芭蕉db
   大津にて智月といふ老尼のすみか
   を尋ねて、己が音の少将とかや、
   老の後このあたり近く隠れ侍りし
   というふを

少将の尼の話や志賀の雪

(智月筆懐紙)

(しょうしょうの あまのはなしや しがのゆき)

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 元禄2年12月。大津志賀の里。智月が隠棲している住いを訪ねて詠んだとされている。ちなみにこの志賀の里は、「少将の尼」が晩年に隠棲したとされている(あるいは、智月がそういう話をしたというのがこの句の主題)。

少将の尼の話や志賀の雪

 智月尼を雪降り積もった志賀の里に訪ねたところ、昔「おのが音につらき別れはありとだに思ひも知らで鶏や鳴くらむ」(『新勅撰集』十三)という歌を詠んだ少将の尼がこの付近に隠棲していたと話してくれた。
 
少将の尼は、藤原信実の女、後堀河天皇の中宮に仕えた鎌倉時代の歌人。上記の歌で一躍有名歌人となった。彼女については、「老の名のありとも知らで四十雀」の句にも関係しているので参照。

「おのが音につらき別れはありとだに思ひも知らで鶏や鳴くらむ」:鶏鳴は夜明けを意味する。一夜を共に過ごした男女にとっては、この声は別れを告げる非情な一声である。 江戸俗謡「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」などと同様の心境か?