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先師曰、尚白が難に、近江は丹波にも、行春ハ行歳にも有べしといへり*。汝いかゞ聞侍るや。去來曰、尚白が難あたらず。湖水朦朧として春をおしむに便有べし。殊に今日の上に侍るト申*。先師曰、しかり、古人も此國に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を*。去來曰、此一言心に徹す。行歳近江にゐ給はゞ、いかでか此感ましまさん。行春丹波にゐまさば本より此情うかぶまじ。風光の人を感動せしむる事、眞成る哉ト申。先師曰、汝ハ去來共に風雅をかたるべきもの也と、殊更に悦給ひけり*。
- 尚白が難に、近江は丹波にも、行春ハ行歳にも有べしといへり:<しょうはくがなんに、おうみはたんばにも、ゆくはるはゆくとしにもあるべしといえり>。尚白が、この句について「近江」でなくとも「丹波」でも、「行く春」が「行く 歳」でもいいではないか。過ぎて行く時を惜しむのに、「近江の人」でなくたって、「春」でなく「歳末」では何故いけないのかと非難しているよ。
- 湖水朦朧として春をおしむに便有べし。殊に今日の上に侍るト申 :<こすいもうろうとしてはるをおしむにたよりあるべし。ことにこんにちのうえにはべるともうす>。琵琶湖も霞の中に埋もれて、まさに過ぎてゆく春を惜しむに格好の季節。これぞ 今日のような春でなくて他のいかなる季節があるというのだろう。尚白の非難は間違いです。
- しかり、古人も此國に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を:全くその通り。万葉や古今集の歌人たちもここ近江の春を堪能したのであって、それは京の都の春にも負けないほどのものであった。そのことが、読む人にとって理解できるのであって、丹波の春といわれても連想ができまい。
- 先師曰、汝ハ去來共に風雅をかたるべきもの也と、殊更に悦給ひけり :<せんしいわく、なんじはきょらいともにふうがをかたるべきものなりと、ことさらによろこびたまいけり>。去来の面目躍如の一文。