芭蕉db
   和蓼蛍

朝顔に我は飯食う男哉

(虚栗)

(あさがおに われはめしくう おとこかな)

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 天和2年、芭蕉39歳の作。其角の放縦な態度に忠告をあて がう意図をこめて詠んだとされる。
 なお、この年10句が記録されている。

朝顔に我は飯食う男哉

 詞書「角が蓼蛍の句に和す」の意味は、其角の句「草の戸に我は蓼食ふ蛍哉」(虚栗)に対して「和する」としているのである。其角の句は其角らしい放蕩の表現。「蓼食う虫も好き好き」と言うとおり、誰も彼もが好きと言うのではないが私は俳諧をやっていますという意味と、夜な夜な放蕩を尽くしている宵っ張りの遊び男です という意味も込めている。
 これに対して、師の芭蕉は、「私は朝早く起きて朝顔の花を眺めるような普通の生活をして、 「蓼」など食わずにちゃんとご飯を頂いていますよ」と言って、反省を促したのである。
 これから12年後の芭蕉の死に水は、この不肖の弟子宝井其角がとった。
 


群馬県前橋市文京 文京自治会館前の句碑(牛久市森田武さん提供)