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梅の花あかいハあかいはあかいハな
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梅の花あかいハあかいはあかいハな 推然
去來曰、惟然坊がいまの風大かた是の類也。是等ハ句とハ見えず*。先師遷化の歳の夏、惟然坊が徘諧を導びき給ふに
、其秀でたる口質の處よりすゝめて*、磯際にざぶりざぶりと浪うちて、或は杉の木にすうすうと風の吹きわたりなどゝいふを賞し給ふ。又徘諧は季先を以て無分別に作すべしとの給ひ、又この後いよいよ風體かろからんなど、の給ひける事を聞まどひ*、我が得手にひきかけ、自の集の歌仙に侍る
、妻呼ぶ雉子、あくるがごとくの雪の句などに評し給ひける句ノ勢、句の姿などゝいふ事の物語しどもハ、皆忘却セると見えたり*。
- 去來曰、惟然坊がいまの風大かた是の類也。是等ハ句とハ見えず
:維然の句は今やせいぜいこいうくだらないものばかりだ。
- 先師遷化の歳の夏、惟然坊が徘諧を導びき給ふに
、其秀でたる口質の處よりすゝめて:芭蕉師が亡くなった夏だから元禄7年の夏、維然は師匠に教えを乞うて、維然には素質があると、特に次のような繰り返しの句を、ほめられた。
- 徘諧は季先を以て無分別に作すべしとの給ひ、又この後いよいよ風體かろからんなど、の給ひける事を聞まどひ:作句には先ず感動したことをまずもって詠ってしまうこと、風体はもっともっと軽くなりますよ、などと教えられたのを生半可に理解して、こんなくだらない句を作るようになった。
- 自の集の歌仙に侍る 、妻呼ぶ雉子、あくるがごとくの雪の句などに評し給ひける句ノ勢、句の姿などゝいふ事の物語しどもハ、皆忘却セると見えたり
:私去来の句である「妻呼ぶ雉子の身をほそうする」「あくるがごとく小糠雨降る」などを例にして、芭蕉師が言われた句の勢いのこと、句の姿のことなどは、維然などはみんな忘れてしまったようだ。