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行ずして見五湖いりがきの音をきく
なき人の小袖も今や土用ぼし
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- 行ずして見五湖いりがきの音をきく* 素堂
なき人の小袖も今や土用ぼし
ばせを
素堂師の句は、深川ばせを庵におくり給ふ句也。先師の句は、予妹千子が身まかりける比、みのゝ國よりおくり給ふ句也*。共にその事をいとなむたゞ中に來れり。
この比、『古蔵集』を見るに、先師の事どもかきちらしたるかたはし、素師の句をあげ、いりがきのたゞ中にきたる事を以て、名人・達人と名誉がられたり*。是をもて名人といはゞ、そのそしらるゝ先師の句もかくのごとし。皆人のしりたる事なり。それのみならず、世話にも、人ごといはゞむしろしけといへり*。一気の感通、自然の妙応、かゝる事も有るものとしらるべし*。誠に痴人、面前夢を説くべからずとなり*。
- 行ずして見五湖いりがきの音をきく:山口素堂の句。ここに「五胡いりがき」は中国の五胡(後漢末から晋の頃、西北方から中国本土に移住し、揚子江の北部一帯を占拠した、匈奴<きょうど>・羯<けつ>・鮮卑<せんぴ>・<てい>)・羌<きよう>の五種の民族をいう(『大辞林』)の名物とされた炒り牡蠣のこと。一句は、素堂には、実物を見なくてもいまあなた(芭蕉)が何をやっているか分かりますよ。炒り牡蠣を作っていますね、という意味。この句は、素堂が深川にいる芭蕉に送ったのだが、嘘か本当か、後述のように芭蕉が芭蕉庵で炒り牡蠣を作っている最中にこの句が届いてびっくりしたというのだが。千里眼の素堂という話。
- 先師の句は、予妹千子が身まかりける比、みのゝ國よりおくり給ふ句也:芭蕉句「なき人の小袖も今や土用ぼし
」も、去来の妹の千子<ちね>が死んだときで、私が彼女の着物を土用干ししているまさにその時に美濃から送られてきたものです。
- この比、『古蔵集』を見るに、先師の事どもかきちらしたるかたはし、素師の句をあげ、いりがきのたゞ中にきたる事を以て、名人・達人と名誉がられたり
:『古蔵集』なる書物は今でいうゴシップ記事本なのであろう。芭蕉の悪口を書いた後で、素堂の上記の句をもって名人だの達人だのとその神通力をほめたのであろう。去来にとっては、面白くなかった。芭蕉師だってこういう神通力があったと対抗心を燃やしたのである。
- それのみならず、世話にも、人ごといはゞむしろしけといへり:「人事言わば莚しけ」は噂をするとその人が現れるから筵を用意して待っていろ、という意味で「噂をすれば影とやら」の意。
- 一気の感通、自然の妙応、かゝる事も有るものとしらるべし:感情が通じ合うこと、自然に受け応えができることなど、こんなことがあるものだ。
- 誠に痴人、面前夢を説くべからずとなり:まことに痴人の前で夢の話をしてはいけない、と言うではないか。夢と現実が区別できなくなるから。