なに波津にあし火燒家はすゝけたれど 重五
炭賣のをのがつまこそ黒からめ
万葉集の歌「難波人葦火たく屋のすすたれどおのが妻こそとこめづらしき」(葦火を焚く家の軒端は煤けて真っ黒になってしまったが私の妻は今でも美しい)を俳諧化した。炭焼きの男の妻は軒端が煤だらけになったように、妻の顔も真っ黒だろうというのである。
ひとの粧ひを鏡磨寒 荷兮
<ひとのよそいを かがみとぎさむ>。他人の化粧のために使われる鏡を磨く職人は片肌脱いで研いでいるが、この冬のさなかさぞや寒いことだろう。この時代鏡は錫版を研磨して鏡とした。その様子を描いた職人の絵は片肌脱いで働いている姿が標準であった。
花棘馬骨の霜に咲かへり 杜國
<はないばら ばこつのしもに さきかえり>。馬捨て場に、霜が一面降りている中に時期はずれの白い花棘が咲いている。その色彩は、前句の鏡磨が磨いている鏡の白さと同じだ。
鶴見るまどの月かすかなり 野水
霜を置いた晩秋の早暁、窓からみれば鶴が有明の月に照らされて寒さに耐えて立っている姿が見える。
かぜ吹ぬ秋の日瓶に酒なき日 芭蕉
<かぜふかぬ あきのひかめに さけなきひ>。そんな晩秋の小春日和の日。酒も呑んでしまって瓶の中は空っぽだ。無聊にただ鶴を見ているだけだ。
荻織るかさを市に振する 羽笠
<おぎおるかさを いちにふりする>。酒が無くなったのでこの男、荻で編んだ笠を天秤棒に担いで街に出かけて売っている。それで一杯の酒を手に入れようとしているのだ。前句の風流人をただの貧乏人に仕立ててしまった。
加茂川や胡磨千代祭り微近み 荷兮
<かもがわや こまちよまつり ややちかみ>。そういう笠を売りに出る季節というのは、都では「胡磨千代祭」が近づいたということだな。「胡磨千代祭」という祭は無いが、江戸寛永年間に京都で話題になった火打石売りの名前。
いはくらの聟なつかしのころ 重五
「いわくら」は岩倉で京都市左京区岩倉のこと。鴨川の源流。その祭には岩倉にやった娘が婿と一緒に出てくることだろう。懐かしいことだ。
おもふこと布搗哥にわらはれて 野水
<おもうこと ぬのつきうたに わらわれて>。前句では、娘の父であったがここではまだ嫁に行かない娘になる。岩倉の男というのは末を契りあった仲だが、そのことがみんなに知られて布搗き歌にまで唄われてはやしたてられて恥ずかしい。布搗き歌は、麻などの布を棒で叩いて柔らかくする(砧打ち)ときの作業歌であろう。
うきははたちを越る三平 杜國
「三平」は<まるがお>と読む。シコメのこと。丸顔の醜女ゆえに私は二十歳を超えても浮き話一つない。あろうことか嫁にもらいての無いのを囃し立てて、こうして仕事歌の中でまでいじめられる。悲しいことだ。
捨られてくねるか鴛の離れ鳥 羽笠
<すてられて くねるかおしの はなれどり>。鴛は<くね=おしどり>と読む。「くねる」はひがむこと、すねること。雄に棄てられたあのおしどりはひがんでしまって、一人離れているのだろうか。
火をかぬ火燵なき人を見む 芭蕉
<ひおかぬこたつ なきひとをみん>。ここでは鴛から人間に替えて。亡き夫の思い出を忘れられず、火の気の無い火燵に入って涙にくれている女がいる。
門守の翁に帋子かりて寝る 重五
<かどもりの おきなにかみこ かりてねる>。また、一転して場面は旅先のある場所の門の前。門番の老人に情をかけられて一夜の宿を提供してもらったが、火燵には火がはいっていず、紙子を着て一夜を明かす。
血刀かくす月の暗きに 荷兮
<ちがたなかくす つきのくらきに>。前句の旅人は実はお尋ね者。最前人を切って逃げてきたのだ。門番の翁に助けを求めたのは、その血の付いた刀と自分を追っ手から守るためだったのである。物騒な話になってきた。
霧下りて本郷の鐘七つきく 杜國
