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盲より唖のかはゆき月見哉
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- 盲より唖のかはゆき月見哉
去來
この比或る連歌師曰、花の本にて此句の評あり。俳諧もかゝる感情の句あれバ、あなどりがたしと也*。去來曰、此句は十七八年まへの句なり。そのころハ先師にも賞セられ、世上にもさたありし句也。尤事新敷感ふかしといへど、句位を論ずるに至てハ甚だ下品也。今日蕉門の徘友中々此場に居らず。是を賞セらるゝと聞て
、却て今日の連歌師たのもしからずおもひ侍る也*。
- 盲より唖のかはゆき月見哉:月を見てもそれを詩に作れない人は、目の見えない者よりかわいそうな人だ。
- この比或る連歌師曰、花の本にて此句の評あり。俳諧もかゝる感情の句あれバ、あなどりがたしと也
:「花の下」とは、連歌においては文禄4年(1595年)、秀吉が里村昌叱に花下領を付置した朱印状を下した時から公的称号となり、元和3年(1617年)8月28日、徳川秀忠が昌琢に花下領百石の朱印状を下して以後、里村家の当主が代々「花の下」を継ぎ幕府の御連歌始の奉行職となった(『和歌大辞典』明治書院)。ある連歌師の言うには、「去来のこの句を里村家の当主が、随分ほめて俳諧も大分情緒が読めるようになったものだ」と言ったそうだ。この時代には未だ、連歌会では、俳諧などはレベルの低い文芸であるが、少しましなのもあるという認識でいたのである。今でも歌舞伎界で他の芸能界を評してこんな言葉が囁かれているのかもしれない。
- 是を賞セらるゝと聞て 、却て今日の連歌師たのもしからずおもひ侍る也:この句は、17、8年も前の作品で、芭蕉からもほめられったり、世間で評判にもなったりしたが、句の品位をいうのなら上品<じょうぼん>、中品<ちゅうぼん>、下品<げぼん>で言えば下品に属すものであり、今では蕉門の俳人達ならこのくらいの品位の句は誰でも作れる。これをほめられたというのは褒める方のレベルがあまり高くないなと思ってしまう。批評家去来の面目躍如。事実、連歌界はこれ以後衰退の一途をたどっていった。