續猿蓑

巻之下

釋教之部 附 追善 哀傷


    

  涅 槃

涅槃像あかき表具も目にたゝず    沾圃
<ねはんぞう あかきひょうぐも めにたたず>。釈尊の樹下涅槃像というのは、古来、南洋的トロピカルな色彩で描かれるのが通例だ。だから、赤あり、緑ありの原色で鳥や動物、植物などが賑やかに描かれ、赤い色など不謹慎ということにはならない。

ねはん會や皺手合る珠数の音     芭蕉

山寺や猫守り居るねはむ像      不撤
<やまでらや ねこまもりいる ねはんぞう>。2月15日は涅槃会。多くの寺では参詣者も多く、涅槃図を出して参詣客を迎える。しかし、ここ山寺では参詣者も無く、涅槃図を守るのは猫一匹だ。古来、涅槃図には猫は登場しないのを通例とする。
 作者不徹<ふてつ>は美濃の人。

貧福のまことをしるや涅槃像     山蜂
<ひんぷくの まことをしるや ねはんぞう>。涅槃像に手を合わせる人たちは貧富には無関係、金持ちも貧乏人も等しく釈迦入滅を悲しんでいる。これこそ人の心の真というものだ。

  灌 佛

灌仏やつゝじならぶる井戸のやね   曲翠
<かんぶつや つつじならぶる いどのやね>。潅仏会<かんぶつえ>は、4月8日、釈迦の誕生日を祝う法事。木像の誕生佛を中央に安置し、その屋根につつじの花など飾る。その花の準備に寺では咲き始めたツツジやサツキの鉢を井戸の屋根にのせて確保している。

散花や佛うまれて二三日       不玉
<ちるはなや ほとけうまれて にさんにち>。潅仏会のツツジは、法事が終えて二三日もしないうちに散り始める。世は万事「諸行無常」だと教えてくれるのだ。

灌佛や釈迦と提婆は従弟どし     之道
<かんぶつや さかとだいばは いとこどし>。「提婆」は、釈迦の太子時代の競争者で、釈迦が悟りを開いてからその弟子となったが、のちに離反。釈迦の殺害を企てたともいう(『大字林』)。釈迦の従兄弟と言われている。

  魂 祭

喰物もみな水くさし魂まつり     嵐雪
<くいものも みなみずくさし たままつり>。盆中に食べる食事は、なまぐさを嫌って水っぽい淡白なものばかり。面白くない。

寐道具のかたかたやうき魂祭     去来
<ねどうぐの かたかたやうき たままつり>。妻に先立たれた男に向かっての挨拶吟。寝具が二つあっても片方は不用なので、それを見るにつけて悲しいことでしょう。

やま伏や坊主をやとふ玉祭      沾圃
<やまぶしや ぼうずをやとう たままつり>。普段偉そうに強面の山伏が、新盆ででもあろうか、僧侶を招いて法事を営んでいる。普段自分も仏法に関わっているという顔をしているのはどうしたことか???

甲戌の夏大津に侍しを、このかみのもと
より消息せられければ、旧里に帰りて盆
會をいとなとて
家はみな杖にしら髪の墓参      芭蕉

悼少年 二句
かなしさや麻木の箸もおとななみ   維然
<かなしさや おがらのはしも おとななみ>。幼くして死んだ少年の墓には、おがらで作った箸が供えられている。それが大人のものように大きいのが悲しい。

その親をしりぬその子は秋の風    支考
<そのおやを しりぬそのこは あきのかぜ>。この墓に眠る子供の親は私の知人だが、その悲しみを嘆くように秋風が通っていく。

かまくらの龍口寺に詣て
首の座は稲妻のするその時か     木節
<くびのざは いなずまのする そのときか>。「瀧口寺」は、鎌倉腰越にある日蓮宗の寺院。ここで日蓮は斬首の処刑を受けたのだが、今切られようとした瞬間に役人の刀に落雷があり、罪減刑されて佐渡に流された。その故事。

はか原や稲妻やどる桶の水      支梁
<はかはらや いなずまやどる おけのみず>。墓参りの手桶の中に稲妻の光が一瞬映る。そのはかないこと。人の一生もこれか。

  御 影 講

も柿もおがまれにけり御影講    沾圃
<ゆもかきも おがまれにけり おめいこう>。「御影講<おめいこう>」は、日蓮宗の10月13日の日蓮忌。供え物の豪勢さでも人目を引いた。特に江戸池上本門寺では格段であった。それゆえ、供物の柚や柿までが拝まれたのである。

  臘 八

をさぐりて見れば納豆汁      許六
<はらわたを さぐりてみれば なっとじる>。釈迦が大悟したといわれる今日十二月八日。生身の人間の悲しさで寺に坐禅していても、腹の中には今朝食べた納豆汁が入っている。

何のあれかのあれけふは大師講    如行
<なんのあれ かのあれきょうは だいしこう>。「大師講」は、11月23日。この日は強風が吹いて天候が大いに「荒れる」日とされる。そして一年中、天気が荒れる日というのがあの日この日と決められているが、ともかく今日は大師講だ。間もなく本格的空っ風の季節。

  雑 題

洛東の眞如堂にして、善光寺如来開帳の時
凉しくも野山にみつる念仏哉     去来
<すずしくも のやまにみつる ねぶつかな>。「真如堂」は、京都洛東吉田山にある天台宗鈴聲山真正極楽寺のこと。この寺が所蔵する善光寺如来の御開帳に際して詠んだ句。去来の向井家はこの寺の檀家。ほかに三井家などもこの寺を檀那寺とする。

有ると無きと二本さしけりけしの花  智月
<あるとなきと にほんさしけり けしのはな>。仏壇にさしてある芥子の花。一本は花がついているものの、もう一本は早くも落花してしまっている。

けし畑や散しづまりて仏在世     乙州
<けしはたや ちりしずまりて ぶつざいせ>。「佛在世」とは、釈迦が生きていた時代の意。芥子の花は散ってしまうと緑色の丸い玉の芥子坊主が現れる。芥子畑の花がいっせいに散って、芥子坊主が風にそよいでいる風景は、あたかも佛在世のころのお弟子さんたちが釈迦の周りに居る賑やかさを想像させる。

ものゝふに川越問ふや富士まうで   望翠
<もののふに かわごえとうや ふじもうで>。大井川の手前なのだろう。富士詣に行く者達が、反対側に歩いてくる旅の武士に水嵩を尋ねている。富士詣は、この時代6月1日から3週間行われた。

手まはしに朝の間凉し夏念仏     野坡
<てまわしに あさのますずし なつねんぶつ>。夏は朝は涼しいが、夕方は暑さが残る。そこで朝の内に夕方上げるべき念仏を上げておく。天台宗では朝は法華経を読経し、夕方は称名念仏をあげるしきたりがある。

食堂に雀啼なり夕時雨        支考
<じきどうに すずめなくなり ゆうしぐれ>。「食堂<じきどう>」は、寺院の食事をする場所。急な夕時雨がやってきたら、雀たちが一斉に食堂の庇に集まってきた。薄暗くなってきたので寺院の食事時と勘違いしたのであろう。何時もここで雀たちは僧から食事をもらっていたのである。