<しもおりて ほんごうのかね ななつきく>。ここは本郷(現東京大学のある辺り)。晩秋の早朝。深い霧につつまれた夜明け前の朝5時ごろ、折りしも本郷の寺の鐘が七つを告げる。
ふゆまつ納豆たゝくなるべし 野水
その本郷付近の寺院では小坊主たちが冬に備えて納豆切りをしていることであろう。納豆を粉砕して味噌汁などに入れてたんぱく質を摂取する禅寺などの常食であった。
はなに泣櫻の黴とすてにける 芭蕉
<はなになき さくらのかびと すてにける>。寺で修業しているうちに悟りを開いた。その昔世俗にいたときには花よ蝶よと浮かれ歩き、桜の花の散るをみて涙を流す始末だったが、佛に帰依してからは桜の花など桜の木についた黴ぐらいにしか思わなくなった。
僧ものいはず款冬を呑 羽笠
<そうものいわず かんどうをのむ>。「款冬」は、薬草の名前。沈咳剤。この悟りを開いた僧侶、しずかに款冬をのんでいる。
白燕濁らぬ水に羽を洗ひ 荷兮
<しろつばめ にごらぬみずに はをあらい>。この寺の池では、白い燕が羽を洗っている。白ツバメは瑞兆なのだが悟りの僧はいささかも気持ちを動かさず款冬を飲んでいる。悟りの境地に没入しているのだ。
宣旨かしこく釵を鑄る 重五
<せんじかしこく かんざしをいる>。白いツバメは古来瑞兆であった。特に中国では、白い燕が現れると国内に美人の誕生のしるしとされた。そこでおそらく帝はその美人を後宮に入れようと金のかんざしを鋳造させたであろうというのだが?
八十年を三つ見る童母もちて 野水
<やそとせを みつみるわらわ ははもちて>。「80年を三つ見る」とは、80歳に向かって3年経った、の意で、つまり73歳のこと。73歳にもなるのにまだ母が生きている長寿の一家。これも大変めでたい。そこで、前句のかんざしはこの73歳の息子に発注された。
なかだちそむる七夕のつま 杜國
こういう息子は親孝行で、帝の媒介で天の川の織女を妻として与えられることがある。
西南に桂のはなのつぼむとき 羽笠
<せいなんに かつらのはなの・・>。「桂のはな」は月のこと。西南の空に七日の月が消えかかる頃(・・・七夕の二つの星は久しぶりの逢瀬を楽しんでいる。)
蘭のあぶらに〆木うつ音 芭蕉
<らんのあぶらに しめぎうつおと>。蘭から香油を採るために、製油器の圧縮のためにくさびを打ち込む音がする。前句で桂が出てきたので、「蘭薫桂馥<らんくんけいふく>」という言葉にかけたのである。
賎の家に賢なる女見てかへる 重五
<しずのやに けんなるおんな みてかえる>。蘭の香のような美しく賢い女が、貧しい家に住んでいる。それを見て感動して家路に着いた。
釣瓶に粟をあらふ日のくれ 荷兮
<つるべにあわを あらうひのくれ>。その女は、ツルベのついた井戸で、黙々と粟をといでいる。今宵の夕げの支度であろう。その一つ一つの行動が美しい。
はやり来て撫子かざる正月に 杜國
<はやりきて なでしこかざる しょうがつに>。前句で、「アワ」を洗っているのは、正月をナデシコの花の咲く季節に変えたためで、その正月用の餅にアワを使うのである。正月を夏にしたのは、「ハヤリ」という流行病が起こったので、お払いのために半年時期を移したのである。
つゞみ手向る弁慶の宮 野水
<つづみたむける べんけいのみや>。祈りを込めて弁慶のまつられている神社に、疫病神退散のツヅミ奉納が行われていて朝から晩までその音がする。弁慶は強いので、こういうときには頼りになるのである。
寅の日の旦を鍛冶の急起て 芭蕉
<とらのひの あしたをかじの とくおきて>。弁慶の宮の縁日は寅の日で、毘沙門天の縁日でもある。そんなときには刀鍛冶屋はゲンを担いで朝早く起きて仕事場の整理整頓にかかる。
雲かうばしき南京の地 羽笠
<くもこうばしき なんきょうのち>。ここはその刀鍛治の集まる南都奈良の都。ここでは鑪(たたら)の煙がさかんに立ち昇るのだ。
