S43
前二ツにわれし雲の秋風トやらんなり 正秀
中れんじ中切あくる月かげに 去來正秀亭の第三也。初ハ竹格子陰も●●●に月澄てト付ケるを、かく先師の斧正し給へる也*。其夜共に曲翠亭に宿す。先師曰、今夜初正秀亭に會す。珍客なれバほ句ハ我なるべしと 、兼而覺悟すべき事也*。其上ほ句と乞ハヾ、秀拙を撰ばず早ク出すべき事也*。一夜のほど幾ばくかある。汝がほ句に時をうつさバ、今宵の會むなしからん。無風雅の至也*。餘り無興に侍る故、我ほ句をいたせり*。正秀忽ワキを賦す。二ツにわるゝと、はげしき空の氣色成を、かくのびやか成第三付ル事、前句の●をしらず、未練の事なりと、夜すがらいどミたまひける*。去來曰 、其時月影に手のひら立る山見えてト申一句侍りけるを、たゞ月の殊更にさやけき處をいハんとのみなづみて、位をわすれ侍る申*。先師曰、其句ヲ出さバいくばくのましならん。此度の膳所のはぢ一度すゝがん事をおもふべしと也*。
中れんじ中切あくる月かげに :「れんじ」は「連子」で木・竹などの細い材を、縦または横に一定の間隔を置いて、窓や欄間に取り付けたもの(『大辞林』)。ここでは武家屋敷の中門の連子格子。この、句会が何時だったかは明記されていないが、元禄3年秋に正秀が尚白門から蕉門に入門しているので、その急接近の時期であったろう。
正秀亭の第三也。初ハ竹格子陰も●●●に月澄てト付ケるを、かく先師の斧正し給へる也:<まさひでていのだいさんなり。はじめはたけごうしかげも●●●につきすみてとつけるを、かくせんしのふせいしたまえるなり>。ここで、下記のように結局芭蕉が作ったという発句については不明。あまり出来が良くなくて後世に残せなかったのであろう。その芭蕉の発句に正秀が付けた脇句がうろ覚えだが「二ツにわれし雲の秋風」だったと思われる。その第三を去来が付けることになって、最初「竹格子陰も●●●に月澄て」と付けたが芭蕉に添削されて最終的に「中れんじ中切あくる月かげに」となったという。
珍客なれバほ句ハ我なるべしと 、兼而覺悟すべき事也:<ちんきゃくなればほっくはわれなるべしと、かねてかくごすべきことなり>。あなたが今夜の客なのだから、発句を要求されるであろうと予め覚悟してここへ来なくてはいけません。
其上ほ句と乞ハヾ、秀拙を撰ばず早ク出すべき事也:<そのうえほっくとこわば、しゅうせつをえらばずはやくだすべきことなり>。しかも、発句をお願いしますと言われたら、旨い拙いはともかく早く出さなくてはいけません。
一夜のほど幾ばくかある。汝がほ句に時をうつさバ、今宵の會むなしからん。無風雅の至也:一夜といえ時間が有り余るほどあるというのではありません。あなたが発句に時間をかけてしまえば、今夜の俳席は実に中身の無いものになってしまいます。それでは風雅も何も無いことになってします。
餘り無興に侍る故、我ほ句をいたせり:<あまりぶきょうにはべるゆえ、われほっくをいたせり>。あなたがもたもたしていて発句が出てこないので、あまりに興が無いものだから私が発句を出したのですよ、ダメじゃないですか。芭蕉の怒りはおさまらない。
二ツにわるゝと、はげしき空の氣色成を、かくのびやか成第三付ル事、前句の●をしらず、未練の事なりと、夜すがらいどミたまひける:正秀が私の発句にすぐに付けた脇はといえば、二つに空を割るというような激しい空の様子を描いているというのに、あなたの第三は実にのんびりとしたもので、前句の心を無視したもので、残念この上ないものでしたよ、などと一晩中小言をもらいました。
去來曰 、其時月影に手のひら立る山見えてト申一句侍りけるを、たゞ月の殊更にさやけき處をいハんとのみなづみて、位をわすれ侍る申:私は、実はその時「月影に手のひら立る山見えて」という付けを思いつきましたが、やっぱり月のさわやかさを強調したくて、立場を忘れてしまいました。
先師曰、其句ヲ出さバいくばくのましならん。此度の膳所のはぢ一度すゝがん事をおもふべしと也:芭蕉は、「その句を出せば未だましだった。今度のここ膳所での失敗は何時かきっと雪がなくてはいけませんよ」と言った。