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辛崎の松は花より朧にて 芭蕉伏見の作者、にて留の難有*。其角曰、にては哉にかよふ。この故に哉どめのほ句に、にて留の第三を嫌ふ*。哉といへば句切迫なれバ、にてとハ侍也*。呂丸曰、にて留の事は已に其角が解有。又此ハ第三の句也。いかでほ句とはなし給ふや*。去來曰、是ハ即興感偶にて、ほ句たる事うたがひなし*。第三ハ句案に渡る。もし句案に渡らバ第二等にくだらん*。先師重て曰、角・來が辨皆理屈なり。我ハたゞ花より松の朧にて、おもしろかりしのみト也*。
- 伏見の作者、にて留の難有 :<ふしみのさくしゃ、にてどめのなんあり>。「伏見の作者」が誰なのか不明だが、北村季吟か。下五が「にて」となって終わるのはよろしくないという批評があったという。
- にては哉にかよふ。この故に哉どめのほ句に、にて留の第三を嫌ふ:「かな」と「にて」は同類の切れ字。だから、「かな」留の発句に、「かな」留の第三句を付けないのがルールだ。其角の説である。
- 哉といへば句切迫なれバ、にてとハ侍也:<かなといえばくぎれせわしくなれば、にてとははべるなり>。ここで芭蕉が「哉」といわずに「にて」としたのは、「哉」だと句切れがきつくなるので、やわらかく「にて」としたのだ。
- 呂丸曰、にて留の事は已に其角が解有。又此ハ第三の句也。いかでほ句とはなし給ふや:山形の近藤呂丸の質問。「にて」留の意味は其角の説明で了解できるが、しからばこれは発句ではなくて第三でなくてはいけないのではないか?。
- 去來曰、是ハ即興感偶にて、ほ句たる事うたがひなし:<きょらいいわく、これはそっきょうかんぐうにて、ほっくたることうたがいなし>。この句は、即興の感動句であって、それゆえに発句以外の何者でもない。というのは、・・・
- 第三ハ句案に渡る。もし句案に渡らバ第二等にくだらん:第三というのは、脇句にも合わせ、次句にもそろえて俳諧全体の流れに沿わせなくてはならずそれゆえに即興的な感動を入れることは出来ず、又この句をこね回してしまったら全く駄目な句になってしまうだろう。
- 先師重て曰、角・來が辨皆理屈なり。我ハたゞ花より松の朧にて、おもしろかりしのみト也:<せんしかさねていわく、かく・らいがべんみなりくつなり、われはただはなよりまつのおぼろにて、おもしろかりしのみとなり>。芭蕉は、二人の説はなかなかだが、私はたださくらより辛崎の松は朧に見えると感動しただけなのですが。