いがきして誰ともしらぬ人の像 荷兮
<いがきして たれともしらぬ ひとのぞう>。「いがき」は「斎垣」で、鳥居などについている、「井」の字形の垣(『大字林』)。しかし、奈良では、あまり古すぎて斎垣の中に何を祀っているのか分からなくなっているというから面白い。
泥にこゝろのきよき芹の根 重五
<どろにこころの きよきせりのね>。泥の中に根を下ろしているというのに美しい緑の葉を光らせている芹のように、名前は分からなくてもその垣の中は偲ばれる。
粥すゝるあかつき花にかしこまり やすい
<かゆすする あかつきはなに かしこまり>。早朝粗末な粥を食するだけで、終日花を見て暮らす。西行の一日は清楚なものだ。「かつすすぐ澤の小芹の根を白み清げにものを思はずもがな」(『『山家集』』)を引用。
狩衣の下に鎧ふ春風 芭蕉
<かりぎのしたに よろうはるかぜ>。その花の春ではあるが、これから出陣する武将の狩衣すそが春風にまくれてみると、その下には鎧の金具が見える。
北のかたなくなく簾おしやりて 羽笠
<きたのかた なくなくみすを おしやりて>。出陣して行った最愛の夫の姿を押しやるように北の方は涙にくれながら簾を降ろす。
ねられぬ夢を責るむら雨 杜國
<ねられぬゆめを せむるむらさめ>。いなくなった夫のことを忘れて寝ようとするが、村雨がやってきて眠らせない。
田家眺望 荷兮
霜月や鶴の彳々ならびゐて
<しもづきや かくのいくいく ならびいて>。「彳々」は、「佇む」の意で、なすこともなく物さびしげなさまをいう(『大字林』)。11月の田んぼには、侘びしげに一群の鶴が並んで立っている。
冬の朝日のあはれなりけり 芭蕉
<ふゆのあさひの あわれなりけり>。冬の朝日の弱々しい光の中に、鶴たちはいるのだ。芭蕉は、発句の弱さを補強して、和歌に仕上げたのである。
樫檜山家の体を木の葉降 重五
<かしひのき さんかのていを このはふる>。しかし、冬の時候ともなると朝日がさすようになる。なぜなら、山家を模して作ったこの家では、この季節には落葉樹の葉がしきりと落ちるから。
ひきずるうしの塩こぼれつゝ 杜國
<ひきずるうしの そおこぼれつつ>。そんな木の葉の落ちる山路を牛をひいて通る者がいる。跡に塩を点々と落として去って行った。
音もなき具足に月のうすうすと 羽笠
<おともなき ぐそくにつきの うすうすと>。牛をひく男のかっこうといったら何も具足をつけていないので音もなく、ただ月の夜道をうっすらと影をひきずりながら歩んでいく。この男を、陣地に兵糧を運ぶ兵站兵とみて、次に接ぐ。
酌とる童蘭切にいで 埜水
<しゃくとるわらべ らんきりにいで>。明日は出陣する。大将の侍童は陣中からそっと抜け出て、主人の為に酒席に蘭の花を贈呈したいと、探しに出る。
秋のころ旅の御連歌いとかりに 芭蕉
<あきのころ たびのごれんが いとかりに>。「いとかりに」は非常に間に合わせに、の意。前句は将軍が陣中であったが、こちらは都の貴人であって、彼を慰めようと急ごしらえの連歌会を開催する。それが秋の季節である。
漸くはれて富士みゆる寺 荷兮
<ようやくくはれて ふじみゆるてら>。その連歌の会の開かれたのは東海道富士の見える寺の本堂。きれいに晴れた秋空が美しい。
寂として椿の花の落る音 杜國
<じゃくとして つばきのはなの おつるおと>。寂とした寺の庭では椿の花がかすかな音を上げながら落花していく。時は春。
茶に糸遊をそむる風の香 重五
<ちゃにいとゆうを そむるかぜのか>。陽炎の立つ春の日。春風に茶の香がこもる。
雉追に烏帽子の女五三十 野水
<きじおいに えぼしのおんな ごさんじゅう>。前句の連歌の会を雉追いに変更。その雉追いになんと烏帽子をかぶらせた女ども数十人を駆り出した。
庭に木曽作るこひの薄衣 羽笠
