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腫物に柳のさはるしなへ哉
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腫物に柳のさはるしなへ哉 芭蕉
- 浪化集にさハる柳と出。是ハ予が誤り傳ふる也*。重て史邦が小文庫に柳のさハると改め出す。支考曰、さハる柳也。いかで改め侍るや。去來曰、さハる柳とハいかに。考曰
、柳のしなへハ腫物にさハる如しと比喩也。來曰、しからず、柳の直にさハりたる也。さハる柳といへバ兩様に聞え侍る故、重て予が誤をたゞす。考曰、吾子の説ハ行過ぎたり。たゞさハる柳と聞べし。丈艸曰、詞のつゞきハしらず、趣向ハ考がいへる如くならん。來曰、流石の兩士爰を聞給ハざる口をし。比諭にしてハ誰々も謂ハん。直にさハるとハいかでか及バん。格位も又各別也ト論ず。許六曰、先師の短尺にさハる柳と有。其上柳のさハるとハ首切也。來曰、首切の事ハ予が聞處に異也。今論に不及。先師之文に、柳のさハると慥也*。六曰
、先師あとより直し給ふ句おほし。眞跡證となしがたしと也*。三子皆さハる柳の説也。後賢猶判じ給へ。來曰、いかなるゆへや有けん。此句ハ汝にわたし置。必人にさたすべからずと江府より書贈り
給ふ*。其後大切の柳一本去來に渡し置けりとハ、支考にも語り給ふ*。其比浪化集・続猿蓑集の兩集にものぞかれけるに、浪化集撰の半、先師遷化有しかバ、此句のむなしく殘らん事を恨て、その集にハまいらせける*。
- 「腫物に
さはる柳のしなへ哉」派は、浪化(『有磯海』)、支考、条件付の丈草、許六。「腫物に柳のさははるしなへ哉」派は史邦、去来のみ。浪化が最初に「腫物に
柳のさははるしなへ哉」としたので、私はその誤りを指摘し「さはる柳」で柳が腫れ物に直截に意識を持って触るのだとした。史邦は『芭蕉庵小文庫』で私の意見に従って「柳のさはる」としたのだが、これに対して支考が「さわる柳」だとケチをつけた。支考の解釈は、それは「腫れ物に触る」という慣用句を述べたのであって、柳が自発的に触ってくるのではないのだとまで言う。
- 先師之文に、柳のさハると慥也:<せんしのふみに、やなぎのさわるとたしかなり>。現存する去来宛書簡ではたしかに「柳のさはる」になっているので、その限りでは去来の言い分が正しいのであろう。
- 六曰、
先師あとより直し給ふ句おほし。眞跡證となしがたしと也:許六は、芭蕉は後から句を直すことがしばしばだから、真蹟をもって証拠とするには及ばないのではないか。
- 此句ハ汝にわたし置。必人にさたすべからずと江府より書贈り
給ふ:この句は去来に預けておくので、かならず人に教えてはならんと大津から書いて寄越したものである。
- 其後大切の柳一本去來に渡し置けりとハ、支考にも語り給ふ:これについては、大切な柳の句一つを去来に預けておいたと、支考にも話されたではないか。
- 其比浪化集・続猿蓑集の兩集にものぞかれけるに、浪化集撰の半、先師遷化有しかバ、此句のむなしく殘らん事を恨て、その集にハまいらせける
:<そのころろうかしゅう・ぞくさるみのしゅうのりょうしゅうにものぞかれけるに、ろうかしゅうせんのなかば、せんしせんげありしかば、このくのむなしくのこらんことをうらみて、そのしゅうにはまいらせける>。だから、芭蕉の生存中に行われた浪化集や続猿蓑集に、この句を芭蕉は入集されなかった。しかるに、浪化集の撰集の途中で死去されたので、この句が紛失するのは惜しいというので浪化集に入れたのだ。そうしたら浪化は「さはる柳」としてしまったのだ。残念だ。後世の専門家はこれを正して欲しい。去来の憤懣がほとばしってくる一文。