月記」など(『大字林』参照)。
草は:ここに出てくる草花は図鑑参照。
大方、何も珍らしく、ありがたき物は、よからぬ人のもて興ずる物なり:そもそも、めずらしだけで、あまり世の中に無いものは、センスや教養のよからぬ人が持って喜んでいるものだ。そんなものは無くてもよい。
これらを実現するには、1000平米以上の屋敷を必要とする。
いえにありたききは、まつ・さくら。まつは、ごようもよし。はなは、ひとえなる、よし。やえざくらは、ならのみやこにのみありけるを、このころぞ、よにおおくなりは んべるなる。よしののはな、さこんのさくら、みな、ひとえにてこそあれ。やえざくらはことようのものなり。いとこちたく、ねぢけたり。うえずともありなん。おそざくら、またすさまじ。むしのつきたるもむつかし。うめは、しろき・うすこうばい。ひと えなるがとくさきたるも、かさなりたるこうばいのにおいめでたきも、みなおかし。おそきうめは、さくらにさきあいて、おぼえおとり、けおされて、えだにしぼみつきたる、こころうし。「ひとなるが、まずさきて、ちりたるは、こころとく、をかし」とて、きょうごくのにゅうどうちゅうなごんは、なほ、ひとえむめをなん、のきちかくうえられたりける。きょうごくのやのみなみむきに、いまもにほんは んべるめり。やなぎ、またおかし。うづきばかりのわかかえで、すべて、よろずのはな・もみじにもまさりてめでたきものなり。たちばな・かつら、いずれも、きはものふり、おおきなる、よし。
くさは、やまぶき・ふじ・かきつばた・なでしこ。いけには、は ちす。あきのくさは、はぎ・すすき・ききょう・はぎ・おみなえし・ふじばかま・しおに・われもこう・かるかや・りんどう・きく。きぎくも。つた・くず・あさがお。いずれも、いとたかからず、さ さやかなる、かきにしげからぬ、よし。このほかの、よにまれなるもの、からめきたるなのききにくく、はなもみなれぬなど、いとなつかしからず。
おおかた、なにもめずらしく、ありがたきものは、よからぬひとのもてきょうずるものなり。さようのもの、なくてありなん。