<にわにきそつくる こいのうすぎぬ>。しかもあろうことか、その会場の庭には木曽の山中を模した植え込みや山水などがしつらえれているという豪勢ぶり。すごい金持ち。
なつふかき山橘にさくら見ん 荷兮
<なつふかき さまたちばなに さくらみん>。その木曽の山中を模した庭園には、夏のこととてすでに桜は散ってかわりに山橘(ヤブコウジ)の花が咲いている。ヤブコウジは、ヤブコウジ科の常緑小低木。暖帯の山地の林下に群生。庭木や盆栽とする。高さ約20センチメートル。葉は長楕円形で茎の上方に輪生状につく。夏、腋生の花柄に5弁の白花を数個つけ、冬、小球形の果実が赤熟する。山橘(やまたちばな)(『大字林』)。
麻かりといふ哥の集あむ 芭蕉
<あさかりという うたのしゅうあむ>。この集まりの結果、歌集を編んだ。その名は「麻かり」という。芭蕉は、ここで一旦話題を終結させたかった。
江を近く独楽庵と世を捨て 重五
<えをちかく どくらくあんと よをすてて>。川の近くに独楽庵という名の庵をあんで、一人の男が隠棲している。
我月出よ身はおぼろなる 杜國
<わがつきいでよ みはおぼろなる>。隠棲している庵からみえる月は私のもの。私の心を澄んだ光で満たしておくれ。
たび衣笛に落花を打拂 羽笠
<たびごろも ふえにらっかを うちはらい>。前句の男は実は旅の途次にある。月夜に笛を吹いていると、しきりに彼の旅衣に桜の花が落ちてくる。それは花か涙か。
籠輿ゆるす木瓜の山あい 野水
<ろうごゆるす ぼけのやまあい>。この男、実は罪人で、いま牢の籠で運ばれていく道中である。ボケの花咲く山道にいたって休憩を許されているところなのだ。
骨を見て坐に泪ぐみうちかへり 芭蕉
<ほねをみて ざになみだぐみ うちかえり>。しかし、その男の骨が里に届けられてはじめて男が殺されたことが分かった。家人はその骨を見て、故人の在りし日の姿をしのんで泣いている。冤罪か?
乞食の簔をもらふしのゝめ 荷兮
<こじきのみのを もらうしののめ>。この男の逃走期間には、朝の寒さに耐えかねて、乞食達の蓑を借りて寒さをしのいだこともあるという。妻や子はそんな話を聞くにつけ悲しみにくれている。
泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て 杜國
<どろのうえに おをひくこいを ひろいえて>。この男は、生前、雨の後に泥の上に這い出てきた鯉を拾ったということがあった。
御幸に進む水のみくすり 重五
<みゆきにすすむ みずのみくすり>。「御くすり」は「御薬」で、朝廷にでも献上することを想定した霊薬。天皇が行幸の折りのことで、コイの現れたことを吉兆とみて、薬を進呈した。
ことにてる年の小角豆の花もろし 野水
<ことにてる としのささげの はなもろし>。旱魃の年のササゲの花は貧弱で枯れてしまうというのに、霊水はそんな夏でも脈々と湧き出る。
萱屋まばらに炭團つく臼 羽笠
<かややまばらに たどんつくうす>。ササゲも実らないような旱魃の夏には、萱葺き屋根の家もまばらな山村では、百姓たちは炭団を作るために墨を粉末にする臼の作業に余念が無い。
芥子あまの小坊交りに打むれて 荷兮
<けしあまの こぼうまじりに うちむれて>。「芥子あま」は、芥子形の髪型をした少女の意。その髪型は、髪の毛を全て集めて頭のてっぺんに集めて丸めた型。炭を打つ臼の周りで、そんな髪形をした女の子が、男の子を相手に遊んでいる。
おるゝはすのみたてる蓮の實 芭蕉
<おるるはすのみ たてるはすのみ>。折れる蓮の実、立てる蓮の実のことで、蓮田の蓮の実の高いのや低いのやと同じように、子供たちの背丈は大きいのも小さいのも入り混じっている。
しずかさに飯臺のぞく月の前 重五
<しずかさに はんだいのぞく つきのまえ>。飯台は寺院の学僧らの食べる食堂の台。静まりかえった寺内の食堂に来てみると飯台に月がこうこうと照っていた。
