D35

の裏を見せけり秋の風

目次へ


の裏を見せけり秋の風

一説曰、此句先師の葛葉みせけりと等類*許六曰、等類にあらず。みせけりとはのむすびなり*。趣向かはれり。去来曰、等類とはがたし。同竈の句なるべし*。たとへば和歌には花さかぬ常盤の山の鶯はなきてや春をしるらんとに、紅葉せぬトキハ山のサホ鹿は己なきてや秋を知るらんトよみても等類にはならざるよし*。俳諧には遠慮する事ト見えたり。

  • 一説曰此句先師の葛葉みせけりと等類也 :ここにいう芭蕉句は「葛の葉の面見せけり今朝の霜」で、これと同じではないかという説が横行しているが・・・。
  • 許六、等類にあらず。みせけりとはのむすびなり :許六は同類ではない。「みせけり」というが見せているものの意味が違う。芭蕉はこの句に嵐雪が反抗して蕉門から出て行った後で詫びを入れたその姿を描いたもの、この句は、アサガオのはかなさを描いたもので、「みせけり」といいながら見せているものが根本的に違う。
  • 去来曰、等類とはがたし。同竈の句なるべし:去来は、これは等類と言わないで、同竈<どうそう>と言えばよいのだ。何だか分かったような分からないような表現。そこで、・・・
  • たとへば和歌には花さかぬ常盤の山の鶯はなきてや春をしるらんとに、紅葉せぬトキハ山のサホ鹿は己なきてや秋を知るらんトよみても等類にはならざるよし :花さかぬ常盤の山の鶯はなきてや春をしるらん」という歌と、「紅葉せぬトキハ山のサホ鹿は己なきてや秋を知るらん」は等類ではないというのだから、こういうのは「同竈」と言うのだろう。俳諧ではほめられないことだ。