露をくきつね風やかなしき 杜國
<つゆおくきつね かぜやかなしき>。尾羽打ちはらした狐が、体に露をつけたまま食堂の飯台を覗いて、食べ物をあさっているのだ。前句の「飯台」を除いたのは僧ではなく狐だったというのである。
釣柿に屋根ふかれたる片庇 羽笠
<つりがきに やねふかれたる かたびさし>。片庇は、屋根が非対称になっていて、一方が深く、片方が浅く作られている。その開いた方の屋根に枯露柿作りのつるし柿が干してある。秋風はそこに吹いていたのだ。
豆腐つくりて母の喪に入る 野水
<とうふつくりて ははのもにいる>。豆腐は精進料理の素材。服喪の準備はまず食事からというわけだ。前句の片庇の家は、その精進小屋のことなのだ。
元政の草の袂も破ぬべし 芭蕉
<げんせいの くさのたもとも やれぬべし>。その母とは、元政<げんせい>の母のこと。その母の死に臨んで元政の悲しみは、袂も破れるほどのものだった。ここに元政(1623-1668)
とは、江戸初期の日蓮宗の僧・漢詩人・歌人。京の人。諱(いみな)は日政ほか。もと彦根藩の武士。山城の深草に住して厳しい戒律の生活を送った。詩文に秀で、石川丈山などと交わった。「草山集」「草山和歌集」「本朝法華伝」「扶桑(ふそう)隠逸伝」など。(『大字林』)
伏見木幡の鐘はなをうつ かけゐ
<ふしみこばたの かねはなをうつ>。伏見深草の鐘の音は、桜の花を散らすほどの悲しい音を鳴らす。
いろふかき男猫ひとつを捨かねて 杜國
<いろふかき おねこひとつを すてかねて>。桜の花を散らすように恋心を捨てられないオス猫がいたりして、、、
春のしらすの雪はきをよぶ 重五
<はるのしらすの ゆきはきをよぶ>。猫はきれい好き。庭の白州に雪が積もったので、猫のために下男に雪を掃かせたりして、、。
水干を秀句の聖わかやかに 野水
<すいかんを しゅうくのひじり わかやかに>。上手に句をまとめたのは、「秀句の聖」とも呼ばれるべき水干に袴のみめ美しい若者で。
山茶花匂ふ笠のこがらし うりつ
<さざんかにおう かさのこがらし>。お師匠芭蕉翁は「こがらしの身は竹斎に似たる哉」などと言われたが、まさに「秀句の聖」、水干の若者のように素晴らしい。その旅笠は、山茶花の匂いがしますよ。芭蕉を持ち上げて一巻の終わりとなったのである。
追 加
羽笠
いかに見よと難面うしをうつ霰
<いかにみよと つれなくうしを うつあられ>。初冬の空からあられが落ちてきた。杭につながれた牛の顔に情け容赦も無くつぶてが落ちてくる。この寒さをどうしろというのか?
樽火にあぶるかれはの松 荷兮
<たるひにあぶる かれはらのまつ>。牛飼たちがたむろして焚き火のあたっている。そこは冬枯れの松の疎林の見える街道端。
とくさ苅下着に髪をちやせんして 重五
<とくさがり したぎにかみを ちゃせんして>。トクサを刈る労働者一行が上の句の牛のように霰に降られている。みればその髪の毛は茶筌刈にしている。トクサ(木賊)はシダ類の植物で、その茎をゆでて乾燥させたものを木製器具や角・骨を磨くのに用いる。
檜傘に宮をやつす朝露 杜國
<ひがさに みやをやつす あさつゆ>。前句は、「宮」と呼ばれた貴人の変装した落ちぶれた姿。故あってこれから都を落ちのびていくのであろう。その道に朝露が一面。
銀に蛤かはん月は海 芭蕉
<しろがねに はまぐりかわん つきはうみ>。その宮様は、ハマグリを浜の漁師から買おうというのだが、小銭が無いので白金を出した。浜は月夜。
ひだりに橋をすかす岐阜山 埜水
<ひだりに はしをすかす ぎふやま>。その月の浜の左手に架かる橋。その橋から見ると岐阜山が良く見える。ここは桑名の名産ハマグリの浜。
貞亨甲子歳
京寺町二條上ル町
井筒屋庄兵衛板